日々のことを徒然に

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狛犬と阿吽

2018年01月02日 | 社会 政治

 氏神様の鳥居をくぐり境内に踏み入れると先ず迎えてくれるのが一対の狛犬。犬とついているが私には一対の獅子に似ているような像にみえる。魔よけのためともいわれる。 

 狛犬の姿は置かれている場所で姿かたちは違っているが口の形は同じで、右側像がぐわっと口を開き、左の像がぎゅっと口を閉じている。口を開いた方が「阿」像、口を閉じたほうが「吽」像で、この一対で、息のピッタリ合うことを「阿吽(あうん)の呼吸」を体現するという。文字にせず、言葉にせず、口にせずとも微妙な気持ちが伝わり「忖度」へと発展しかねない密室の政を狛犬は見抜いて欲しい。

 阿吽の呼吸といえば大相撲界となる。「大相撲すったもんだの年の暮れ」、これは昨年末に投稿欄に載っていた川柳だが、幾つもの糸が絡み合いもめるさまが詠まれている。土俵上での力士の立ち合いは「阿吽の呼吸」といわれ、合わなければ仕切り直しになる。報道だけで断じてはいけないが、相撲協会内の阿吽の呼吸がないばかりか、いくつもの忖度要因があるように感じる。軍配を上げて決着するのかそうでないのか、国技の発展に支障ないよう勝負をつけて欲しい。

 阿吽の阿は50音の最初なので1月、吽はその最後師走12月をそれぞれ表すという。この想像上の動物が年間を通して魔よけとして地域の鎮守の神の役割を担っている。最近、狛犬の研究や調査がちょっとしたブームとかで吉香公園でも行われたニュースをみた。これからは神社を訪れることがあれば撮っておこう、初詣がその初めになった。
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