マタイの福音書 5章43−48節
主イエスは、律法の中で一番大切な戒めは何かとの質問に答えて、「心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして,あなたの神、主を愛しなさい」が重要な第一の戒めで、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という第二の戒めも,重要だとお答えになりました。そして、「この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっている」とおっしゃっています(マタイ22章37−39節)。
十戒の一つひとつは、第一の戒めと第二の戒めに要約することができます。しかし、山上の説教のこの部分でイエスは、「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」とまで踏み込んで教えておられます。自分を愛してくれる人を愛することは難しいことではありません。仲間内との間で挨拶を交わすことも基本のマナーでしょう。
しかしイエスは、私たちが「自然に」できないことをここで置いておられます。いや、21節からの6つの例のどれもが、「自然に」できることではなかったのです。これがご自分について来ようとする者に示された「あなたがたの義」(20節)でした。これらの例の前に、真剣に受け止めて前に進もうとすればするだけ、立ちすくんでしまいます。
イエスはできない要求をしておられるのでしょうか。イエスについて行こうとする者にはイエスがおられます。先に進んで実践なさったお方です。このお方を信じて,自分にできないことを「できるように」と祈るときに、目の前に立ちはだかるもの先に進む自分を発見するのです。