みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

聖別された民

2011年04月25日 | 歴代誌第一
1歴代誌6章54-81節

 復活の主の平安がありますように。

 イースターの日曜日はどのようにお過ごしになりましたか。
 礼拝の後、この4月に中学生になったお友だちと話しました。彼とは、少年野球チームの時、いっしょにキャッチボールをした間柄です。
 「キャッチボール、ほんとにうまくなったね。」
 「(ニコニコ)」
 「家で練習してたの?」
 「ウウン。」
 「もう遠慮しないでボールを投げられるようになったよ。」
 「コーチの教え方がうまいからじゃないの。(ニコッ)」
 「そ、そうか。(うれしい!)」
 今さら! ですけれども、ほめられるのはうれしいものですね。

 「みことばの光」は再び系図に戻ります。きょうの箇所は「レビ人の居住地」。相続地をもたないレビ部族は、イスラエルの12部族の中に住んだのです。「みことばの光」には、「彼らが12部族の中に住むことによって、民に聖と俗、清いものと汚れたものとの区別を指し示し、神を正しく礼拝することを教えた」とあります。P4210938_2
 キリスト者もまた、固まってではなくてこの国のあちこちに住んでいます。復活の主を証しするようにと、神さまがそこに置いてくださったのだと、改めて思ったことです。
 
 特に、被災地の教会が支えられるようにお祈りします。

 昨日の「巨大うさぎ」が小さ過ぎたようなので、少し大きめの写真をアップしておきます。





歌をもって仕えた人々

2011年04月23日 | 歴代誌第一
1歴代誌6章31ー53節

 十字架の主からの平安がありますように。

 受難週をどのようにおすごしですか。
明日はイエス・キリストの復活を祝うイースターです。イースターといえば…、卵、そして日本ではそれほど知られていないように思うのですが、うさぎなのです。
 とてもとても大きなうさぎの写真をお見せしましょう。P4210937_2

 福島市郊外から見上げる吾妻山(あづまやま)の中腹に出現する巨大うさぎです。雪が解け残るのがうさぎのかたちなので、昔から「吾妻山の雪うさぎ」と呼ばれ親しまれてきました。農家はこのうさぎを見ることで、春の訪れを知り、苗代に種蒔きを始めたともいわれるので、「種蒔きうさぎ」とも言われています。
 写真は、数年前に撮ったものです。桜と桃と、りんごと梨の花が一度に咲く、それはそれは美しい季節です。

 郷里福島は「うつくしまふくしま」というコピーのとおりに、自然の美しい土地。それが原発による放射能汚染におびえ、風評に悩まされているのを見聞きすると心痛みます。

 6章31-53節には、「ダビデが歌をもって主に仕えるために任命した人々(聖歌隊)の系図」があります。三人の代表者のうち、アサフは詩篇のタイトルに時々登場します。この人たちは歌をもって主に仕えたのですね。
 もし、この世から歌が消えてしまったらどうなのでしょう。礼拝から歌が消えてしまったらどうなのでしょう。想像もつかないことです。
 明日の礼拝で、主イエスの復活を祝う讃美歌や聖歌を心を込めて、新しい気持ちを持って歌いたいと思います。


 



神に仕える人々

2011年04月22日 | 歴代誌第一
1歴代誌6章1-30節

 神の平安があるようにと祈ります。

 昨日は「みことばの光」7月号の出張校正で印刷会社に出かけました。編集者としての働きを初めてちょうど1年、昭和を残す部屋で、原稿の最後のチェックです。ここで間違いを見逃すと大変。4時間近くがあっという間に経ってしまいます。いつまでも「新米編集者」などと言って甘えてはいられません。

 1歴代誌6章には、レビ部族の系図が続きます。1-15節はヤコブの三男であるレビから、バビロン捕囚からの帰還後に建て直す礼拝の中心的な役割を担うエホツァダクまでの系図が記されています。
 私たちの教会には、火曜日と金曜日に早天祈祷会があります。そこでは「みことばの光」の聖書箇所を読んだ後で、「みことばの光」を読みます。今朝は1-15節を1分足らずで読みました。レビからエホツァダクまでは、おおよそ1200年。それが系図を読上げると1分足らず。一人ひとりの名前にはそれぞれに人生の日々が重ねられているのだということを、思います。

 きょうは「受難日」です。イエス・キリストの十字架での御苦しみは私たちのため。「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」(1ペテロ2章24節)とのことばをおぼえ、それゆえに私たちが今、祭司の務めに就く者とされたことを感謝します。


戦いのときに神に呼ばわった

2011年04月21日 | 歴代誌第一
1歴代誌5章

 主の平安がありますように。

 肌寒い朝です。ウォーキングの終わり頃に通る公園の中、草の匂いがするなぁと思ってよく見ると、刈り取った跡があります。桜の花の後の景色の主役は緑色。日毎にその緑色が濃くなるのが、これからの楽しみです。

 5章は、聖書巻末の地図で確認しながら読むことをお勧めします。エジプトを出たイスラエルの民がカナンに定住する際に、ヨルダン川の東側に割り当て地を得たルベン、ガド、マナセの半部族の系図です。
ルベンは12人兄弟の長子であったが、罪を犯したために長子の権利はヨセフの子孫に移ったこと、ユダは他の兄弟たちにまさる者になり、「君たる者も彼から出る」ことが言われています。
 「旧約聖書にはイエスさまが隠れておられる」と言われますが、ここにもおられましたね。

 ルベン、ガド、マナセの半部族の勇者たちの姿勢を、このことばに照らしながら考えてみました。欠けだらけの彼らであっても、戦いのときに神に呼ばわったので、神は彼らの願いを聞き入れたのです(20節)。
 表も裏も、非の打ち所のない完全な人などいません。そうであっても、神に呼ばわる、神に拠り頼むならば、神はその人の願いを聞き入れてくださるのです。

 昨日の朝日新聞「天声人語」に、福島県郡山市で隔月に刊行されている児童詩誌「青い窓」の最終ページの一言が紹介されていました。それは『素晴らしい人間に出会うのではなく、人間の素晴らしさに出会う』ということばです。「その戦いのときに、神に呼ばわった」というみことばとともに、心に留めておきたい一言でした。
 


豊かな良い牧場

2011年04月20日 | 歴代誌第一
1歴代誌4章24-43節

 主なる神からの平安を祈ります。

 関東地方は昨日の雨をきっかけに、気温が一ヶ月ほど前に戻りました。陽射しはありますが、暖かくはならなそうです。もっと寒い朝を迎えている被災地で避難生活をしている方々を覚えて祈ります。

 1歴代誌、系図読みが続いています。きょうの箇所はシメオン部族の系図。シメオンはヤコブ(イスラエル)の二男です。しかし、「みことばの光」」が書いているように、これまでのユダ部族と比べればシメオン部族の系図はあっさりしています。なぜだろう…、とその理由を思い巡らすのも系図の味わい方。
「みことばの光」では、「ユダの子らほどには多くならなかった」とのことばに注目。その理由について、シメオンがレビとともに過激な復讐事件を引き起こしたことを挙げています。
 事実ヤコブは最期の時、シメオンとレビについて「彼らは怒りにまかせて人を殺し…」と語り、「のろわれよ。…私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう」と預言しました(創世記49章6、7節)。
 聖書巻末の「12部族に分割されたカナン」という地図を見ると、確かにシメオン部族はユダ相続地の中に含まれていることがわかります。

 それとともに、「彼ら一族は大いにふえた」とあります。彼らは、自分たちの相続地の中で、「豊かな良い牧場を発見し、…静かで安らか」(40節)に生活したというのです。主のあわれみに心を留めたいと思います。

 シメオン部族の変遷と私たちの姿とが重なりますね。受難週に改めて、「良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」とおっしゃり、事実十字架にかかってくださった主イエスのお姿を思います。そして、イエスさまを信じた私たちの今と、シメオン部族の安住の地の描写とを重ね合わせたいと思います。






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