みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

なんと幸いな…

2021年03月31日 | 詩篇

詩篇 94篇

 3月も最後の日になりました。日本では特別な日。官公庁の年度の終りこの日です。

 以前、補助金を得てグループホームの建設をした時、建築の許可がなかなか出なかったり、工事が始っても大雪で工事が進まないなどのハプニングがあったりして、やっとのことで年度内に完了しました。その年度の補助金を受けた事業は年度内に完了しなければならないからです。報告書を作成して送付することに追われていた3月31日を思い出しました

 詩篇94篇は前半には悪しき者の勝ち誇る様子が、後半には「私」の神にある確信がうたわれています。

 神は見ていない、気づくことはないとして好き勝手なことをして欲望を満たす悪しき者。そのような者が良い思いをしているのを見ていると、人は心が動きます。しかし、詩人は動かされません。むしろ、勝ち誇る悪しき者を「まぬけな者どもよ」、「愚か者どもよ」と言って、彼らに気づけと促しています。

 何に気づくのでしょうか。神はすべてを聞き、ご覧になり、そして知っておられるという事実に…です。

 12節の「なんと幸いなことでしょう。主よ あなたに戒められ あなたのみおしえを教えられる人は」ということばに目が留まります。キリストにつながる者は、「なんと幸いなことでしょう」と言いうるものを得ているのだということに、改めて気づかされ、喜びが心に湧いてきます。

 詩人のように、神に信頼していながらも足がよろけるということがあります。当然あります。そんなとき、主は恵みで支えてくださるのです。ありがたい…。他の者に目移りして、この幸いを手放してしまわないように…とも自戒します。


威光をまとっておられる

2021年03月30日 | 詩篇

詩篇93篇

 暖かな月曜日、通りを歩いている人の中には半袖の人も多かったです。でも、ダウンをまとっている人もいるし、それぞれの人が自分の着たいものを着ているのだということを、改めて思いました。

 93篇は「まとう」ということばで始まります。神が威光をまとわれる、力を帯として…。この描写に始まり、圧倒的な神の力が本篇全体を包んでいます。

 ずっと以前、中学生たちといっしょに夏休みにキャンプをしていました。ある年、キャンプ場に大雨が降り、はじめは夕立程度と思っていましたら、なかなか降り止まずについには、キャンプ場側から管理等に避難するようにとのアナウンスがありました。川の近くにあるキャンプ場でしたので、水かさはあっという間に上り、昼間のせせらぎがうそのような、本篇3節にあるような光景が目の前にありました。

 受難週を過ごしています。ここでほめたたえられているお方、唯一ほめたたえられるお方が、身にまとっていた威光を脱ぎ捨てるかのように人として来られ、ついには王ならばこれを着ろ、これをかぶれと笑いものにされるという仕打ちをお受けになったことを思いました。

 「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり,人間と同じようになられました。」ピリピ人への手紙2章6−7節

 


彼らの一族は大いに栄えた

2021年03月29日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 4章24−43節

 ここしばらくの間、礼拝のあと数人のグループで15分ほどいっしょの時間を持っています。いっしょに集まることができない人とも、オンラインで互いのことを分かち合うことができるのはありがたいです。そう思いながら、いっしょに「からだを」同じ場所に運んで礼拝できたらと願うこの頃です。

 歴代誌は、バビロン捕囚から帰還した人々とその子孫が、神殿(第二神殿とよばれる)でのあるべき礼拝を持つため、彼らが神を礼拝する民として歩むために、改めてイスラエルの歴史をたどったものです。きょうの箇所から9章まで、人名(地名)リストはユダ部族から他の部族へと移ります。

 他の部族のはじめはシメオン部族。シメオンはヤコブの12人の子どもたちのうちの二男です。シメオンについて聖書が記すのは、どちらかというと良いことでないのが多いように思います。

 ヤコブがシメオンに残した遺言は預言でもあります。そこでも、シメオンはユダとともに「のろわれよ」とまで言われています。少し前に読んだ民数記では、二度の人口調査でシメオン部族だけは激減していました。ヨシュア記19章には、シメオン部族の相続地はユダ族の相続地の中にあったとあります。このように読んできますと、シメオンは消滅してしまったと考えても不思議ではありません。

 しかし、38節の「彼らの一族は大いに栄えた」ということばに目が留まります。どっこい、シメオン部族は消えてはいなかったと言っているかのようです。「小さな者たちよ恐れるな」というような励ましを得ました。


ダビデの子たち

2021年03月27日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 3章

 今年のイースターは4月4日。スーパーでは1月ごろからイースターにちなんだお菓子が山積みにされていました。卵形のチョコレートが多いのですが、先日その1つを買い求めました。ウーム、値段の安さに手が出てしまいましたが、それなりの味でした。

 ダビデから始まる3章の系図。ここでは知っている名前がたくさん出てくることでしょう。はじめの部分ではダビデの子どもたち。ヘブロンで生まれた6人の子どもたちはそれぞれ違う母親なのだということに改めて気づきます。後に兄弟間での殺人があり、それが尾を引いて混乱を来すというのはよく知られていること。結局王位はこれら6人ではなく、エルサレムでバテ・シュアとの間に設けた子どもたちの一人、ソロモンに継がれていきます。

 それから、ソロモンの後継者たちの名前が続きます。このように名前を連ねるだけですと、あっという間ですが、列王記やこの後の歴代誌第二の記述をたどりますと、数百年にわたる波乱万丈の王国史となります。そして、次第に国は崩壊へと向かっていくのです。

 エコンヤはエホヤキン王のこと。彼はバビロンに捕囚されますが、やがてその地で厚遇され、その子孫がバビロン捕囚からの帰還後の国の再建のために、神に用いられます。興味深いのは、捕囚帰還後の人名が詳しく記されていること。

 系図を記しつつ、歴代誌は今から先のことに目を向けさせようとしているのだと思いながら、読みました。また、神はどのような思いで、これらの名を記されたのだろうかと想像するのです。


人の名がつながる

2021年03月26日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 2章42−55節

 ここ数日掲載した写真を改めて眺めてみると、黄色が多いですね。でも、この時期、白や紫の花々も負けず美しい姿を見せてくれます。

 2章のこの部分には、イスラエル十二部族のうちのユダの子孫、ヘツロンの子カレブの系図が載っています。その前の段落ではヘツロンの子エラフメエルの系図、さらにその前にはヘツロンの子ラムの系図でした。ダビデに至る系図の「本筋」はラムですから、ここでのカレブの系図もいわゆる「傍系」です。

 きょうの「みことばの光」は、ここに挙げられる名前には、ヘブロンやベツレヘム、キルヤテ・エアリム、ヤベツなどの地名のほうがよく知られていると書いています。しかし、書いていく中で、突然登場する名前は誰からつながっているのだろうかと行き詰まってしまいました。

 55節に「レカブ家」ということばがあります。きょうも聖書の欄外注にある聖書箇所を開いてみましょう。列王記第二、10章15−27節を読みますと、レカブの子ヨナダブは、エフーとともにバアル礼拝根絶のために努めたとあります。また、エレミヤ書35章のはじめには、このヨナダブが子たちに、ぶどう酒を飲まないことや一生天幕に住むことなどを命じ、以来彼らはヨナダブの命令を守ってきたということが書かれています。

 それぞれの書を読むと関係がなかなか見えにくい人々が、このようにしてつながっているのを発見するのも、聖書を読み続ける力になっていくように思えます。


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