錦帯橋から歩いて数分のところにある神社、それは1626(寛英)年旧岩国藩2代目吉川広正が創建した椎尾(しいのう)八幡宮で、地区の氏神様として高台から氏子を見守っている。ここに1693年から続く、数えで33年に1度行われる「三十三年式年大祭」神幸祭を報せる垂れ幕が掛けられたのは昨年の12月頃だった。時期は平成25年10月、岩国検定テキストでも紹介した。
一生のうち三十三年祭に3回出合える人は幸せである、と子どものとき聞かされていた。1回目は1949(昭和24)年で小学校3年、2回目は1981(昭和56)年、このときは異動で職種大転換となった思い出のときだった。そして、その幸せになれるという3回目の出会いが来年の大祭となる。
そんな待ち遠しい祭礼が新聞によると「不況で寄付減り大幅縮小も」という見出しで記事になっている。企業や氏子からの寄付金は前回を大きく下回っているとか。また、神輿を担ぐ地区の高齢化と人口減で担ぎ手の確保が難しい。氏子も2割強減少しているなど、33年間の変わりようが大幅縮小を余儀なくしているようだ。時の経過を感じる。
高齢化、時代の流れ、厳しい経済状況など支援を呼びかけるのも難しく、内容の見直しも含め協議されているという。前回は大名行列や城下町を練り歩く山車、400人の稚児行列など、潤沢な寄付金によって披露された。神輿と一緒に正装した宮司が乗馬しながら町を回る渡御(とぎょ)や神楽奉納も本来はあるという。その日まで残り1年、総代さん方の力を信じて待とう。