エレミヤ書 52章17−34節
待降節第一日曜日のメッセージは「明けましておめでとうございます」で始まりました。待降節の始まりはすなわち新しい教会暦の始まりです。ということは、昨日は新年最初の日なのです。アドヴェントやクリスマスは年の終わりに来るので、「ああ、やっと今年も終わろうとしている」と振り返りの時期と重なります。けれども、イエスさまのおいでを待つことから新しい年が始まると意識すべきではないかと思うこの頃です。
エレミヤ書最終章の最後の部分です。17節から30節は、バビロンが徹底的にエルサレムの神殿から持ち去ったこと、指導者たちを殺したこと、民が捕囚されたことを書いています。エルサレムは二度と復興されないというほどに荒廃してしまった様子が描かれているように思うのです。
列王記第一7章21節には、高さの違う二本の柱には、ヤキンとボアズという名がつけられたとあります。それにしても、バビロンは何から何まで持ち去ったのです。
そして31節以降にあるのは、捕囚されたユダの王エホヤキンの「その後」。彼が捕囚されて37年目に、彼は牢獄から出され、王のそばにいて厚遇されたとあります。37年の暗黒の次に待っていたのは信じられないほどの人生の変化でした。人には到底見通しがつかないような中でも、神のなさることの不思議さ、大きさをおぼえるような出来事です。伝道者の書3章11節の「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」ということばを思い浮かべます。
*写真は教会の玄関前にある「家畜小屋」です。まだ主役はいませんでした。