日々のことを徒然に

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音痴返上なるか

2013年08月25日 | 生活・ニュース
            

 先日、「子どものころから授業の音楽は苦手な学科の1番手。その理由は簡単、とにかく歌うことが下手だから」という書き出しで歌うことの苦手なことを書いた。それからしばらく経った頃「これであなたもカラオケ達人」というタイトルのエッセイを目にした。作者は音痴矯正専門の音楽教室を開いて20年、歌が上手くなる方法を確立したという。

 作者は「歌うことが下手」といわないで「うまく歌えない」と肩身の狭い思いへ優しい言葉で指導を始める。うまく歌えない原因は「歌の記憶の問題」「声の問題」の二つに尽きるとしそれぞれの解決策を説明している。詳細な内容は生業を犯すことになるが、読み終わった感じでは「難しくはない」が、努力は欠かせない。

 記憶の問題では、「1番は歌えても2番は怪しくなる」「デュエットは歌えるが一人だとどうも」という人は「うる覚え音痴」だという。歌詞もメロディーも曖昧な記憶では「歌うことは無理」と厳しい指摘をする。うまく歌おうと思ったら、その歌を完全に記憶することが必要という。なぜなら、人は覚えているとおりにしか歌えないからという。うまい人は歌の細部まできっちり覚えているそうだ。

 これは歌だけではない、と思った。今はさまざまな事象を多種類の情報から簡単に収集できる。それらを読んで、見て、知ったか振りになることはある。時には、その知ったか振りで得意げに話した後で思い違いをしていたことに気づく。たかがカラオケ、されどカラオケの習得法、あらためて学ぶことへの普遍的な原則を思う。

 そんなことを思いながら現役の後半、通勤途中で覚えようと聞いていた古いCDを出してみた。歌手一人のものに混ざって、歌えそうな歌だけを寄せ集め編集した何枚かもある。それには曲名やイラストなどを印刷していることから、かなり熱を入れていたのだろう。

 声の問題、ちょっと専門過ぎてまだ理解していないが、人のいない空間で努力することも必要とある。その解決策として「一人カラオケ」で声をだし機器の操作についても習熟せよとある。これは私には超困難な解決策で、音痴返上のスケジュールはまだまだ作れそうにない。
コメント
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