日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

3つの石の力

2011年08月11日 | エッセイサロン
           

水晶AAA  もっとも偉大なエネルギーストーンの一つ、あらゆる種類のエネルギーを持ち、調和、統合、強化し、力を発揮するよう導く力があるとされる。災いを防ぎ幸運をもたらします。

マグネサイト(ハウライト) 精悍、崇高、目覚めを象徴する鉱物で、心身を浄化し、肉体、精神、感情のバランスを良くする働きがあるとされています。悩みや不安、トラブルを解決へと導いてくれます。

緑めのう 長寿や富、健康をもたらす石とされています。また、勇気と行動を養い対人関係での失敗や不幸を防ぐ力があります。緑めのうは安らぎをもたらし、事故やけがを防ぐ。

「はがき随筆月間賞入選1位おめでとうございます。お祝です、使ってください」と手作りのストラップが山陰の街から届いた。入選は初めてだがそれにつれて思いがけない贈り物に驚ろいている。そのストラップに使われた石の説明がメモにして添えられている。それを書き写したのが初めの3節(写真の左から)。

説明されたそれぞれの石のエネルギーやいわれ、その秘めた力など、それらが足らざる我のこれからの糧になるよう、身につけておこう。身につけるだけではダメだということはよくわかる。そう、糧となるように精進をしよう。

有難うございました。

(写真:届いた思わぬ贈り物) 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死して餌となる

2011年08月10日 | 自然 季節
           

梅雨明けからしばらくたっても、今年はセミの数が少ない、鳴き声をあまり聞かないという話が多かった。識者は春先の気温が低く、その成長が遅れたたため、と教えてくれる。夏休みが後半に入ったころから、鳴き声がにぎやかになった。隣家のクロガネモチの木も終日合唱が聞こえる。

あちこちで、夏をすごしたセミたちが短い一生を終えたその枯れ姿を見かけるようになった。それらは何かの虫に身体を食いちぎられた、人に踏みつけられた、羽をちぎられたなど痛ましく感じる姿もある。そのいづれにも蟻が寄っていた。

綺麗な姿のセミが横たわっている。近寄って見ると、ここでは蟻が小さな小さな砂粒を積み上げている。彼らの見つけた大きな獲物は1度隠し、解体などし、その後で巣へ移動させる様子は何度か目にしている。最後まで観察したことはないが、いつの間にか姿が消えている。どうして巣穴の入り口に入るのか不思議に思う。

セミの死がいは蟻にすれば拾った大きな餌だ。食う食われるのという食物連鎖とは異なる自然界の恵みを蟻は得たことになる。その恵みを、暑い夏にせっせと働き寒い冬のために蓄える姿はイソップ物語。厳しい暑さと節電、それでも人はキリギリスにならぬよう頑張っている。

(写真:やがて砂粒に覆われる枯れたセミ)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空模様に気を配って

2011年08月09日 | 自然 季節
           

「局地的」いう言葉で天候の異常予報が発せられる。その典型は豪雨。乾ききった大地やかっての集落が現れるダムの姿に雨は欠かせないが、異常な降雨には被害も発生しする。この夏も各地の局地的豪雨が報道された。

それは豪雨だけではない。曇り予報を信じ出かけた先は猛烈な日ざし。窓から見える紺碧の空のグラデーションは夏そのもの。白い雲は暑さから逃げるように急ぎ流れて行く。アスファルトからは陽炎が立ち上っている。空気もカラカラだろう。

現在は雲のレーダー観測で局地的な予測が出来るという。「九州の東シナ海沿岸を雨雲が通過中。パラパラ・サーッと雨を降らせています。東シナ海沿岸では今日は雨が降ったり止んだりする天気が続きます」こんな予報をネットで知ることができる。画面で雲の状況もわかり、面白い。

入道雲や真っ黒な雲は激しい雨を降らせる予測を、巾の狭い川で楽しむときは上流の天候と雨量を、初めての土地では天気予報を、など局地的豪雨、ゲリラ豪雨から身を守る策を知って残りの夏を過ごそう。

(写真:フロントの反射が暑さを助長)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう少し

2011年08月08日 | 生活・ニュース
           

にわかに涼しくなるわけではないが今日は立秋。炎暑猛暑の中でも木陰や日のかげり、一筋の風にも秋を感じる、というのが日本人の季節感だろうか。朝、窓を開けたとき少しひんやりとしたやさしい風を感じた。今日から秋、そう思わせる自然に敬服。

朝顔など庭の花にミニトマト、ピーマンにも水をたっぷりとやる。小さな庭木にも頭から水を浴びせる。ひと時、周りに涼を感じる。花の茂みに潜んでいた小さなバッタが飛び出し、そこらを跳ねて逃げ場を探す。ただ、腕や足に蚊は遠慮なく止まり来る。

「子どもはどこにいっちょるんじゃろうか」、強い日ざしの中、道行く人も少ない通りで知人の呼びかけ。近くのプールは静かで声がしない、川で水遊びする姿もない、ここらで虫とりは出来ない、ないないづくしになるが、本当に静かだ。

暑さもあと少し。幾株かが少しこじんまりとした花をつけているバラ。もうここらでサヨナラしなければ、次に咲く花に迷惑をかける、と管理してくれる人を待っている。散らせるにはおしい、しかしそれが後世のためという。もう少しと言いながら、いつまでもしがみ続けている人に教えてあげたいものだ。

(写真:少なくなった花数のなかで目についた一隅)
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の米価は

2011年08月07日 | 生活・ニュース
           

食料の自給率の低さが指摘され始めて長い。目に見えた改善は果たされていない。それどころか自然災害による不作、中山間地の過疎化の進展による就農者の減少など、日本の食糧環境改善の途は厳しい。

米の収穫期が近づいてきた。今年は福島第一原発事故に関連し、東北の稲作地帯のみならず広い地域で放射線による収穫や出荷見送りが懸念されている。農家のみならず、日本の食にとって厳しい状況にある。新米が登場しないうちに古米を買い占める人も多いとか。

市内のある公民館で「天明後米一俵価格表」という一覧を目にした。天明元年(1781年)から昭和57年(1982年)までの各年についての価格を知ることができる。出典については注記がされているのでそれを信じることになる。

明治元年は2円39銭、大正元年は8円38銭、昭和元年は15円14銭となっている。1万円を越えたのは昭和48(1973)年で10218円とある。別の資料では以降値上がりし昭和60(1985)年が1万8千円を超え最高。以後値下がり傾向が続く。平成元年は16743円。昭和17年以降は政府買い入れ価格と注記がある。

日本人の主食である米、近郊でも早い稲田では穂が風に揺れている。昔より植え付けも刈り取りも時期が早くなった。自然災害を受けることなく順調に育ってほしい。また、関係地方の放射線の影響の少ないことを願っている。

(写真:米1表の価格一覧の一部)
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

66年前の朝

2011年08月06日 | 回想
           

食糧のたしにと庭に植えられたカボチャ。それを眺めている祖母を窓のガラス越しに見ているときだった。

目の前が真っ白に光った。祖母が玄関へ転げるように走った。窓の側へ来た祖母が「何じゃろうか」と言った。しばらくして鈍いがドドドと押し寄せるような振動、それにつれてガラスが小刻みに揺れ、ビビビィーという振動音を発した。

「新型爆弾が落ちた」という。それが「原子爆弾」と知ったのはいつだったか記憶にない。それなのに、66年前の新型爆弾が投下された我が家のことはしっかり記憶にある。5歳になる直前の出来事だ。我が家は広島からおよそ40キロ離れたとこにあった。

父はその日、公務で広島市へ同僚と自転車で向かった。原爆で被災され避難される人の波で、宮島あたりから自転車を押して広島へ向かったそうだ。被災した人、街の様子など目にした父は、その多く話さなぬまま50代半ばで亡くなった。入市被曝で交付された原爆手帳返却の時、亡くなるときの症状を詳細に尋ねられた。

限りなく、繰り返し言われてきた核兵器のない世界。その実現への途は糸ほども開けていない。先ほどから聞こえ始めた花火大会の音。つんざき震わせる音、そこには戦火に通じることがないことを知っているので怖さはない。原子核の炸裂音の無い世界を願いながら、ベランダから高く上がった虹の花を見た。

(写真:花火打ち上げの準備、左方に仕掛けなどが準備されている)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会話するカーナビ

2011年08月05日 | 生活・ニュース
           

カーナビは県境を越える時「○○県に入ります」とアナウンスする。備えられている通りだが運転側は間違いなく教えられている。何度も通り慣れた道でも、おっここまで来たか、そう気付かせてくれる。投資の見返りと思えばそれまでだが、心強い。

県境近くに住むと、普通は隣県という意識を持っていない。高価で大きな買い物、大きな専門病院などは隣県をたよりにする人は多い。そんなとき特に県外を意識していないが、県境に架かる橋の中ほどで教えられると、隣の県だと改めて思う。

カーナビはなくても運転できる。昔はそうだった。昔々は今は通用しないが最近の三種の神器はパソコン、携帯そしてカーナビと書いた人もいる。ちょっと首を傾げたくなるが、最近はカーナビを備えない車は少ない、とは売る側の話し。

いつも運転しているのでカーナビ付きの助手席に乗ると楽しく面白い。知った街中では食べ物屋を思い出したりする。知らない街では名前を知っている名所はこの街のはずれだが、など助手の勤めを完全に忘れている。

やがて、運転しながら「ここらで美味しい食べ物屋さんは」とカーナビに問いかける。すると「1キロ先の信号を左折」と案内してくれるようになるかもしれない。煩雑な検索とセットから解放されるとカーナビを本当の助手に出来るのだが。

(写真:弥栄大橋の上で、向こう側が広島県)
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイうちわ

2011年08月04日 | パソコン講座
           

夏場の節電、省エネはいわれ続けてきたが、今年の取り組みはこれまでになく、細かないき届いた徹底を求められている。発電量が少ないからということでなく、常に心がけていればいいが、消費癖が強く身についたこれを節約型に切り替えるのはなかなか難儀なこと。

それでも電力の使用量予測に対し80%前後の使用量で推移している。何でもやれば出来る証明だろう。そこには世の隅々まで節電への取り組みが浸透しているということだろう。節電のし過ぎで病になることだけは避けなければならない。

涼を作りだす昔ながらのうちわ、今年の売れ行きはこれまでの倍以上という。扇風機の売り上げも例年のそれを越えるそうだ。節電に連れて節約にもなっている。

そんな背景と夏休みの宿題お手伝いとして、パソコンを使ったマイうちわ作りの講座が開かれた。受講は年中さんと小学1年から6年までの児童14人、パソコンのマウス操作未経験者なし、現代っ子だ。おもいおもいの絵をパソコンで描き、プリントしてうちわの骨に張り付け完成。みんないい図柄、みんないい顔をして終わった。

(写真:マイうちわを振って完成を喜ぶ児童)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これなあに

2011年08月03日 | ウオーキング 散歩
           

ウオーキング、歩数とその距離を伸ばすためどんどん歩く。そう、専心それに努めると脇目も振らず腕を振る。10年前に比べ、同じ距離なのに歩数と時間が伸びた。ということは歩幅が狭くなったということ。そこに感じるのはここまで過ぎた年月に体が似合ってきたということだろう。

ゆっくり歩く。珍しいもの、初めてのもの、古い民家の解体、古い家の庭木の剪定、収穫されない柿やびわの実、高い空に真っ白な直線を引きながら飛ぶ米粒ほどの飛行機、公園や道沿いの四季の移り変り、今頃は入道雲の動きも面白い…、とにかく何でもいい。その気にそって歩くと「あっ、こんなところに」となる。

先日は桜の木。今は葉を茂らせ来る春への備えをしている。そんな木にもご苦労様、と声をかけたいほど傷んだ古木がある。幹に大きな空洞が出来るのは、吉野桜の宿命という。大きな空洞、樹皮がはがれむき出しの乾いた幹を見ると、世代交代を促したい。

その乾いた幹に何かしらくっついている。1センチくらいで頂部に穴があいている。虫の抜けがらだろうか。何カ所にもある。100個とはいうまい。そんな木が何本もある桜並木。花の時期には全く気付かない。こうしてゆっくり歩くのは珍しいブログのネタ探しかもしれない。

(写真:桜の幹に付いている何かの抜けがら)
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清流に願い

2011年08月02日 | 自然 季節
           

昔こわいのは「地震・雷・火事・親父」。その最後が言われなくなってもう長い。また、最近は草食系男性などの呼び方が世にはばかっている。かっての力の権威は霧散したのだろうか。男女共同参画が叫ばれて何十年、その効果がジワリと現れたのかもしれない。

しかし、残る3つは変わらない。特に地震、3月11日の東日本大地震は記憶から消えることはない。今は、昔のようにその怖さやすごさを伝え聞く時代ではなくなった。映像は、いま眼の前で起きているように映し出す、それを繰り返しくりかえし。音も伝える。黒く高く押し寄せるあの津波には言葉を失った。

近年のゲリラ豪雨は激しい夕立を幾十も重ねた威力だ。新潟と福島の濁流、冠水した稲田、家に流れ込んだ土砂の惨さ、どこから手をつけるのかと、遠くからではあるが気になる。自然の威力は人知人力を寄せ付けない。

ここ錦川は穏やかな流れで、水は清流と呼ばれ、流域のすべてに恵みを与えてきた。しかし、何度かはその怒れる姿を目にしている。一番印象に残っているのは名勝・錦帯橋を流失させた昭和25年のキジア台風による増水だ。

錦川は今日も静かに流れている。恵み豊かな流れを見ながら、明日もその次もそうあって欲しいと、さざ波を見送った。

(写真:ゆったりと流れている錦川)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする