テモテへの手紙第二 4章9−22節
日曜日の夕食、訪ねてくださった方と三人で「ラクレット」をいただきました。今シーズン最初で最後のラクレット。ちょっと癖のあるチーズを用いてのグリルです。ある本に、ラクレットを食べる時は水を飲まないとありましたので、ウーロン茶を飲みながら食べました。美味しいものや自分で作業(?)をしなければならないものを食べる時は無言になるのですね。3人で納得しました。ピクルスなどを食べながらともあったのを忘れて、この文章を書いている途中で、食後のピクルスをいただきました。
テモテに書き送ったパウロの手紙の終わりには、パウロと関わりのある人の名前が出てきます。この中でテモテには、三度「来てください」と声をかけています。これを読むと、パウロとテモテがとても近い関係であったことが分かります。
16―17節に、パウロの最初の弁明の時にはみんなが自分のことを見捨ててしまった、しかし、主は私と一緒に立って力を与えてくださったと書いています。ここを読むと、誰もいなくても主イエスが私とともにいてくださるの平気だ、大丈夫だとパウロは考えているのだろうかと想像してしまいますが、そうではありません。自分のところにはルカしかいない、他の人たちは用件があり、あるいは自分を見捨ててしまっていなくなったと嘆きに聞こえるようなことさえ書いています。
イエスさまが一緒にいてくださるので一人でも良いとパウロが言っていないところに、安堵します。ともに歩む人が誰にでも必要なのです。今回の戦争で、やむを得なく家族がばらばらになったケースもあることでしょう。「来てください」ということばが一層心に響きます。