みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

幸せな晩年を過ごし

2021年06月09日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 29章20―30節

 久しぶりにお二人のお宅を訪ねました。一人は少し高度の高い町に住んでおられます。蒸し暑さを覚える一日でしたが、さすがにそこは涼しかったです。日本は暑いと報じられていました。

 歴代誌前半はダビデからソロモンへと王位が継承されるところで閉じられます。列王記第一に描かれるダビデの晩年を読むと、ダビデの衰えを覚える表現が見られます。しかし、ここではダビデが「絶頂期」にいるかのように描かれています。「彼は幸せな晩年を過ごし、齢も富も誉れも満ち足りて死んだ」という28節に目が留まります。

 歴代誌の記者は、ダビデの真実を隠し、美点だけを脚色して描こうとしているのでしょうか。そうではないのだと思います。ダビデのさまざまな出来事、事件については、すでに歴代誌を最初に聞いた人々は知っていたことでしょう。あえてそこには触れずに、ダビデが神に信頼して「国造り」をして王としての権威を確かなものにしたことと、彼の代で王位を終わらせることなく、ソロモンに継承されたことがここでは強調されています。

 父祖たちの信仰による歩みを、これから国を建て直そうとしている人々が継承していくこと、しかも、それがさらに次の世代へと継承されていくべきだという、歴代誌記者の思いが表れているのだと、ここを読みました。

 私が神から賜わった救い、信仰の歩みを、次の世代へと継承するという責任をここから考えます。また、「満ち足りて死んだ」がすべての信仰者に共通するものでありたいとも願います。


すべてはあなたのもの

2021年06月08日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 29章1−19節

 公園内に架かる橋の欄干に、子どもたちの絵が展示されていました。テーマは「わたしのゆめ」。プールに行くこと、お友だちと遊ぶためのお家を持つこと…、たくさんの夢が描かれています。「青空美術展」!

 ここには、神殿建設の必要のために、ダビデが主に献げ、それに続いてダビデのそばにいる人々が率先して多額の富を主に献げたことが書かれています。

 ダビデが献げたのは「オフィルの金」とあります。ヨブ記22章24節には「あなたは黄金を土のちりの上に置け。 オフィルの金を川の小石の間に」とあり、同じ28章16節では「オフィルの金によっても値踏みできない」とあります。それほど貴重なものだったことが分かります。また、オフィルはどこかということについても諸説あり、今のイエメン、またオマーン、さらにはアフリカのソマリランド、インドではないかと推測されているそうです。

 ダビデは一貫して、自分が献げたことや人々が献げたことを誇りにすることなく、神をほめたたえ、自分たちがこのようにできたのは、神の御手から出たことなのだと祈っています。

 17節から、王としてのダビデの喜びがどのようなものなのかをうかがい知ることができます。真っ直ぐな心を主が受け入れ愛されること、自分も人々も真っ直ぐな心で主に献げることができたことを喜んでいるのです。心をご覧になり探られる神の前で、自分が思うこと行うことが真っ直ぐなのかと、問い続けていく必要を教えられます。 


神が与えた設計図

2021年06月07日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 28章

 土曜日に、思い立って羊羹を作りました。YouTubeでも羊羹作りを紹介してくれる作品がいくつかあって、そのとおりにしてみました。無事完成! 味見をしますと食感は水羊羮に近く、甘さも控えめ。どうしたら、あの深みのある羊羹が作れるのだろうか…と興味は尽きません。奥が深いですね。

 主から神殿を建てるのを禁じられたダビデ。国を治め、周辺の国々をも平定して、王としての権威を確かなものにしていたダビデは、自分があれほど願っていた神殿を建てるということを断念しなければなりませんでした。しかし、建築への熱情は止むことなく、国の指導者たちと王位継承者ソロモンを呼び、神殿建築を促し、励ましています。一つ一つが今の私たちにも通じる、力強い励ましのことばです。

 神はダビデを用いて、実際に神殿の建築に携わろうとしている人々への覚悟を促しておられるのです。度々書いてきましたが、歴代誌は、国を再建しようとしているイスラエルの人々にまず書かれ、読まれたものです。ですから、ダビデの力強い促しのことばはそのまま、歴代誌を最初に聞かされた人々への促しなのです。

 ダビデは覚悟をうながしただけではありません。神殿の詳細な設計図、仕様書のようなものを示しました。19節を心に留めました。「これらすべては、私の上に臨んだ主の手によって書き物になっていて、仕事の全貌が理解できるはずだ。」主が設計図、仕様書の作成を導かれたからと、ソロモンたちが進めていくうえでの形あるものをダビデは、いや主は、用意しておられたのです。

 一生懸命取り組んでいることに「NO」という答えを得たならば、どうするだろうかと自省しました。しばらく前、障がいを持つ方々がいっしょに生活するための施設のために建物を貸してくださる方がいて、契約を交わし、資金の手当もして、あとは理事会での賛成を得られれば進むというところまで来ましたが、理事会で否決。その時は全くやる気をなくしてしまったことを思い出します。その時は、予想もしなかった出来事(事件)のゆえに、建物を新築するというように話が展開していきました。神がしておられると思わざるをえないことが起こったのです。


天の星のように…

2021年06月05日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 27章1−24節

 木金と夕方に雷雨がありました。金曜日は外におり『大降りかな?」と思って軒下で雨宿りをしましたが、それほどでもないので、家に向けて歩き始めました。「滑り込みセーフ」といったところでしょうか。

 この章前半ではダビデ王の下で、12の軍団が整えられたことが書かれています。きょうの『みことばの光」が説くように、各月一軍団それぞれ二万四千人は、イスラエルの十二部族語とに編成されたのではありません。それは、各軍団を率いる人の出身部族に偏りがあることで分かります。12人のうち、ダビデ王が出たユダ部族からは6人が名を連ねます。それぞれの月に、二万四千人からなる軍団が全土でイスラエルを守るための務めに就いたのです。

 度々書くことですが、歴代誌はバビロン捕囚から帰還しておよそ100年ほど経った時に、国を再建しようとしている民のために記されたものです。その最初の聴衆、読者は、合計二十八万八千人にもおよぶ大軍団が整然と務めを果たすダビデ時代の話をどんな思いで聞いたのだろうかと、考えるのです。

 ほぼ同じ時代に預言者マラキが人々に語ったことと重ねてみますと、国の再建の機運はいつの間にかしぼんでいました。そのような人々に、歴代誌記者は神の祝福の大きさを軍団を読み上げることによって伝えようとしたのではないか、と考えるのです。

 23−24節を心に留めました。ダビデもヨアブも数を数えたことで神の御怒りを受けました。23節に「主がイスラエルを天の星のように多くすると言われた」とあります。つまり主は、数え切れないほどに…と約束されたのです。それなのに、ヨアブが数えたというのは、神の約束を信じていないことを意味するのです。

 神のゆたかな約束を、数えるということで縮めてしまっていることはないか、数えるのは自己満足のためではないのかと、問われます。


遣わされるレビ人

2021年06月04日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 26章20−32節

 日本に住む孫の1人が、15年以上前のノートパソコンでアンパンマンを描くのを中継してくれました。彼女のお母さんが学生時代に使っていたものです。今でもちゃんと動くのに驚きました。DTM(デスクトップミュージック)にも興味ありそうでした。

 ダビデが整えたレビ人の務めの後半には、主の宮の宝物倉の管理と、イスラエル全土を治めるための派遣が記されています。以前も書いたように、幕屋の時代にはレビ人の三氏族には、それぞれ主に移動の際になすべき務めが与えられていました。しかし、エルサレムに神殿が建てられるならば、それらの奉仕の必要はなくなります。

 しかしダビデは、彼らに新しい神殿にふさわしい務めを用意したのです。この箇所で目に留まるのは、レビ人がダビデ王国下にあるイスラエル中に派遣されるということです。カナンに定住したイスラエルは、12部族(レビ人は除き、ヨセフの子孫はマナセとエフライム)がそれぞれの割り当て地を得ました。ダビデはユダ部族から出た王なのですが、いわば身内のユダ部族の誰かを全土に派遣するようなことをしたら、いろいろな問題が生じる懸念があります。

 そこでダビデは、レビ人を派遣したのです。31節に、ギルアデのヤゼルでヘブロン人の勇士が見つかったとあります。ギルアデはヨルダン川の東岸にありました。ダビデの治世40年に見つかったということばが意味するのが、遣わされてしばらく経ったということであれば、彼らはレビ人として、エルサレムに神の宮が建て上げられるのを心待ちにしつつ、務めていたと想像できます。

 歴代誌記者がこれを記したのは、主がそのような務めをに就く者に目を留めていたということです。励まされます。


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