小学校の側を通りかかったときその運動場には沢山の車が停まっているのに気づいた。陸橋を渡りながら見ると「満車」状態になっている。学校で参観の行事があるのだろうと思いながら通りすぎた。
この歳になり、自分の子どものころを思い返すのは単なる懐古趣味といわれるだろうが、日々変わる時代の変化を認識しながらも懐かしむのはそこに何かの思いがあるからだろう。
その昔、参観日に行く親は遠くは2㌔も3㌔も歩いて子どもの教室へ向った。その行き帰りに親同士の会話があった。運動場の駐車の様子からは行き帰りの親同士の会話は望めない。
学校の行事、給食の献立、いまどんな活動をしているか等など学校の様子はカラー写真入りの学校HPで見れる。ガリ版刷りの学校便りなど今では想像できないだろう。そのころガリ版は立派で大切な備品だった。
ガリ版刷りを手伝っているときこんな事があった。ローラーで印刷中に誤って原紙が破れた。その時の担任の「怒るに怒れない残念そうな顔」をかすかに憶えている。
ガリ版、正式には謄写版という。特殊加工した原紙をやすり版の上に乗せ、鉄筆というペンで字を書く。原紙の塗料が剥げて透かしが出来る。書き終わった原紙を木枠に貼り付け、インクの付いたローラーで印刷していた。原紙は1度使うと捨てる。文字を間違えると蝋で塗りつぶして書き直した。
こんな懐古をしながら、何度でも削除と入力を繰り返しながらパソコンと仲良くしている。時代は変わったのだ、と言い聞かせながら。
(写真:満車状態の運動場、きちんと並べられているのは気持ちよかった)
確かに原紙にはマス目があり、ガリギと音がする度に白い文字が並んでいきました。昔は字の上手な先生ばかりでした。いや今もおられますよ。