詩篇 2篇
きょうで1月が終わります。昨年も書いたように思うのですが、最初の月はゆっくりと過ぎて行くように感じるのですが、2月から後は時間の巡りが速くなるように思います。もちろんそんなことはありませんが、朝を迎えて新しい1日が始まるごとに神のことばを読み祈りを捧げる生活が幸いだと思うのです。
「幸いなことよ」と詩篇1篇は始まりますが、本篇は「幸いなことよ」で終わります。しかし、「みことばの光」が書くように、一篇は個人的で、悪しき者のはかりごと、罪人の道、嘲る者の座から遠ざかり…と慎しみ深いのですが、二篇は国際的世界的で、騒ぎ立ち、たくらみ、相ともに集まる…と騒々しく戦闘的な雰囲気があります。
生活の中で神の前に静まり、主の教えを喜びとして昼も夜もその教えを口ずさむ人も、一歩外に出ると力と力のぶつかり合い、企て、戦略…などに否応なく巻き込まれます。世の中は、誰につくか、どことつながるか、そしてどのようにして大きくなり力を増していくかというのが大きな関心事です。そして、神など関係ないとしています。
神はしかし、その世に大きな関心を持ち、ご自分抜きに何事かを成し遂げようとする世界を笑い、嘲られるのです。それとともに神は、この世界にご自分が神であることを知らしめようと、王をお与えになるというのです。この詩篇は「メシヤ詩篇」としても知られます。やがてメシヤの到来があることを伝えているのです。
自分の避けどころが誰なのかについて、「悟れ」「慎め」「主に仕えよ」という10節のことばが考えさせます。イエスを避けどころとする幸いを覚える詩篇です。