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日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ラジオ放送

2015年04月10日 | 回想


 1925(大正14)年3月22日が放送記念日とされ、今年はラジオ放送開始から90年になる。1923年の関東大震災の発生がその必要性を高めたという。世界初の正式なラジオ放送は1922年11月にアメリカではじまった。通信放送の技術進歩は目を見張るばかり、アナログでノイズの増えた高齢者にはその後追いも難しい。ラジオからの時報に掛け時計の針を合わせていた。 

 子どものころのラジオは真空管式なので外観は結構な大きさだった。小学校低学年のころの戦災孤児を扱った連続放送劇「鐘の鳴る丘を」は夕方の楽しみだった。緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台・・・、で始まるテーマ曲は今も口ずさめる。資料を見ると当初は生放送だったとある。ニュースも野球放送も歌もとにかく耳から得ていた。祖母は講談や浪花節を良く聞いていた。広沢虎造の短いセリフも暗記した。

 その時間になると女湯が空っぽになる、といわれた連続放送劇「君の名は」は1952(昭和27)年の今日、4月10日にスタートし約2年続いた。東京大空襲の際に出合った男女のすれ違いを描いたもので「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という冒頭のナレーションは、意味の解らぬままに記憶していた。

 そんな時代、携帯ラジオなどはない。夏休みのラジオ体操は、集合広場に接した家のラジオをつけ窓を開け音量をあげてもらって体操した。毎年のことなのによく協力してもらえたと思う。首に下げた出欠表のスタイルは昔も今も変わらなく懐かしい。災害時、停電しTVが使えないときの情報はラジオ、我が家も1台、携帯ラジオを枕元に置いて寝る。
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