あちこち歩いていると「いろいろな」おやっと思うことに出合う。そんな日は何か得したようなで足取りが軽くなる日も、どうしてと思って口を出したくなることもある。
ひいきなものだ。紅葉谷の紅葉を「きれい」と誉める観光の人の声を聞くと何か嬉しくなる。そんなときに頼まれるシャッター押し、いかにいい構図にするかとサービス精神旺盛になる。背景になる紅葉のためにも、これって郷土愛だろうか。
自転車に乗り愛犬を走らせている人に出合う。その時、左側を走ってはいるが犬のリードは右手、そう、犬は道の中央寄りを走っている。いや走らされている。車とのすれ違いで「おっととっと」と思うことも、運転していて「ひやり」としたこともある。自転車は軽車両扱い。慎重にと思う。
藩時代は重要な位の人らが住まれた住居地も時代につれ次第にその様は変わる。そんな家並みの中で、杉囲いの家がある。その杉はいつも定規をあてて剪定したように手入れされて感心して見ている。剪定されるのは主で、その様子は何度も見ている。最近、その杉が延びほうだいになっている。どうしてだろう、人ごとながら気になってしようがない。
新聞に載った投稿を「読みましたよ」と声を掛けられることがある。時には名前を存じ上げない人からも声を掛けられる。読んでもらえるだけでなく声を掛けてもらえる。「いや、どうも」と返事をするが、嬉しい。感想のひと言も聞けるときがある。だが、この人の家は○○新聞購読だ、ということを知る。この個人情報、知る事は許されるのだろうか。