ヨハネの黙示録 8章
11月はきょうが最後の日。今年も残すところあと1か月になりました。戸惑い、一歩も物事が動いていないかのように思えるときも、確実に日は刻まれていきます。
黙示録を読みながら思うのは、信仰の再確認。子羊の血によって白くされた者にふさわしいのだろうかと自問しつつ、神のことばの約束に拠り頼む日々です。
子羊が第七の封印を解くと、天に半時間ほどの静けさがあり、それから七人の御使いによって七つのラッパが吹き鳴らされていきます。7章の挿入部分を挟んで、神によるさばきの次の幕が上がったのです。
その前に、「天に半時間ほどの静けさがあった」と1節に書かれています。「みことばの光」には「次の舞台を待つ間の、演劇の幕間のような印象を受ける」とあります。これまで、第一から第六の封印が解けるときには、神のさばきによって起こるいろいろな光景が繰り広げられました。ですから、第七の封印が解かれたときには何が起こるのかとヨハネは息を潜めたことでしょう。しかし、そこにあったのは半時間ほどの静けさ。ヨハネにとっては、これまでを振り返る時でもあったでしょう。もっと厳しいさばきがあるのではないかとの緊張もあったように思えるのです。
静けさは、人に様々な思いや行動をもたらします。ホッとする人もいます。自分を振り返る者もいます。恐れを感じる人もいるかもしれません。いや、半時間(30分のことでしょうか)もの静けさにはとてもじゃないが耐えられないという人もいることでしょう。
この半時間にはどのような意味があるのでしょうか。安堵、不安、緊張、期待、退屈、妄想、…その先に、神のなさることを待つ、神に祈るというための静けさなのではないかと心に留まりました。
写真*冬の紫陽花