日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

街はどう変わる

2018年01月16日 | 地域

 写真は1626(寛永3)年に創建された氏神様の椎尾八幡宮の石段を80段余り上がったとこから撮ったもの。ネットは転落防止用に設けられたもので、眺めより事故防止が優先のあかし、安心してお参りできる。近々発生すると予測される大地震で、津波が発生し避難するときはここの境内か最適かと時々思うことがる。

 パノラマ写真のいたずらで湾曲して見える手前の道は錦帯橋バスセンターから岩国小学校までの片側1車線の直線道路。中央で奥に直線で伸びる道は臥龍橋通り。何れも昭和30年代の初めころに完成した。臥龍橋通り、かっては昭和時代の商店街で、道幅は狭く、雨の日の登下校時にバタンコが通れば商店の軒下に避けた思い出などがある。防火帯と教えられたが、幸いにもこれまでその役目を担うことは起きていない。最近、駐禁にすべく検討中と聞いた。商店にとっては大きな問題、運転者には朗報、どうなるだろう。

 中央部の更地、ここには1924(大正13)年2月に移転・再建された錦座、後の錦帯劇場のあったところ。変遷をえてスーパーとなり地元には欠かせない存在だったが数年前撤退、地域の人らは買い物難民と笑いながら話すが状況は変わっていない。更地には観光客向けの錦帯橋テーマ館らしき建設計画があり、建設に賛成する近隣は少ないという声を聞くが工事準備は始まった。

 城下町と称される一帯、子どものころの賑わい復活は無理でも街並みを活かした策はないだろうか、最近、錦帯橋近くで閉店し灯りの消えたガソリンスタンドの大きな店舗が賑わっていたことを思い出しながら散歩をしている。
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