みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

失望せずに善を

2019年02月18日 | ガラテヤ人への手紙

ガラテヤ人への手紙 6章

 土曜日の午後、停車中に自動車を擦られてしまいました。怪我はなかったのが幸いです。自分では用心しているつもりなのですが、こちらの用心だけでは避けられないこともあるのですね。

 ガラテヤ人への手紙も終章を迎えました。短い手紙の中に、密度の濃い教えがギュッと詰まっているような印象を持ちながら読み進めてきました。

 6章1−10節には、その前の章でパウロが書いている「愛をもって互いに仕え合いなさい」という命令を、具体的にどのようにして行なうのかについて書いてあるように読みました。

 この箇所には、過ちに陥っている人に柔和な心で正してあげること、互いの重荷を負い合うこと、みことばを教えてもらう人は、教えてくれる人と、すべての良いものを分かち合うこと、失望せずに善を行うこと、とくに信仰の家族に善を行うことが勧められています。

 そのどれもが、なかなか結果が目に見えないものかもしれません。これらのことを肉のわざとして行なうならば、がっかりしたり怒りを抱いたりするようになるでしょう。結果がすぐに現れないので、喜びや充足感もなかなか経験できないものでもあります。

 けれどもパウロは、「あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります」とまとめています。

 あきらめかけていることが何かないだろうかと、自問する時でもありました。

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肉の働く機会

2019年02月16日 | ガラテヤ人への手紙

ガラテヤ人への手紙 5章1−12節

 近くにあるカトリックの老人ホームに。4月から私たち日本語教会にチャペルを使用させてくださることになりました。これまで2年近くも礼拝の場所を探し求めてきましたが、神は私たちの思いをはるかに超えて、ふさわしい場所を備えておられました。

 そして…、お待たせしました。春を告げる花です。昨日は晴天でとても暖かく、手袋を取っても寒さを感じませんでした。

 ガラテヤの諸教会はパウロの宣教によって誕生しました。キリストはパウロを、そしてガラテヤの各地に住むディアスポラのユダヤ人たちをも自由にしてくださいました。この箇所でパウロは、自由ということばを用いています。

 すでにパウロはこの手紙で、キリストがおいでになる時まで律法が人に違反を示すためにつけ加えられたもので、違反を示された人々をキリストのもとに連れて行く養育係としての役割を持っていると書いています。キリストがおいでになったので、律法はその役割を終えたのです。そして、キリストを信じる人はだれもが罪の奴隷から解放されて自由にされました。

 けれども、自由にされた者が自由の意味をあいまいなものにしていると、律法に基づく生き方に逆戻りしてしまうのだと、パウロは警戒するのです。「みことばの光」が書くように、そのようなことはキリスト者にもありえます。がんばれ、がんばれ! というかけ声がどこかから聞こえてきます。「肉の働く機会」とはそのような時のことではないでしょうか。

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自由の女の子ども

2019年02月15日 | ガラテヤ人への手紙

ガラテヤ人への手紙 4章21−31節

 9日間のイスラエルツアーから戻り、参加者の皆さんと写真を共有することにしました。これまでは、「いつかまとめて」などと思いつつも結局はほったらかしにしていたのですが、今回は二日間でアルバムの大枠を作ることができました。なるほど! このようなことは、記憶が薄れないうちに取りかかるのが大事なのだと思いました。

 パウロがここで用いている比喩を理解するには、創世記16−17章、そして21章をお読みになることを勧めます。アブラハムの妻サラの女奴隷だったハガルはアブラハムとの間にイシュマエルを生みます。一方サラは、その後しばらくしてイサクを生むのです。

 パウロは、ここには比喩的な意味があると語ります。女奴隷ハガルの子は肉によって生まれ、自由の女サラの子は約束によって生まれました。そして、ガラテヤの諸教会はもちろん、神の約束によって生まれたのだと続けます。ところが、ガラテヤの諸教会を肉によって生まれた者たち、律法主義者が混乱に陥れていました。「肉によって生まれた子が霊によって生まれた者を迫害した」という29節のことばに呼応します。

 しかし、そのような教えを吹聴する者たちは、サラがアブラハムに「女奴隷とその子どもを追い出してください」と言ったように、教会から追い出されるべきだとパウロは伝えているのです。

 厳しいことばが続きますが、それは、パウロが神の約束に基づいて誕生した教会、自由の女の子どもたちを心から愛してのことでした。逆戻りしてほしくないとの強い思いが込められたことばが続きます。

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心配が募る

2019年02月14日 | ガラテヤ人への手紙

ガラテヤ人への手紙 4章1−20節

 きのう、日本に帰国されて1年になろうとしている方から電話をいただきました。小さなお子さんがスマホをいじっていて私たちへの電話のボタンを押したようなのです。

 ガラテヤの諸教会は、パウロの一回目の伝道の旅によって誕生しました。12年以上前、トルコを初めて訪ねました。最初の二日間の宿泊については予約しましたが、あとは「飛び込み」で乗り切りました。その時の旅の目的地の中に、イコニオンとリステラ(ルステラ)がありました。

 この箇所には、ガラテヤの諸教会を産み出したパウロが、それぞれの教会が間違った教えに揺さぶられているのを自分のことのように心配している様子を見ることができます。「あなたがたのことを心配しています」ということばが響いてきます。

 彼らは、入り込んで来た偽教師にすっかりだまされて、パウロとの関係がぐらついていました。偽教師たちはことば巧みにパウロとそれぞれの教会の間にある信頼をぐらつかせようとしていたのです。教会がどれほどの混乱を経験したかを垣間見ることができるでしょう。

 「あなたがたのことで私は途方に暮れている」とのことばからパウロの愛が伝わってきます。

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キリストに導く

2019年02月13日 | ガラテヤ人への手紙

ガラテヤ人への手紙 3章15−29節

 まだまだ寒い当地に戻って来ました。これを書いている時も、参加者の中には、まだ機中であったり途中一泊したりと、帰宅しておられない方もおられます。帰路を神が守ってくださいますように…。

 神がアブラハムと結ばれた、信仰によって義とされるという契約は、その後430年後に神がモーセによってイスラエルの民に律法お与えになったことによって消滅したのではないと、パウロはここで書いています。ここには、「人は律法に基づく割礼を受けることによって義とされる」と教えてガラテヤの諸教会を混乱に陥れていた教師たちに惑わされないようにという、願いが込められているのです。

 契約を結ぶ際には、当事者がそれぞれ守るべきことがらが明記されます。人と人とが交わすものですから、時には契約を守れないとして一方の当事者が不誠実な対応をすることもあるでしょう。けれども、「アブラハムは神を信じた。それで、それが神の義と認められた」という契約を、430年経ったからとして神は決して廃棄することはないのだというのです。一度結んだ契約を神が破るなどというはずはないでしょう、とは、パウロがここで伝えたいこと。

 「私たちをキリストに導く養育係」ということばに目が留まります。

 アブラハムと契約を結ばれた神はなぜ、モーセによって律法をお与えになったのか、それはキリストに導くためなのだというのです。「みことばの光」には、当時養育係は、子どもを監督したり学校に連れて行ったりするなど、相手に渡すための務めをしていたと書かれています。律法が人をイエス・キリストに渡す、届ける務めをしていました。それなのに、ガラテヤの諸教会は養育係のもとに逆戻りしようとしているのです。

 

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2011-2019© Hiroshi Yabuki