みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

様々な奉仕

2011年04月30日 | 歴代誌第一
1歴代誌9章28-44節

 主なる神の平安がありますように。

 日本ではゴールデンウィークが始まり、ニュースでは高速道路の渋滞を伝えていました。個人的にうれしかったのは、昨日東北新幹線が全線で復旧したことです。やはり世界中を湧かせたのは、英国の「ロイヤルウェディング」でしょうか。

 1歴代誌の系図読みもきょうで終わり。系図は人の名前が延々と連なっていて読みにくい箇所です。けれども、一つ一の名前には、それぞれの人生があるのです。もし、一人ひとりの人生の克明な記録を見ることができるのなら、無味乾燥とか、読みにくいとかいう感想はどこかに吹き飛んでしまうことでしょう。

 「様々な奉仕」という「みことばの光」」のタイトルにあるように、きょうの箇所では、礼拝の再スタートのためにレビ人が様々な奉仕に携わっていたことを確認できます。
 マティティヤがつかさどった「手なべの仕事」は、ある英語訳の聖書によれば「ささげ物のパンを焼く責任」とありました。主への礼拝のために、ある人はパンを焼き、ある人は香料の調合に「昼となく夜となく」携わっていたのです。
 明日の礼拝でも、それぞれに神が与えられた賜物がゆたかに用いられますように。



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神の宮の門口に立つ

2011年04月29日 | 歴代誌第一
1歴代誌9章1-27節

 復活の主の平安がありますように。

 4月29日は、通っている教会のバザーの日。気温は低めですが、絶好の「バザー日和」です。ブログを更新している部屋の階下では、行田のぞみ園のご家族が赤飯を作成中。にぎやかな笑い声が聞こえてきます。
 今回のバザーの収益は、すべて大震災被災地のために送られることになっているので、いつもよりもさらに意気込みが違う、そんな印象です。
 朝、一本だけあるぶどうの若葉が一面に。写真をアップしておきます。Photo

 1歴代誌9章は「全イスラエルは系図に載せられた」ということばで始まります。さあ、これから神の民として礼拝を再建していくのだという意気込みが感じられます。しかも、「いろいろなことがあったけれども…」とお茶を濁すことなく、「ユダは、不信の罪のために、バビロンに捕え移されていた」と明記します。
 罪を犯した人々が、神のあわれみによって贖われて、再びエルサレムに住み着くことができる…。これを忘れてはならないということなのです。
 
 印象に残ったのは、エルサレムの神の宮の門衛たちです。「彼らは神の宮の回りで世を過ごした。彼らには任務が課せられており、彼らは朝ごとに鍵を開けた」(27節)とあります。
 「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです」という詩篇84篇10節のことばを思い起こしました。
 「朝ごとに鍵を開ける」とは、私たちにとってどのようなことなのでしょうか。


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エルサレムに住んだ

2011年04月28日 | 歴代誌第一
1歴代誌8章

 神からの平安がありますように。

 この時期は、花だけでなくて、若葉の美しい時期です。昨日、往復2時間ほどのドライブをしました。私の住む所は関東平野の中にあって山といえば高さ20メートル足らずの古墳ぐらいしかありませんが、30分ほど車を走らせると平野の西の縁。丘陵や低い山の間を道路が通っています。
 薄い緑色、少し濃いめの緑色…。詩人ならもっとステキな表現ができるのに…! 山々が緑のグラデーションでした。
日本の呼び方では、黄緑、若草、若苗、萌黄(もえぎ)、若菜、若葉、…。緑色だけで何と多くの呼び名があることだろうと、驚きました。緑の帯も北上中です。

 1歴代誌8章は、ベニヤミンの系図。「みことばの光」にあるように、創世記や民数記にある同部族の系図と一致しているわけでなく、突然「エフデの子は…」などと出てくるので、正直読みにくい箇所だと思います。
 ベニヤミンは、ヤコブの末っ子。エジプトの総理大臣となったヨセフとは、ラケルという同じ母親を持ち、それゆえにヨセフがその安否を気遣っていたということで知られます。
 「みことばの光」によれば、歴代誌に比較的長くベニヤミンの系図が載るのは、イスラエル最初の王、「サウル王の先祖をたどるという意味…」であり、「バビロン捕囚から帰還しエルサレムを再建するうえで、ユダ族やレビ族と共にその書くとなる人々であったから…」です。
 「エルサレムに住んだ」ということばから地図で確認すると、エルサレムはベニヤミン部族の割り当て地にあるのですね。

 

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災いの中から

2011年04月27日 | 歴代誌第一
1歴代誌7章20-40節

 よみがえられた主からの平安がありますように。

 今朝のウォーキングでの美しい一コマ。満開の藤の花。公園のさつきもいつの間にか満開になっていました。

 歴代誌の系図。きょうの箇所はエフライムとアシェル族の子孫たちの名前を読みます。エフライムはマナセとともに、ヨセフの子どもたち。父エフライムは、子どもたちを殺されるという体験をします。その後、与えられた子どもには、「わざわいいの中で」という意味の「ベリア」と名づけます。エフライムの嘆きの大きさを思わせる名前です。
 
 ところで、ベリアは自分の名前をどのように受け止めたのでしょう。想像ですが、「わざわいを祝福に」変えるように、神に信頼して歩んだのではないでしょうか。娘のシェエラはいくつかの町を建て、息子の子孫にはあのヨシュアの名前があります。
 もしも、ベリアがわざわいを克服できず、親を恨み周りを恨んだのならば、信仰の人でありモーセの後継者となったヨシュアは世に出なかったとも考えられます。

 きょうの「みことばの光」の「『家族が悪いので、自分は…だ』などと不満を持っていないか」という問いかけは、考えさせられます。

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系図に載せられた者

2011年04月26日 | 歴代誌第一
1歴代誌7章1-19節

 よみがえられた主の平安がありますように。

 この春大学に入学した青年に、「大学はどう?」と尋ねたら、「いや、まだ始まっていないっス」という返事が。聞くと、大震災の影響で入学式が30日に延期されたとのことです。
ともあれ、彼はこれから4年間はその大学に籍を置き、やがて卒業者として名を残すことになります。がんばれ! と主にあって声援を送ります。

 歴代誌の系図読みも7章。あと少しですね。
早朝の祈祷会で祈りました。
 「…ここに出てくる人々について、それがどんな人なのかはほとんど分かりません。でも、もしこのリストに自分のお父さんの名前を、おじいさんの名前を見つけたら、聞いていた人たちはどんなにうれしかったでしょう。」
 確かに、自分の父祖の名が「勇士」であったとして系図に載せられているとしたら、喜ぶだけでなく、自分も…と力が湧いてくるように思うのです。

 繰り返しになりますが、大きな流れとしてこれらの系図は救い主イエス・キリストヘと向かっています。そして、さらに系図はイエス・キリストを信じた人々の膨大な前として今に、未来に至っていると考えると、少しは前向きに系図を読むことができるのではないか、と考えてみました。

 「ただあなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカの福音書10章20節) 



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