日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

放流

2011年08月21日 | 生活・ニュース
           

大雨になるとダムの放流が行われる。8月末まではアユ漁と錦帯橋のう飼いの最盛期。子どもらも水遊びが楽しめる夏休み。いったん放流が行われると濁り水は海まで続き、すぐには収まらない。今年も何度か行われたが、今日、午前中、ちょっとその心配をさせられた。

秋雨前線の南下に連れられた涼の一団へ南からの湿った空気が流れ込み、市内でも時間当たりの雨量が60ミリを越えたところがあった。山間部では50ミリを超えたところが何カ所もある。市街地でも激しい時は時間当たり30ミリあまり降っていた。自治体の防災情報で知ることができる。

「涼」の一団の南下は先日までの暑さはどこかへ。9月の気温になたっという。熱中症や紫外線への注意情報が消えた。この涼しさはを北へ押し上げる南の高気圧がまたやって来ます。すると夏日が帰って来ます、と気象予報士は注意を呼び掛けている。米の収穫が始まる。雨は大敵だ。

ダムから放流が始まる前、川沿いに設けられた放送施設から注意が呼びかけられる。続いてサイレンが鳴る。激しい雨の時は戸閉めにしており、風の向きなども影響して放送は聞こえないことが多く、サイレンで放流を知る。こんな時は高台がいいなと思う。

乾燥が続き畑が疲労すると潤いが欲しいといい、過ぎると雨は要らんという。暑い夏の夕暮れにはちょっと夕立が欲しい。人は勝手気ままなものだ。

(写真:あちこちに立っているダム放流についての注意板)
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伝え残す力

2011年08月20日 | この木
           

「これらはその生まれたところで朽ちて土にかえる。そして次世代の肥しとなる」。これは朽ちて崩れ落ちた幹の根本の木くずの中に芽吹いた小さな苗木を指しながら古木を案内する人の言葉。その静かな語り口調から自然を心から愛おしむ気持ち、それが画面からでも伝わる。

その樹齢は推定で600から700年と説明があった。それだけの年月を経てもなお次世代へつなげていこうとする自然という営みの未知。驚きながら、一方ではそうかと納得し、人知が自然力に及ぶことがあるのだろうか、見終わったとき思った。

古木の番組を見てしばらく経ったころ、桜の木の朽ちたところに芽生えた小さな苗が育っているのを見つけた。

公園とその周りには、幹が大きく欠けたり空洞になった桜の木が多くある。それらはみんな古い幹で、自然に崩れてそうなったと思わせる。そんな木でもその季節になると花を咲かせ訪れた人を楽しませている。

この小さな苗がどんな風に大きく育っていくのか、古木の番組の後なのでちょっと気になり、眺めたが、教えてくれるものはなかった。幹の上から無数の根のようなものが下がっているがそれが何かはわからない。小さな苗も無数の根もこの幹の伝え残したい何かを受け継いでいるのだろう。ときどき回り道をして見続けよう。

(写真:親木のようになるのには何年かかるだろう)
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秋、近づいてます

2011年08月19日 | 自然 季節
           

猛暑、酷暑の映像が連日続いている。ひとコマひとしぐさから、見る方も汗を拭わねばと思わせる上手い撮り方に感心する。真夏日が10日も2週間も連続している街では、TVを切りたくなるのではなかろうか。

汗を拭きながら歩いていると緑色の丸いものが道に転がっている。ざっと30個くらいある。そこは秋になると道に落ちた栗が拾える嬉しい通り道。去年の秋も何度か恩恵にあずかった。見上げると、まだ少し小ぶりながらとげが密生したいがが「もぶれ付いている」。豊作になってくれと願いながら通り過ぎた。

そういえば、日中の暑さはこたえるが、朝夕の水やりで、どこから来るのか、ときどき秋の気配かと思う気持ちよい風を感じるときがある。暦では秋になっているのだから不思議ではないのだろうが。

天気予報で秋雨前線の説明があった。秋雨前線の北側に冷たい空気があるとか。暑さはもう少しだろうか。

(写真:誰も見向きもしない転がっている栗のいが)
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蝉の習性?

2011年08月18日 | 自然 季節
           

出現が遅かったといわれた蝉、春先の低温が関係したそうだが、子どもらの休みに合わせ鳴き声も大きくなり、その姿も目にするようになった。それでも蝉取りの子どもらを見かけないのは時代のせいなのか。

先日、こんな話を聞いた。蝉の背中側から網をかぶせようとしている子どもに「網は蝉の頭の方から近づけるととりやすい」と教えた。子どもはそれを実行した。不思議そうな顔をする子どもに「蝉は前にしか飛べないから」と教えたという。知らなかった。

そんな蝉はその日の鳴き場所を選択するのだろうか。静かだった大きな木の梢から、翌日、通りかかると、言葉通りの蝉しぐれ、ものすごい鳴き声を降らせている。初めの日は午後の陽があたり、翌日は午前中で陽はあたっていない。単なる偶然かもしれない。

木に止まり鳴いている蝉は葉の陰に見かける。天敵である小鳥などから見えなにくいだろうと納得する。公園ではいたるところに木が立っているから安全に飛び移れる。渡り鳥は敵から身を守るため大形に似せて飛ぶという。蝉は群れて飛ぶところは見たことかない。どうなんだろう。

(写真:蝉しぐれを降らせていた日の公園の木)
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解決した

2011年08月17日 | 地域
           

この夏、気になって仕方なかった。

何でもないことだが、公園の茶店に掲げてある「氷旗」。白地に赤い文字のそれは子どものころに見慣れているものと同じ。懐かしさもあり、それだけに気になった。

その原因は単純なこと。氷旗が風に吹かれて舞い、吊り下げている竿に巻きついている。通るたびに同じようになって、氷の字が見えない。真っ青な空と氷の赤い字を写真に撮りたいだけの理由だった。

この夏、何度目だろう、氷の文字が読み取れる。空はうすい雲がかかって、望んでいる青と赤のコントラストにはならない。が、よく見ると、風に吹かれているのに、舞い方がぎこちないし竿にも巻きつかない。よーく見て笑った。

旗の下に金具が2個付いている。見るとそれは大形の金属製クリップ。店主の即興かユーモアか、いや手近にあったものを重しに思いついただけか。とにかくこれで氷ありますがよくわかる。今年は各地で暑さしのぎのひとつとして、かき氷がよく売れるといいうが、旗の下では見かけなかった。

明日は秋雨前線が南下し天気はぐずつく予報。かき氷の終わりもそう遠くないかも。

(写真:ちょっと重くてだらっとした氷旗)
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胃の舞台

2011年08月16日 | エッセイサロン
2011年8月16日 毎日新聞「はがき随筆」掲載

 医者が内視鏡で私の胃を画面に映し、診ている。私はベッドで同じ画面を見ながら説明を聞く。臓器の内部を見るという不思議な感覚。いつの間にか内壁の様子やその色模様などを真剣に見ている。胃の中で動きを感じるたび、そこが演技するように画面が変わる。

 見えない所が診られるようになった現代医学。どこまで技術が進歩するのか、あまりの長寿は考えもの。そんなことを思っていると「治っていますよ」の声で十数分の色鮮やかな舞台が終わった。

 仕事を終えた内視鏡がつり下げられ揺れている。物言わぬそれに心の中でそっと「ありがとう」。
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故郷の水辺

2011年08月15日 | 地域
           

今日は「月遅れぼん」と暦に載っている。盆といえば墓参り。墓へ通ずる道を盆路といい、盆祭りの前に、墓場から村への路の草を刈って精霊の通る路を整えるとある。何十年か前は「ついたちみち」といって、長老の指示で、墓所一帯の草刈りや路直しなどを経験したが、懐かしい思い出になった。

例年のことというか恒例というか、お盆を利用した帰省風景がいろいろと映し出される。暑さの中、高速道の渋滞対策をして里帰りされる一家を映して紹介していいたが、かように故郷はいいものということだ。

映像で、帰省する人の「お墓参り」という話がいつになく多いように感じた。東日本大震災以降よくいわれる「絆」への思いだろう。いいことだと思う。人と人の心をつなぎとめる、長く続いて欲しい。

帰省の人か、帰省途中で立ち寄った人か、とにかくたくさんの人が錦帯橋下流の水辺に見える。暑さをしのぎ故郷の水と空気を楽しんでいるようだ。明日からの英気につながって欲しい。

(写真:いい思い出になって欲しい錦帯橋下流の水遊び)
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ガンバッテいます

2011年08月14日 | 生活・ニュース
           

私は今年初めて植えるという主に植えられたミニトマトです

植えられたところは黒くて丸いプラの植木鉢に、私だけ
朝に夕にたっぷり水を貰っている
いただきもののエコ肥料をときどき水の前に貰う

主は花が咲いたと喜び
実がビー玉くらいになった時ブログに載せた

そんな主に応えようと
これでもかこれでもかと実らせている

初めて赤く色づいたころ収穫するかもう少し待つかと主は悩む
初の収穫の行き先は仏壇だった
初物を供えるのが主の家の習慣とか
そんなDNAは受け継いでいない
どうしたものかとちょっと戸惑う
しばらくして主の妻が美味しそうな実、と
言いながら冷蔵庫へ移してくれた
気持ちよくほっとした

主は冷えた私を美味いと幾つも口にする
収穫記録はつけられていないが
長いことスーパーからはやって来ていない

盆になり暑さも峠にきている
枝も茂って何本かのプラ竹に支えられている
少し枯葉が混ざってきたがまだまだ花も青い実もある
主の嬉しそうな顔のためもう少し頑張ろう
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28億キロ彼方への飛行

2011年08月13日 | 自然 季節
               

今月の初め、新聞では1段のべた記事だったが私には興味ある範ちゅうのニュースが載った。それは「木星探査機打ち上げ」。今月6日の午前1時25分(日本時間)、米国フロリダ州のケネディ宇宙センターからその打ち上げに成功したというもの。探査機の名前は「ジュノー」。

木星は太陽系で最も大きな惑星で、その起源に迫ろうというNASAの新たな計画だ。木星は太陽のような恒星にもっとも近い惑星なので、この探索の成果しだいでは「太陽系の誕生の謎に迫る」かもしれないという。謎が解けるか。

ジュノー機は、すべての電力を太陽電池で賄う。地球の軌道を離れたあと、約28億キロ旅し、順調にいけば2016年7月、5年後に木星に到達するという。木星到達後、高度5000キロの軌道を1年間に渡って周回しながら観測する。

ガスの巨大な塊といわれる木星、そこからどんな観測データーが送られてくるのだろう。光と電波の速さは秒速約30万キロという。28億キロ彼方の観測データが届くまで2時間半以上もかかる。夢のようなデーターを期待して待とう。

(写真:ジュノーと木星、netより)
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総理の途

2011年08月12日 | 社会 政治
           

誰がこんな所へ乗り入れるのだろう、そう思いながら両側に雑草の茂る中に続く2本の轍の跡を歩く。ムッとする熱い風が雑草群からふきよせ、日ざしと合わせて汗が流れ出る。ふと、さえない顔をして歩く菅総理の姿が浮かんだ。

取り囲まれて赤絨毯の上を歩く総理、今そこは見た目とは違い本当はこんな荒れた足下ではないのだろうか、そんなことを思った。もう少しで後任が決まる、そこまでは耐えて忍んでと慰めたい。

東日本大震災から5カ月、総理辞任の条件が成立する見通しがつき、次に控える復興へつながる補正予算の編成がかなうこととなりそうだ。政治に確定は疑問なので、そうだ、とする。そうなれば後は「ポスト 菅」は誰かに報道は集中している。

民主党代表は総理になる人。その代表選挙が近づき7人も9人も候補が出ると予想されている。総理を辞めさせる、辞めてもらう難しさを何度も経験した国民には、その投票権がない。代表民主制では仕方ない。

震災からこちら「がんばれ日本」がスローガン。政治は震災ばかりではないが、国の先頭に立つべき心構えを国民に分かり易く説いて欲しい。それを実行してほしい。続きに続いた短命内閣はもうたくさん。

(写真:誰が乗り入れているのか続く轍)

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