みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

遺すことば

2016年06月09日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 29章20-30節

 庭の芝刈りを終えた途端に、激しい雷雨。水撒きをしないで済みました。手動の芝刈り機ですが、何回目かでようやく要領がつかめてきました。でもまだ、「虎刈りふう」です。

 歴代誌の前半はきょうで終わり。系図で始まり、ダビデ王についての総括で閉じられようとしています。26−30節には、ダビデの王としての歩みがまとめられていますが、数節にわたることばの行間には、ダビデが経験した栄光、恥辱、欺瞞、悪事、喜び、悲しみ、憤り、葛藤などが織り込まれています。しかし、歴代誌の作者は、「彼は長寿に恵まれ、齢も富も誉れも満ち満ちて死んだ」とまとめます。神は、波瀾万丈のダビデの生涯をこのようにご覧になるのだということを考えました。

 「あなたがたの神、主をほめたたえなさい」ということばにも心が留まります。このことばは、歴代誌におけるダビデの最後のことば。これこそ、ダビデが自分の人生を通して神から賜わった最も大きな贈り物ではなかったでしょうか。

 ダビデはこれを次に託しました。

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自分をどこに

2016年06月08日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 29章1−19節

 いつも買い物に行くスーパーのレジで、カードを使用したのでサインを書くことになりました。ところが渡されたボールペンがインク切れでしょうか、書けません。すると次に並んでいた方が自分のボールペンを貸してくださいました。ニッコリ、どうぞと…。こんな親切はとても嬉しいですね。

 歴代誌も29章が終章。ダビデ王もここでいなくなります。ですから、この箇所はダビデの遺言のようでもあります。ここでダビデは、神の宮をソロモンが建てるために自分は喜びのあまり、全力でささげたと証ししています。そして、ダビデとともに歩む人々に主のために進んでささげるようにと呼びかけます。すると、人々も進んで莫大な金属を神の宮のためにささげたという記事です。

 ここを読んで思ったのは、ささげるということについてです。教会に、建物を建てるなど何か大きなものを購入する必要が出たとき、会計をしている係の方や役員が呼びかけます。そのようなとき、会計をしている方や牧師の顔がちらちらと見えたり、あるいは他の人はどうなのだろうかと気になったりするのではなくて、ひたすらに私たちの主イエスをおぼえてささげられたら…と考えるのです。

 もうひとつダビデの姿勢から教えられるのは、彼は決して「どうだ、すごいだろう」と微塵も誇ることがないということです。それはダビデの賛美の祈りの中に見られます。「私は何者なのでしょう」「すべてはあなたから出た」「私たちの日々は影のようなもので」ということばは、彼が自分を、自分たちをどこに置いているのかを教えています。

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神を知りなさい

2016年06月07日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 28章

 ドイツ語のレッスンのあと、川のそばでお昼をいただきました。そこに、鳥の親子の散歩に遭遇。写真を撮ろうとしたら、親鳥が口を開いて私を威嚇しています。雛を守ろうとしているのでしょうか。

 ダビデが後継者であるわが子ソロモンに、イスラエルのリーダーの前で訓戒を与えるというのがきょうの箇所です。歴代誌には、後継を巡っての「ゴタゴタ」は記されません(列王記第一1章を読むとこの辺りの顛末を知ることができます)。何度も書きますが、歴代誌が書かれた目的がダビデの時代のおよそ500年後の、バビロン捕囚から帰還した人々がエルサレムに神の宮を再建して礼拝を再び行うようにするということにありましたので、ソロモンの神殿がどのように建てられたのかに焦点を当てているのだと思います。

 心に留めたのは、ダビデがソロモンに与えた訓戒の最初が「あなたはあなたの父の神を知りなさい」ということばだということです。ソロモンはこれから神殿建設という大事業に取りかかります。父ダビデが資材や人材、資金、仕様書までを与えたのですから、ソロモンはそれほど苦労しないで建設の旗振りができるかというと、そうではないでしょう。完成までには、いろいろな問題が起こるはずですし、周辺諸国との緊張も決してなくなっているとは言えません。

 ダビデ自身、ソロモンが携わる事業がどれほど困難なものかは知っていたはずです。そのソロモンに、ダビデは開口一番、「神を知りなさい」と命じたのです。あれもせよ、これにも注意…などとノウハウを伝授すること以上に、神を知ること、神との深い交わりを何よりも大切だと思っていたのです。

 誰かに何かを引き継ごうとするとき、真っ先に何を伝えるべきなのかの答えがあります。

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ずっと仕える

2016年06月06日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 27章25−34節

 土曜日に当地の日本人学校、補習校の運動会がありました。天候が安定しない日が続いていますので、先生がた始めみなさんが心配しておられたのはこのこと。水曜日の祈祷会で、ある方が「よい天候を与えてください」とお祈りしていました。神が祈りをお聞きくださいました。感謝!

 25−31節には、ダビデ王が所有していた家畜や畑、宝物倉を管理する人々の名前が記されています。ダビデがたくさんのものを手にしていたのだということを覚えました。ここに名の記されているのは、その道に長けていた人々でしょう。彼らは自分のスキルをもって王に仕えていました。「みことばの光」は、ここから経済の大切さを説いています。

 32−35節に記されているのは、ダビデのすぐそばにいた人々。知恵袋もいましたし、子どもたちを預かる者も、将軍もいました。その前の段落と比べると、ここに登場するのはダビデの側近としての重要な存在という受け止め方もできます。

 けれども、ダビデの知恵袋のような人物、英知の人と呼ばれるような人物と、らくだをつかさどっていた人物のどちらがより大切なのかという比較は意味のないことでしょう。むしろ、後半の人物の中でアヒトフェルはダビデに謀反を起こしたアブシャロムの側につき、、エブヤタルはダビデを離れ、、ヨアブは悲惨な死を遂げます。そのようなことを考えながら、どのような立場にあるのか、どのような働きをしているのかということよりも、王に最後まで忠実なのかということに意味があると考えました。

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近くで、遠くで

2016年06月04日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 26章20−32節

 日本からのニュースで気がかりになっていた7歳の男の子が行方不明となったという事件は、無事発見で決着。安堵するとともに、子どもを育てた者の一人として家族がどんな思いでこの間過ごしていたのだろうかなど、いろいろなことを考えました。

 26章の後半には、神の宮の宝物倉、聖なるささげものの宝物倉を管理する務めを担う人々、国を治めるためにイスラエルを西に東に拡がって務めをする人々のことが記されています。宝物倉をつかさどる人々はエルサレムのまさに中心で働く者であり、一方はヨルダン川の西方に、また東方に拡がって働く者はエルサレムを遠く離れて務めをし続けます。

 神の宮に直接仕える者たちが尊い務めをしていて、遠くにいる者たちはそれほどでもないということではないでしょう。遠く離れた場所で「すべて神に関する事がら、王に関する事がら」を忠実にする人々も宮で奉仕をする者も、奉仕の意義には少しも軽重がなく、それぞれの働きのゆえに、イスラエルの平和が保たれているのだということを考えます。

 教会でも社会でも、人の目につく働きもあれば気づかれないような働きもあります。けれども、どの働きがより立派で、どの働きは少し劣るなどということは少しもありません。それは、働く者が誇ったり落ち込んだりするためではなくて、すべて主なる神のためのものだからです。主の目はエルサレムの近くにいる者にも、また遠く離れた辺境と言われる場所で仕えている者にも等しく注がれているということに、励ましを得ます。

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2011-2019© Hiroshi Yabuki