詩篇 116−117篇
「みことばの光」誌には、聖書箇所が116篇と書かれていますが、本日は117篇も読む計画になっています。二つの詩篇をお読みください。
116篇からは、詩人が厳しい境遇の中でもがいている様子が伝わってきます。3節の「死の綱が私を取り巻き よみの恐怖が私を襲い 私は苦しみと悲しみの中にあった」がそのすべてを語っています。
そのような彼が、「私は主を愛している」と最初に祈りの声を上げることに、心揺さぶられます。詩人にとって神が、自分が思い描く良いことを約束し、実現させてくれる相手だったとしたら、3節に歌われているようなことが起こったならば、とても「私は主を愛している」とは思えないし、言えないのではないかと思うのです。
この詩篇は、過越の食事の折りに歌われたものの一つとされています。今私たちは受難節を過ごしています。最後の晩餐として知られているイエスと弟子たちとの食事の席でも、この詩篇が用いられたことでしょう。さらに、本篇には死への言及が三度あります。そうだとしたらなおさらのこと、厳しい境遇との中にある「私」と主イエスとの姿が重なります。
117篇は最も短い詩篇です。そして、この短い詩篇で「ハレルヤ」を含めて「主をほめよ」ということばが三度用いられていることに気づきます。詩篇は歌です。何を歌うのかといったらそれは、主への賛美、「ハレルヤ」なのです。イエス・キリストによって、究極の歌である主への賛美が、本篇の作者に、そして私の口に与えられたことをありがたいと思いました。暗唱したい、暗唱できる詩篇です。