日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

今ころの雨言葉

2015年04月21日 | 自然 季節

 昨日から立夏までは「穀雨」。二十四節気のひとつで「春雨が降って百穀を潤す」ことから名づけられたという。雨で潤った田畑は種まきにいい時期を迎えることになる。農家の人の話では穀雨になると霜が降りにくくなる代わりに雨の日が多くなるそうだ。穀雨を裏付けるかのような雨、市内の北部山間部では100ミリ近い雨量に達した。市街地では時折強い雨足は見られたが、気遣うことはなかった。

 「雨で折角の花見が出来なかった」という愚痴を聞く。花散らしの雨が続き人出もまばらだったので愚痴は仕方ない。お叱りを覚悟でいえば「愚痴を文芸にしたのが川柳」と説く御仁がいる。愚痴を吐きそれを聞き共感してもらえると気持ちが休まるだろう。聞く人がいなければ川柳に変えると精神の安定を図れるかもしれない。

 雨、雨と愚痴っても仕方ないが、穀雨のころの雨言葉が幾つもあることを知り昔の人の雨への深い思いに感心した。農作物や草木を潤し成育させるほどよい雨は「膏雨(こうう)、甘雨(かんう)、慈雨(じう)」という。土を肥やす長雨は「沃霖(よくりん)」、タケノコの生えるころの長雨は「筍梅雨(たけのこづゆ)」、春雨と梅雨の中間の長雨は「迎梅雨(げいばいう)」という。

 膏雨は「農作物をうるおし育てる雨」、甘雨は「草木をうるし育てる雨」、慈雨は「ほどよく物をうるおし育てる雨、ひでりつづきの後の雨」。沃霖は「田畑をうるおす雨、よいおしめり」など、微妙な感覚の違いがおり込まれた雨言葉に古人の深い観察眼と自然への畏敬の念を感じる。自然を自然のままに受け入れる、そんな素朴さが今は欠けているのだろうか。
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