日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

歩けばあたる

2012年11月20日 | ウオーキング 散歩
                      

 あちこち歩いていると「いろいろな」おやっと思うことに出合う。そんな日は何か得したようなで足取りが軽くなる日も、どうしてと思って口を出したくなることもある。

 ひいきなものだ。紅葉谷の紅葉を「きれい」と誉める観光の人の声を聞くと何か嬉しくなる。そんなときに頼まれるシャッター押し、いかにいい構図にするかとサービス精神旺盛になる。背景になる紅葉のためにも、これって郷土愛だろうか。

 自転車に乗り愛犬を走らせている人に出合う。その時、左側を走ってはいるが犬のリードは右手、そう、犬は道の中央寄りを走っている。いや走らされている。車とのすれ違いで「おっととっと」と思うことも、運転していて「ひやり」としたこともある。自転車は軽車両扱い。慎重にと思う。

 藩時代は重要な位の人らが住まれた住居地も時代につれ次第にその様は変わる。そんな家並みの中で、杉囲いの家がある。その杉はいつも定規をあてて剪定したように手入れされて感心して見ている。剪定されるのは主で、その様子は何度も見ている。最近、その杉が延びほうだいになっている。どうしてだろう、人ごとながら気になってしようがない。
  
 新聞に載った投稿を「読みましたよ」と声を掛けられることがある。時には名前を存じ上げない人からも声を掛けられる。読んでもらえるだけでなく声を掛けてもらえる。「いや、どうも」と返事をするが、嬉しい。感想のひと言も聞けるときがある。だが、この人の家は○○新聞購読だ、ということを知る。この個人情報、知る事は許されるのだろうか。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選択肢の数

2012年11月19日 | 生活・ニュース
           

 戦後の学校教育では民主主義を習った。そこには基本的人権、平等権、多数決原理、法治主義などの語が並んでいる。この民主主義の神髄を定かにしたものとしたのは「人民の、人民による、人民のための政治」を訴えた演説と学んだ。ゲティスバークでの演説は1863年の今日、だったという。

 戦後の日本は民主主義国家、平和国家として今日まで来た。しかし、これのとらえ方は人により幅も深さも進む方向も異なる。世界の複雑な様相がこれに加わり、混沌とした民主政治が続いている。こんな中で日本の先行きを決める選挙をむかえる。

 衆院が解散、ひと月先には新しい議員が決まっている。選挙の前哨戦を報道は派手に追う。情報は必要だが他党の批判や揚げ足の部分だけを大きく知らせるのでなく、国政を担いたいという党や立候補する人から、政策の中味とその実践についての具体的な内容を聞き出して欲しい。

 それにしても選択肢となる党が多い。多ければ良いというものではない。選択肢が多すぎ悩むと間違った選択肢を選ぶことがよくある、という専門家もいる。今日も新党が結成された。結成したり解党したり合流したりと混沌の一因はこんなところにもある。正確な党名とそこの主張をどうしてつかみとるのか、少しだけ言葉を変えた政策も多く、その比較は難しい。これまで選挙を棄権したことはない、そのためにもしっかり見極めてみよう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草紅葉

2012年11月18日 | 自然 季節
           

 名勝・錦帯橋上流に赤い絨毯を敷き詰めたように「草紅葉」が燃えている。草紅葉は草が紅葉する、色づいたことを表す言葉で、山からの紅葉の便りとあわせて色好き始め、里の秋を感じさせる。

 国道を錦川沿いに上流へ向かうと、どこまで続いているのか楽しみ。ところどこで風に吹かれるコスモスの白い穂との対象が秋を味あわせてくれる。護岸工事が進み、岸と川原の境がすっきりしたためか、その広さを感じるのだが、水量の少ないこともそう思わせることに気づく。秋の風物を楽しむか、豊かな水量を願うか、と迫れればどちらだろう。それにしても今年は広くみえる。

 日ごろは草だ雑草だと嫌われ邪魔扱いされているが、季節に見合った装いに変わると見る目が変わり、自然にカメラを向けさせる。良く見ると草の種類は多く、その色合いはみな異なる。これを描くには何色の色鉛筆がいるだろうかと思う。

 「霜は草木を凋落させるもの」の例えどおり草紅葉は霜にあたると勤めを終えるという。霜注意報情報はお昼ころによく出る。霜の降りるのは夜なのに何故昼間に出されるか、と聞いたら「農家の人が備えの作業をするため」と教えられ、なるほど、と納得。草紅葉にその備えはできない。これも自然の定め、楽しませてくれて有難う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

落ち葉

2012年11月17日 | 生活・ニュース
           

 高齢の女性二人、図書館の書架棚で本を選びながらのひそひそ話が背中越しに聞こえる。「朝晩、寒うなりましたのう」「ひと雨ごとに寒うなりますけえ」と着ているものへ話が進む。こうして会話は広がって行くのだろう。

 紅葉真っ盛りの中での休日の雨、各地の行事も冷たい雨にさいなまれているのではと気遣う。この雨が通り過ぎるとまた気温が下がるという予報。寒さが増すと枯葉が落ち葉に変わっていく。

 昨日はかさかさと音をたてて舞いながら散っていた銀杏の葉、今日は雨に打たれて静かに休んでいる。春先の青葉のころからの勤めを終えてホットしているようだ。それは退職してすぐのころの自身にも似ている。

 濡れ落ち葉にはなるまい、と言い聞かせながらやって来た10年余、いい仲間に出会え支えられるなどして乗り越えて来た。そんなことを思いながら銀杏の落ち葉を撮ると、こうなるなよ、と話かけてくる。ご苦労さんでした、そう返事をかえした。

 南からの湿った風が昨夜半から雨に、市内山間部では100ミリ近い雨量を記録したところも。夕方には明るい陽射しも見えた。明日は気温は低めだが紅葉狩り日和という予報、楽しめるだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寄 進

2012年11月16日 | 生活・ニュース
           

  地域の神社の祭礼前には総代さんや祭りのお世話人が各戸を回って寄付を募っていた。子どものころその手伝いで講うちを回ったこともある。そんなことからお願いの仕方やそのときの言いまわし、お礼の言葉なども学んだ。また、域内の大人とお互い顔を知り合うことも出来た。そんなことから「○○のぼうず、何をしとるか」と怒られたり教えられたりと、世間との関わりを自然に学んだ。

 そうした風習が社会の変化、特に個人意識が強まるにつれ、古くから続いた互助の「講うち」というつながりが薄れた。それでも細々と続いた子どもらも喜ぶ町内の祭礼だったが、祭りの寄付集めはいつしか自治会費からに変わるなどして、寄付の習慣は消えた。それだけではなく赤や緑の羽根に日赤の募金なども、今は全て自治会費から支払われている。寄付集めという大変な労は消えた。

 寺院や神社には灯篭や鳥居などに「奉」や「奉寄進」などの力強い文字が彫りこまれている。その堂内の高い位置に金額や物品などが高額順に「寄進」として掲げられている。「寄進」とは「みずから進んで土地や金銭、財宝などを寺院や神社などへ寄付すること」とある。寄付は寄付でも一般に行われるそれは公共的事業などに役立てることが多く、寄進の寄付と区別されているようだ。

 氏神様の三十三年例大祭の挙行が寄付の大幅減で危ぶまれている。その神社の鳥居のそばに、前回の寄付金名簿が一覧になっている。持ち家の人か借家の人か、そんな大区分けで集める側の希望の寄付金額が示されたような記憶が残っている。当時から住まいする人は高齢となり、地元の若い人らは今この地を離れている。かっての地域力は弱まった。

 400年近くの歴史を有する地元の氏神、かっては地域の絆の役目を務めたその祭りごとといえども世の変化に翻弄される時代となった。東日本大震災で見直された絆、そのつながり助け合いも寄付あってのこととなりそうだ。今、神社の総代さんは祭礼に向けて苦労されているという。それの実ることをひたすら願っている。
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いちすけ号に父思う

2012年11月15日 | エッセイサロン
             
(1926年ころの電車走行の様子:岩小HPより)

2012年11月15日 中国新聞「広場」掲載

 「日本のエジソン」と呼ばれた岩国市出身の工学博士、藤岡市助は、その故郷に中国地方で最初の路面電車を走らせた。

 それは1909(明治42)年から現在のJR岩徳線開通までの20年間だった。この電車をモデルにしたレトロなバスが、岩国駅ー錦帯橋間で運行されている。

 市助の名前をとって「いちすけ号」と命名された。木製のシートや電車に似せた外観は、乗客をタイムスリップさせる。

 また錦帯橋近くの城下町通りでは、軒下すれすれに走るため、車窓からは趣のある古い町並みが楽しめる。

 そんな城下町を走るいちすけ号を撮っていた。すると運転手が右手を上げて軽く頭を下げあいさつしてくれた。

 観光を大きな旗印にする市にとっていちすけ号は大きな存在。その乗務員のちょっとした心遣いが観光客の心象をよくする。

 電車運行開始の年は父の生まれ年。運転手があいさつをくれた日は父の命日だった。偶然ではあったが、きもちよい一日を過ごせた。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山ガール

2012年11月14日 | 地域
           

 「ここから登ります」とリーダーとおぼしき人が山の斜面を指す。「展望台登山口」の標識の上方を皆さん一様に見上げる。いま流行りの「山ガール」といっても、若く装ってはおられるが拝見したところ実際はかなり前の「ガール」の集団8名ほど。散歩の途中で見かけた風景。

 そこは錦帯橋から400メートル下流で錦川が流を直角に変える深い淵を見下ろす場所。深い淵は小説「おはん」にも登場する龍江と呼ばれるところ。そこからの登山道を登った事はないが、時おり利用する人を見かけるが、これほど人数の団体さんは初めて見る。振り返ってみると姿はすでに山中へ、城山山頂を目指されている。山頂までどれほどの時間がかかるのだろうか。

 そこから5分ほどの紅葉谷公園からの慣れた登山道を登る。山ガールの皆さんのルートとどこかで出合うかと思いながら登って行ったが、途中で合流するような場所は気づかなかった。勿論、出会いもしなかった。健康のために歩く人らと挨拶を交わしながら登る。登山道に木の葉からのこぼれ日が描いた模様を楽しみながら、時間を気にしない歩きでもうっすらと汗をかく。

 山頂広場で別の山ガールの一団がにぎやかな会話中だった。山ガールに出合ったのは初めて、それも時間を置かずに2組も。次の目的のための訓練なのか、健康のためなのか、昼食のためなのか、純粋に自然満喫のためなのかなど、持参のお茶を飲み眼下の町並みを見下ろしながら思う。落葉が進み晩秋を感じる山頂を目指してロープウェーのゴンドラが昇ってきた。驚いたのは山ガールが次の下降便に乗り込んだ。あの姿は一体何なのだろう、思う間にゴンドラは見えなくなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時刻表のないバス停

2012年11月13日 | 地域
           

 隣町までの距離が20キロとある標識近くにある落ち葉の散らばった山合のバス停。「落ち葉の舞い散る停車場の・・・」という歌謡曲を思い出した。バス停の標識は立っているが、そのバス停の名前も時刻表も見当たらない。ただ待合用のベンチが何とかその姿を保っている。

 ベンチにはバスを待つ人の代わりに落ち葉が幾枚か座っている。その人代わりの落ち葉も風のたびに入れ替わっている。このバス停、利用する人があるのだろうか、正直そう思った。そう思いながらも絵や詩になりそうな風景、そう思いながら何枚か撮った。

 バス停のある道路は、片側1車線だがその巾は広く、ゆったりした歩道も備わっている。が、通る人はいない。車の往来は多く、それらは落ち葉を舞い上げながらかなりの速度で通り過ぎる。バス停など気にする車はいない。長距離走の練習スタイルのグループが通り過ぎた。

 バス停の周囲には何百本もの木々が赤、紅、黄、薄緑など思い思いの装いをしている。そんな中で冬桜の白くて小さな花が引き立って見えたのは、紅葉に埋没しまいとする姿だろうか。

 来た道を折り返す。麓の集落まで急な坂道を5、6キロ下る。そこは紅葉がはじまったばかりで数分前の視界と大きく変わり、何かに引き戻された。懐かしく癒しの風景はまだ残っている、何かほっとした。 
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな虹

2012年11月12日 | 地域
           

 「虹は七色」と学校で習った。ところが5色と教えたり2色としてとらえる民族もあるとか。数年前、山間部の町で主虹の上にかかる副虹を初めて見た。副虹の色の並びは主虹の逆で、赤が内側に紫が外側になっている。色合いは主にくらべ淡くうっすらとした虹だった。なにか得したようで何枚も撮ったことがある。

 雨上がりの朝、カーブ続きの錦川を上流へ向かって走っているとき前方に虹が出た。いいなあ、と思いながらも安全運転で走る。ある急なカーブを曲がったとき、突然、川巾一杯から昇り立つ虹の根元を見た。道路沿いの樹木の間からの途切れ途切れの眺めだったが幻想の縁にいるような思いだった。また、その大きさにも驚いた。

 吉香公園のお堀に虹が出る。噴水が生かされていて、陽射しの具合によって見えたり見えなかったりするからいつも見られるわけではない。半円ならぬその半分ほどの大きさで水面からほんのわずかな高さ。小さな虹のランクなら上位ではないだろうか。その下には鯉や亀が住まいし、飛来した冬鳥も羽を休めている。観光客のカメラの撮りどころになっている。

 空気中の水滴はすごい。太陽の光をばらばらにして見せてくれる、それが虹。宇宙には水滴はない、地球上の虹は見えるのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末へ向けて

2012年11月11日 | 生活・ニュース
           

 ボーナスを狙ってお歳暮、お節、年賀状印刷そして忘年会などの予約受付、注文承りなどの広告が増えた。中には早期予約には大幅値引きの特典というPR文句もある。年金生活の身では綺麗なチラシだと楽しんでいるだけのようだ。

 独身のころ、ボーナスの1割をお歳暮として、上司・先輩に送っていた同期がいる。自分は職場関係者へのそんな経験は1度もないまま退職した、それを是か非か考えることもなかったようだ。

 この冬の歳暮商戦は全国で約1兆5千億円の予想とか。好況時にはこの2倍、いや3倍もあったという。この冬の民間と公務員のボーナス支給増額は約16兆円という予測がある。商戦の予想金額はこれのおよそ1割、同期はいい感をしていたことになる。

 昨年、歳暮の発送を依頼したスーパーから先月末に今年暮れの予約願いが届いた。それには前回の届け先が印刷されている。届け先を記入するのは結構面倒で送る方は手間が省けて助かる。こんな気遣いが商いへ連なるのだろう。

 年賀状は日本郵便に勤める姪から毎年「おじちゃん今年もお願い」と購入依頼がある。どの位の販売ノルマがあるのか聞いていないが、電話の向こうで喜んでいる顔が見える。年賀状発売の日、発売開始から数分ほど過ぎたころにある郵便局前を通った。その時、思わず笑わせたのは「好評発売中」の張り紙。こんなに先読みできれば新制郵便事業は頼もしいかも。

 年末の繁忙が伝わり始めると届くのが「喪中」のはがき。すでに10通あまり。中には身近なお三方が亡くなられた人もある。年賀だけの交わりの人も多いが、自分の年を思えばいつ同じことになるか知れない。

 東日本大震災から1年8カ月、行方不明者の捜索が続けられている。このまま平穏な年末へと進んで欲しい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする