日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

感動した宣誓

2012年03月21日 | 生活・ニュース
           

第84回選抜高校野球大会は今日午前9時から兵庫県西宮市の甲子園球場で開会式が行われた。開会式では、東日本大震災で大きな被害を受けてもくじけず、21世紀枠で選出された石巻工高の主将が選手宣誓を行った。

「被災地代表としての使命を感じた」、選手宣誓のくじを引き当てた時の主将の話として伝えられている。何かの糸がそうさせたかのような不思議さを感じる。昨年は「生かされてる命に感謝し全身全霊で戦う」という宣誓だった。

ゆっくりだがハッキリ聞き取れた宣誓、それは格調高い内容を諭すような、いい聞かせるような口調の宣誓で感動した。有難う。その宣誓全文を残しておきたい。写真とともにネットでお借りした。

宣誓

 東日本大震災から一年、日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には、苦しくて心の整理がつかず、今も、当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、悲しみに暮れている方がたくさんいます。

 人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。

 しかし、日本が一つになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。

 だからこそ、日本中に届けましょう。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう、日本の底力、絆を。

 我々、高校球児ができること、それは、全力で戦い抜き、最後まで諦めないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。

         平成24年3月21日、
         選手代表、宮城県石巻工業高等学校野球部主将、阿部翔人(しょうと)

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球春

2012年03月20日 | 地域


第84回選抜高校野球大会は21日から始まる。この大会はセンバツで通用するが、通称「春の大会」「春の高校野球」「春の甲子園」など春を告げる大会でもある。新チームでの初めての全国大会、派手でなくてもいい真摯な試合を望む。

山口県からは第5日第3試合で奈良県の智辯学園と対戦する早鞆高校。智辯学園は優勝争いの一翼に挙げられている。早鞆高校は下関市にある。演歌歌手の山本譲二さんは1967年第49回選抜で甲子園を踏んでいる先輩、それ以来の出場という。頑張って欲しい。

彼岸の中日、久しぶりの日ざしを待っていたかのように子どもらが大声を出しながら野球の試合をしている。冬の間の休日も掛け声を出してトレーニングしていたあのチームだろうか。白のユニホームが駆けまわる。投げて、打って、走って、捕ってのどの動作にも声がかかる。「ストライク」、球審の大きな声が子どもらを鼓舞しているようにも思える。

目の前で展開されている試合から、やがて甲子園へそしてプロへ、最後にはメジャーへと進む選手が出るかも。そんなことを思っていると左中間のど真ん中に打球が飛び、抜けた。必死に追う中堅と左翼の2人。その背中へ「何してるか、ぼやぼやするな」と一喝する声。その意味は分からないが、こうして強くなっていくのだろう。打った選手は3塁にスライディング、両手を上げた。

(写真:試合風景で中央は右翼手、右端は投手)
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早く走れる方法

2012年03月19日 | 回想
           

運動会で早く走れる靴、子どもなら誰でも欲しいだろう、そう思ったら少し意見をされた。その靴はトラックを左回りする時に有効な靴だから、直線を少しだけ走る低学年には不要だ、という。徒競争は大の苦手だった。徒競争の前になると裕福な家の級友が持ってくるサロメチールをふくらはぎに塗った。スーッとするいい感じになる。それで足が軽くなったように思うが結果は変わらなかった。

もうひとつの早く走れる秘策、それは「馬糞を人に見られずに踏め」という話。馬糞といっても見たこともない人もあろう。今の荷運びは目的と場所に似合った大小いろいろな車がある。子どものころのそれは車の変わりに、馬が長い荷台の車を引いて運んだ。その荷車を馬車と呼んだ。カッポカッポという馬の足音はのどかだった。もちろん馬は農作業でも活躍した。

馬は尾っぽをひょいと上げところかまわず糞をする。その量は少々ではない。こんもりと盛り上がったそれはあちこちで見かけた。いまならご近所迷惑や道を汚したと社会問題になるだろう。馬は走るのが早い、その糞を踏むと早く走れるという子どもならではの情報は広まっていた。地方ならではの面白さを感じる。一方、農家ではその糞が大切な肥しにもなった。

吉香公園のバラ園。ボランティアの人らが1年中手入れされ、その季節には見事な花を咲かせ、訪れる人を楽しませている。いま、春の開花に向けて手入をされている。剪定されたバラの根っこに茶色のふわっとしたもが撒かれている。それが馬糞でバラの養分に変わっていく。今の世、あれだけの量をどこから調達されたのだろう。そんなことを思いながら、馬車に乗せてもらって下校したころのあれこれを思い出す。
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シャッターチャンス

2012年03月18日 | 生活・ニュース
           

レンズ交換の試し撮りに何かないかと探していた。白鳥とカモが公園の堀で遊んでいる。女王のような白鳥を中心にした水上行進はほほえましい光景。白鳥を中にした構図を決めたその時、ファインダーに異変が映った。シャッターを押した。

白鳥が1羽のカモに大きな口ばしを開いて襲いかかった。それは飲み込みかねないように思えた。カモは察知出来たのか低く飛んで口ばしからは逃れた。どうなることかと続きを期待したが、そのあとは何事もなかったかのように元の体系に戻った。再度起きないかとしばらく待ったがそれは無駄な時間となった。

そんなことが起きることが分かっていればその前から連写で撮れたのにと残念がってみたが後の祭り。いったいあれは何だったのだろう。見えなかったがカモがチョッカイを出したのだろうか。白鳥からすれば気にくわない1羽なのか。人の世にもままあること、生き物世界だからいろいろあろう。冬鳥はもうすぐお堀から旅立つ。しっかり体力をつけてくれ。

フイルム時代に身についたけちった撮り方はデジカメに変わって抜け出せた。今は気にいらなければ簡単に消去が出来る便利なカメラになった。考えて撮るという姿勢おろそかになったている。「シャッターチャンスなんて思うのはまだ早い、カメラを使いこなせ」お堀の鯉が顔をのぞかせた。

(写真:飛んで白鳥の口ばし攻撃を避けたカモ、左端)
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雨のち晴れと春一番

2012年03月17日 | 自然 季節
           

お彼岸の入り。気象予報で今日は雨だった。その雨を気遣い墓参りは昨日済ませた。何組もの墓参りの方に出会った。皆さん雨を避けるための早参り、思いは同じ。

昨夜からのその雨は昼前にあがり久しぶりの青空から柔らかい日ざしが届く。吉香公園にある国の重要文化財である目加田家の庭では、三椏の花が柔らかい日ざしを受けて気持ちよさそうに揺れている。どこからやって来たのか名前は分からないが1匹の蝶が仕事をしている。生物の営みに春を実感。

享保5(1720)年、大阪竹本座で初演された近松門左衛門の「心中天網島」に「比17日、岩国の紙の仕切り銀にしたれども・・・」とあるように、岩国の紙(主に半紙)は大阪市場で日本の代表的な紙として流通した(市教委)。この紙、和紙の原料になったのが三椏。錦川流域に所在する多くの集落で作られ岩国藩の大きな財源のひとつだった。

なぜか気象庁管轄で山口県は九州扱い。その九州と山口で春一番が吹いた。県内では最大風速27メートルを記録したとか。暑さ寒さも彼岸までという。お堀の亀が甲羅干しをしているのを見ると、春が来たんだ、これから暖かくなるのだろうと実感させる穏やかな午後だった。



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佐々木小次郎

2012年03月16日 | 町かど
           

佐々木 小次郎は、安土桃山時代から江戸時代初期の剣客で号は巌流。宮本武蔵との巌流島の決闘で知られる。この決闘から今年は400年、決闘の地では多彩な催しがあるとか。この決闘は細川藩の公式記録に残されているということで、吉川英治の小説の中での創作ではない。が、この小次郎の実際の実像はよくわからない人物、という資料が多い。

吉川英治の小説「宮本武蔵」では「佐々木小次郎は 周防岩国の産まれ。錦川の畔で、柳を斬り、燕を斬り、ツバメ返しをあみ出した努力家」となっている。その姿を偲ばせる銅像が、錦帯橋畔は吉川公園の菖蒲池そばに建立されている。背景に岩国城が望まれ、観光の記念写真としては絶好の場所にある。

その銅像の剣の握り方がときおり話題になる。あの握りでは人は愚かツバメなど切れる訳がない、という。素人目で見ると確かに右手の握りに疑問を持たないでもないが、そこは剣豪「ツバメ返し」を編み出した秘策に通じるところがあるのかもしれな。武蔵との決戦の地「巌流島」にある小次郎像は、吉香公園のレプリカである。

高橋桂三の「事実は小説よりも奇なり」で始まったNHKの「私の秘密」というクイズ番組があった。吉川英治著では小次郎の生まれは岩国。巌流島の決闘は1612年、錦帯橋はそれから60年後に完成した。だから小次郎は錦帯橋を見ていない。歴史と小説の面白さはこんなとろろを超越したところにある。



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2000という数

2012年03月15日 | 回想
           

ブログ開設から2000日、数日前にそのカウントを見た。5年と5カ月余り継続していることになる。掲載した記事はその日までで1882編。94.1%のアップ率、高低は分からないが通知表なら5評価がもれえるといううことで、内容は別にして掲載数については自己評価も良し、としておこう。

2000といえば思い出すことがいくつかある。ひとつは西暦が2000年となる日の新年を会社で迎えたこと。20世紀終わりの年明けにシステムの誤作動が発生するかも知れなという危惧から、日本中いや世界各国で緊張した日だった。何事もなく年が変わり、差し入れのお節を頂いた。酒こそないが安堵のせいか一流店の味を堪能した。

スポーツで2000という数値が話題になるのは間もなく開幕するプロ野球にもある。それは選手の生涯安打数。これまで現役・引退も含め38人がその値をクリアーしたという。最多はご存知張本 薫の3085本。日米通算ではイチロウ、松井 秀喜、松井 稼頭央の3人という。長い長い道のりを諦めづにコツコツと努力したバットマンに頭が下がる。

もうひとつ、それは忘れてはいけない2000円札。沖縄で開催された第26回主要国首脳会議(沖縄サミット)をきっかけとして、1999(平成11)年に当時の小渕恵三総理大臣の発案で、翌年2000(平成12)年7月19日に森内閣のもとで発行された。小渕さんはこの札を見ることなく他界された。

高度な印刷技術が使われたそうだが、流通性は珍しさのあった一時期で終わった。この札、お断りの両替機や自販機、お店もあった。日本人は金銭で2の付く単位を好まない。たいていの場合包みには奇数値を使う。そんなところから1や5の値は残っているが2は好まれなかった、と我流解析で納得している。

現役のころ、料理2品とビール中瓶2本を2000円で飲めるなじみの小料理屋があった。今、思い出すと2並びだが、いいお店だった。

(写真:2000円のお札、ネットより)
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走る文化

2012年03月14日 | 生活・ニュース
           

オリンピックはアマチュアのスポーツの祭典、とは昔の話し。商業主義と批判もあるがプロやプロ化した選手、いつのころからかアスリートと呼ばれる人の祭典になった。科学的に進められる用具類の開発は、選手いやアスリートの精進もあって記録は伸び続け、大会のたびに記録更新が期待される。

オリンピックの花のひとつはマラソン。ロンドン大会のマラソン代表の男女3人が決まった。大方の予想通りというかマスコミ予測のアスリートの範ちゅうから選ばれた。女子は8月5日、男子は同12日という。ペースメーカーという先導のいないマラソンは楽しみだ。

男子は東京マラソンで日本人選手として5年ぶりの2時間7分台をマークした藤原新、びわ湖毎日の日本人トップ4位に入った山本亮、同じくびわ湖毎日を2時間8分53秒でまとめた中本健太郎。いずれも代表初めて。中本は我が山口県出身。

女子は1月の大阪国際を2時間23分23秒で圧勝した重友梨佐、昨年11月の横浜国際を制した木崎良子、選考会3度目の挑戦となった前日のナゴヤウィメンズで日本人トップの2位に入った尾崎好美で、男子と同じくいずれもうれしいはじめての日本代表。

注目の公務員ランナー川内は選から外れた。市民ランナーとして期待されていたが残念だろう。藤原も無所属のランナー。各地での長距離走の参加者数を見ていると「走るという文化」が芽生えたのでは、そんな感じがする。その先には市民ランナーからオリンピック選手が続出か、と夢が膨らむ。

(写真:頑張れマラソン選手、JOCのHPより)
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梅と桜    

2012年03月13日 | 地域
           

同好会仲間の「観梅へどうぞ」という誘いに甘えて数人が訪問。通された二階の応接間から、錦帯橋周辺のスポットが「お庭」のように広がる。屏風のような城山に桃山南蛮風の岩国城、その手前にロープウエーが山麓と山頂駅を斜めにゆっくり往復している。

応接のベランダ直下にはひょうたん型の親水公園。お招きの通り、紅白の梅がその咲きかたを競っている。水に住む魚を狙った鷺が鋭い視線を水面に注ぐ。色変わりしたすすきが風に吹かれ、向かい合わせの紅梅となにか会話しているよう。そんな影を映す水面には梅の花びらが寄り添ってゆれている。

応接の反対の部屋からは錦川を見下ろし錦帯橋を背景にした桜が眺められるという。周囲の桜もこのところの暖かさで、つぼみの先が少し開きかけてきた。あと20日もすれば桜が挨拶をし始めるだろう。眺めのいい部屋で花見はいつやるか、そんな陰の声が聞こえる。

花見の場所取りは業務命令に当たるか否か、前提はあるが業務の一環にあたるというある弁護士の解説。思いはいろいろだろうが、先ずは参加してみること。得るところはあります。桜は寒暖の差が大きいほど花がいいという。低温注意報が続く。期待しよう。

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節電いつも心掛けて

2012年03月12日 | エッセイサロン
2012年03月12日 中国新聞「広場」掲載

           

 大阪万博。その開会式で日本原子力発電(原電)敦賀1号機から送られた電気で会場の灯がともった。原子力の灯に、当時の日本人の多くが明るい大きな未来を夢見た。

 あれから40年余り、日本では初めて経験する原発事故が起き、電気エネルギー政策が大きく見直されている。電力の逼迫を解決し、日本再生のためにも結論が急がれる。

 電気の原点は水力発電。水の落下エネルギーを電気に変えていた「水車・発電機」が、山口・広島県境の小瀬川上流の湖面を見下ろす吹きさらしの建屋に置かれている。

 弥栄ダム建設に伴う発電所廃止を記念したという。

 子どものころ、家庭の電気使用量が超過するとヒューズが飛んで節電を強制された。いつのころからか、電気が思いのままに使える時世に変わった。

 ヒューズの時代へは戻れないが、いま節電社会が求められている。「それをいつも心掛けよう」。発電機を通り抜ける冷たい風がささやく。
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