日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

錦帯橋の片側通行

2012年11月30日 | 回想
           

 現役、それもうんと若いころ、社内教育の一環で広島大学工学部の先生方や会社研究所の研究員から「化学工学」を学んだ。高卒ゆえ大学授業のそれは大卒者からの耳学問でしか知らない。その中には「勉強しなかった」と得意そうに話すものが多く、真に会社の将来は大丈夫か、と心配した思い出がある。

 化工の講座は1回90分でその受講は時間外扱いで手当がついた。今、思えば恵まれた時代だった。始まりはバブル崩壊の前、その時のノートは今も残している。計算問題を解くため発売間もない電卓を当時の第一産業で購入した。初めての高価な電気製品だった。

 講座で伝熱を担当された広大の先生が思い出を例示に使われた。錦帯橋中央の第3橋は真夏でも川風で涼しく、長くいると肌寒くなる。そんな時に手をつなぐと温もりが伝わる。これが伝熱、そんな内容だった。あまり面白い内容ではないが、先生の忘れられない思い出として聞いた。

 錦帯橋は1950年にキジア台風で流失、53(昭和28)年に再建された。それから50年、全体に痛みが増し「平成の架け替え」で新装なった。架け替えは晩秋から翌年の春までの渇水期に3回に分けて行われ2004年春に完成。錦帯橋は木組みの橋、加えて毎年70万人近くの観光で訪れる人が渡る。痛みが増せば補修は欠かせない。

 ということで工事が行われている。橋板のつなぎ目に白い樹脂状の物が詰められている。以前には材質は知らないが薄い金属製の板で加工されていたこともあった。隙間に流れ込む雨水を防ぐ、橋板一枚ごとへの丁寧な仕事は根気が要りそう。伝熱の話は夏だったが、作業者の防寒着の厚さに錦帯橋上に吹く初冬の風の冷たさを感じる。
コメント (2)
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