ピリピ人への手紙 4章10−23節
昨日は、大聖堂の頂上近くまで初めて昇りました。螺旋階段を延々と昇るのですが、上からの景色は新鮮! この町に来てホームシックになり、高い所に上ってスイスを見たいと思ったハイジを思いました。
パウロはこの手紙の終わりに、ピリピの教会がパウロの働きのために献金をしてきたこと、今回もエパフロディトがピリピからの献金を携えてきたことへの感謝を表しています。
10節に「私を案じてくれるあなたがたの心」とあります。それは具体的にはパウロの働きのための献金を指すのですが、パウロはそこにピリピの人々の心を見るのです。
どのような働きをするにしても、そこには経済的な必要が生じます。パウロは時には、自分で働きのための必要を天幕作りによって得ていましたが、多くは献金によって支えられていました。
しかし彼は、献金がなければ自分の働きには支障がでるというように考えてはいません。11−12節に目が留まります。「どんな境遇にあっても満足することを学」んだとあり、「ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ている」とも書いています。
だからといって、献金には頼らないとはパウロは言いません。ピリピの教会が自分の働きのために献金をすることを「苦難を分け合ってくれた」と書いています。献金をするというのは、それによって働く人々を支えるばかりか、いっしょにその働きを分かち持つということだと気づかされます。
17節に「霊的な口座に加えられていく実」とあります。以前の訳は「あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです」とありました。「口座」ということばが新鮮に響きます。口座を持つと残高が気になります。ささげるというのは、口座に実が加えられていくということ、なのです。