みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

定めのとおりに

2014年02月28日 | 出エジプト記
出エジプト記26章15-37節


 目覚まし代わりのラジオが、新潟市からのレポートを伝えていました。聞くと、新潟市は今年はほとんど雪が積もらなかったとのこと。レポーターは、「東京は雪国なのですか?」と冗談めかして話していました。
 2月もきょうが最後の日。いつもより短い2月を「得する」と考える人もいれば、「損だ」と嘆く人もいると聞きます。あなたにとって2月はどんな月でしたか。
 
 幕屋の製作についての定め、きょうの箇所には幕屋の周囲に立てる板と、補強のための横木、それから至聖所と聖所を隔てる垂れ幕、至聖所の契約の箱の上に置く贖いのふた、幕屋の入口の垂れ幕のことが記されています。

 読みながら、いろいろなことを考えます。
  板の中間にある中央横木は端から端まで通るようにするとあるが横木は一本だったのだろうか…。
  板一枚の長さはおよそ4メートル40センチあり、解体して運ぶにしてもいったい何人で運ぶのだろうか…。
  すでに見た燭台の重さはおよそ34キログラムとあったが、それをどのようにして運んだのだろうか…。

 改めて、幕屋での奉仕をになうレビ部族の人々の苦労の大きさがどれほどのものであったかを思います。けれども、彼らは幕屋を組み立てる折にも、移動のためにも解体する折にも、そしてそれを運ぶ折にも、聖なる方への恐れを抱きながらも、喜びに満ちて務めたのではないかと想像しました。
     

コメント

四層の幕

2014年02月27日 | 出エジプト記
出エジプト記26章1-14節


 この箇所では、幕屋を覆う4層の幕についての指示が出されています。

 いちばん内側の幕は亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸でケルビムが織り出されたものです。5枚ずつの幕を縫い合わせて大きな2枚の幕ができます。さらにその2枚は縫い合わされるのではなくて、それぞれが留め金でつなぎ合わされます。
 その上にやぎの毛の幕が覆われます。ケルビムが織り出された内側の幕よりも少し大きくできています。
 さらにその上を、赤くなめした雄羊の皮が覆います。赤い色は血の色。新約聖書の光のもとではキリストの十字架の血を象徴していると考えられます。

 一番外側はじゅごんの皮で覆われます。動物の皮で覆われるということは、実用的には風雨から幕屋が保護されるためだと言えます。じゅごんの皮は何の見栄えもしないどす黒い色をしていたのではないかと言われています。

 ですから、幕屋の外見はきらびやかさはまったく感じられない地味なものでした。
 しかし、中に入るとその光景は一変します。燭台のあかりは、彩り豊かに織り出されたケルビムを照らします。幕屋の中で奉仕する祭司は、神の栄光の輝きや美しさを充分に覚えるのです。

 幕屋は私たち教会を映しているようでもあると思います。イエスを信じるとは幕屋の中に入る務めに就くということ。イエスを信じても外側は変わりませんが、内側ではキリストの栄光が燦然(さんぜん)と輝いています。日々幕屋に入って、キリストの輝きに圧倒される喜びを賜っているのですね。

 「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」(ペテロの手紙第一 2章5節)
    

コメント

純金で

2014年02月26日 | 出エジプト記
出エジプト記25章23-40節


 当地では春の到来を感じるようなこの頃です。それとともに、マスクをつけた人もちらほら目につくようになりました。花粉が飛び始めました。朝歩きに立ち寄る公園の梅も咲き始めました。

 この箇所では、聖所に置かれるパンの机と燭台を作るようにと指示されています。
 写真は、昨年1月にエルサレムを訪れた際に撮ったものです。嘆きの壁の前の広場の入口にありました。Dsc05424

 聖書では重さは金1タラントとありますので34キログラム。一つの金を打って作られるものですので、巧みな金細工人の手によって作り上げられたのでしょう。それにしても、一つの純金を打ち出して作り上げて、1タラントになるというのですから、驚きです。

 机には12個のパンが絶えず置かれ、机とともに燭台は窓のない何層もの幕で覆われた聖所に置かれました。祭司は燭台のともしびを絶えず整えておかなければならないと、レビ記24章に記されています。

「わたしはいのちのパンです」(ヨハネの福音書6章48節)、「わたしは世の光です」(同8章12節)と、イエス・キリストがご自分についておっしゃったことばを思い起こします。パンとともしび(光)。どちらも私たちの生活に欠かすことのできないものです。それらを、自分で作り自分で用意できるように錯覚するのが私たち。

 けれども、やみの中を照らす光も、真に人のいのちを養うパンも天から来るものであることを忘れないようにとのメッセージがここにあります。


コメント

捧げられたもので

2014年02月25日 | 出エジプト記
出エジプト記25章1-22節


 「きょうは気温が上がります」と目覚まし代わりのラジオが報じていました。きっとたくさんの雪が解けることでしょうが、山沿いでは雪崩の被害も懸念されます。眺めるのは美しいですが、やっかいなものだと思います。

 出エジプト記25章から31章には幕屋について書かれています。
 神はここにお住まいになると約束しておられます。25章はじめには、幕屋とその中に置かれるものは「心から進んでささげる人」たちのささげものによって作られ、神がモーセによって示すのとまったく同じように作らなければならないとあります。

 神がお住まいになるものなので、天から材料が降って来たり、ある朝起きてみたら幕屋があったりするということはないということですね。民がささげ、民が神の支持を聞き従って、初めてでき上がるものなのです。
 「心から進んでささげる」とありますように、それは強制的に割り当てられるものではないということです。そこに集められた金銀宝石、糸、毛皮、…色とりどりです。芳香も届くようです。道具類の寸法も神によって示されます。

 礼拝、献金、奉仕…心から進んでささげるよう、誤りのない神のことばに従うようにという、新約の民である私たちへの促しでもあります。
    

コメント

契約の血

2014年02月24日 | 出エジプト記
出エジプト記24章


 土曜日の午前、教会では子ども英語クラブがもたれています。先日は、いつもお手伝いをしてくださるご夫婦がお休みだったので、代わりに私がはいりました。
 13人の子どもたち(小学4年生まで)が集まって来ました。「英語クラブ」というと、英会話を連想するかもしれませんが、ここでは英語で聖書を学びます。ですから、英語版教会学校です。フィリピン人の先生がクラスを上手に導きまとめていきます。おもしろいのは、参加者全員がクリスチャンのお家から来ているのではないということ。

 土曜日のテーマは「parable and miracle」、「主イエスのたとえと奇蹟」ということでした。おもしろかったのは、おちゃらけている男の子たちがよく話を聞いて、前の時間のことも覚えていて、的を得た答えをしていたこと。参加型のクラスで、とても参考になりました。

 出エジプト記24章は、神と民との契約が結ばれる大切な箇所。
 心に留めたのは「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である」という8節のことば。モーセはいけにえの血の半分を祭壇を、残りの半分を民に注ぎかけました。
 「みことばの光」」は「この契約を結ぶことは、イスラエルのいのちに関わる」と解き、それはイエスが最後の晩餐でおっしゃられた「これはわたしの血による新しい契約」につながると書いていました。

 神との契約の締結は、神を見ての飲み食いで終わったとあります。「彼らは神を見、しかも飲み食いをした」ということばにも目を留めました。それは、聖餐に与るたびに、聖なる神が罪人である私たちと主イエスの血によって契約を結ばれたことを覚えることにつながります。
     

コメント

2011-2018© Hiroshi Yabuki