使徒の働き 3章11−16節
久しぶりに自動車を洗車。といっても、洗車機に洗ってもらったのですが…。昨年7月に購入して洗車をしたのはまだ3回目ですから、相当なものですね。でも、冬の間は洗車をしてもすぐに汚れるので…となかなか踏み切れませんでした。
生まれつき足の不自由な人がいやされ、飛び跳ねて神をたたえている様子に、人々が驚いて集まって来ました。ペテロは集まった人たちにこの出来事の意味を語り、聞いている人々が何をしなければならないかを明快に語りました。第一に語ったのは、あなたがたが殺し、神がよみがえらせたイエスがこの人に信仰を与え、いやしてくださったのであって、ペテロたちがすばらしいからではないということでした。そして次に語ったのは、このお方を殺した罪を悔い改めて神に立ち返るようにということでした。ペテロは自分たちにではなくて、イエスに彼らの心を向けさせようとしていたのです。
心に留めたのは、「イエスに与えられた信仰が…」という16節のことば。誰に与えられたのかということについては、足の不自由な人に…とも、ペテロに…とも、とれます。前者だとしたら、何かもらえるものと思っていたこの人に、主イエスはペテロのの「…ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」とのことばを信じる信仰を賜わったということです。それは、立ち上がったこの人が、すぐに神を賛美しながら宮に入って行ったということでわかります。
信仰が主イエスによって与えられるという一言で、肩の力が抜けるようです。