みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

普段の生活を

2016年03月14日 | テサロニケ第二

テサロニケ人への手紙第二 3章

 「主の日が来る」ことをめぐって混乱するテサロニケの教会に、「終わりに」としてパウロは何を語りたいのでしょうか。私たちのために祈ってほしいと祈りを要請し、締まりのない生活をしている人々には静かに仕事をして自分で得たパンを食べよと戒め、兄弟たちにはたゆむことなく善を行えと勧めています。

 とりなしと仕事、そして善を行うのは、キリスト者の普段の生活そのものだと思いました。おいでになろうとしている主を待つのだから、しっかり構えて普段とは違う特別なことをするようにというのではなくて、自分の目の前に主が置いていてくださるみこころを行うようにと勧めているのです。

 私たちの日常の生活で身についていることが大切なのだということに気づきます。先日、前任の障がい者支援施設で監査があったとの話を聞きました。監査は無事に終了し、いくつかの改善点を指摘はされたけれども、「これからも、このように続けるように」とのことだったようです。「それっ! 監査だ」とばかり、付け焼き刃的にしたことは、監査を乗り切るためのものでしかありません。

 毎日の積み重ねは力になるのです。それが主をお迎えする備えなのだということに改めて気づきます。

*公園で見かけたリスです。ズームしたので画像が荒れているのですが…。

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そのとき

2016年03月12日 | テサロニケ第二

テサロニケ人への手紙第二 1章

 1月はとてもゆっくりと日が経つように思いましたが、2月3月になると逆に早く一日一日が過ぎ去るように感じます。きのうは東日本大震災から5年経った日。もう5年…と思う人もいるし、まだ5年…と感じる人もいることでしょう。

 迫害と患難の中にあって、「そのとき」を待ち望みながら過ごす「いま」は、長く感じるのか、あるいは短いと思うのか、どちらなのでしょうか。テサロニケのキリスト者たちは、そのような中で「相互の愛が増し加わっている」と信仰が成長し、迫害や困難に耐えていたのです。だからこそ、主が再びおいでになる日が来るのを強く待ち、待ち焦がれて、すでに来たかのように言う者や、聞いて落ち着きを失うような者たちもあったのでしょう。

 このような誤りを正そうというのが、この手紙が書かれた目的です。「みことばの光」3月号28−29ページに「テサロニケ人への手紙第二を読む前に」があります。その中に、パウロたちがこの教会に続けて二通の手紙を送った理由について、「一回伝えて万事うまく行くなどとは考えない。…生涯にわたる信仰生活で重要なのは、一度の決定的な体験よりも、地道な日々のみことばの学びである」とのことばがありました。

 いまが厳しければ、劇的な救出体験を待ち望むという気持ちは確かにあります。そのような中で、日々コツコツとみことばに教えられることこそ、浮き足立たずに居続ける鍵なのだと思います。

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私たちのために祈ってください

2011年03月19日 | テサロニケ第二

テサロニケ人への手紙第二 3章

 主の平安がありますように。
 昨晩はお休みになれましたか。

 筆者が携わっている障がい者の就労支援施設では、ここで作る300枚のパウンドケーキと90袋のクッキーを、きょう岩手県陸前高田市に向かう方に託しました。 多くの被災者の数からすればほんのわずかなことです。
しかし、たくさんの方々の温かな心に支えられて施設を維持している私たちとしては、このようなときに支える側に少しでも立てたらと願っています。 これからも続けます。

 ここでは毎日いろいろなドラマが起こります。昨日は、ケーキを作る人が「ぼくはケーキ職人だ!」と言っていました。プロの自覚を持ってのことばに、スタッフは驚き喜んだとありました。

 関東でも余震が続いています。今も揺れを感じながら綴っています。一刻も早く、いのちをつなぐ燃料と食べ物と住まい、それに医薬品が届くように祈りつつ、できることをしています。

 きょうの箇所は、この手紙の作者パウロの「私たちのために祈ってください」(1節)ということばから始まります。どんな人も祈りを必要としている、神の助けを必要としていることを改めて思います。祈りを必要としていない人はひとりもいないことがわかります。
 だれかに祈られている私、私が祈っているだれかが、この日も神の助けをいただいて歩めますように。

 

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心を慰め、強めてくださいますように

2011年03月18日 | テサロニケ第二
テサロニケ人への手紙第二 2章

 主の平安を祈ります。
 
 東北や関東地方ではなお余震が続いています。昨晩はお休みになれましたか。
 昨日、同窓の牧師さんが援助物資を積んで関東と仙台を往復されました。
 被災地では一昨日からの雪と風で厳しい寒さが続いています。私に少しでもできることとして、部屋の暖房を停め厚着をして過ごしたり、夜は早く休むようにしています。

 原発の放射能漏れを食い止めようと懸命に努力している現場の方々に、続けて神による支えがあるようにと祈っています。

 きょうの箇所では、主の日がすでに来たかのように浮き足立っているテサロニケの教会に、パウロが「すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください」(2節)と勧めています。そのまま、私たちの今に届けられたメッセージですね。

 そして、パウロの願いを込めた祈りのことばがこの章の終わりにあります。
「どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、
あらゆる良いわざとことばとに進むよう、
あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。」(16、17節)

 この祈りのことばに支えられて、一日を歩みたいと思っています。
 

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いつも…祈っています

2011年03月17日 | テサロニケ第二
テサロニケ人への手紙第二 1章

 主の平安がありますように。

 福島第一原発の事故を最小限に食い止めるための懸命の努力が続いています。そのために着の身着のままで遠くまで避難しなければならなかった人々がいます。原発の最も近くにある教会の牧師がお書きになった、16日付けの報告を読みました。その教会のうちの60人ほどのメンバーが会津若松市に移動。きょうはさらに米沢に移動されるとのことです。
 移動が無事に行なわれますように、お祈りいたします。

 原発の事故がどのようになるのか、人々は息を潜めて事態の推移を見守っています。

「みことばの光」、本日はテサロニケ人への手紙1章。
「そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。
 どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、
 また御力によって、
 善を慕うあらゆる願いと信仰の働きを全うしてくださいますように。」(11節)

 困難を生きる信仰者を支えるみことばです。被災地にある主にある方々のために祈ります。案じておられる同信の方々、祈ってください。
 お互いを主のお召しにふさわしい者として、このような中でこそ希望を捨てずに、善を求め、信仰の働きを全うさせていただけるようにと。

 「主よ。困難にも耐えて、善と信仰に励む信者であらせてください。」
                (「みことばの光」の祈りのことば)



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