詩篇 89篇38ー52節
この一年、朝食前に読み進めてきたのが「主のよき力に守られて(ボンヘッファー1日1章)」(村椿嘉信訳 新教出版社刊)。D・ボンヘッファーのことばを編纂し、日本語に訳したものです。その最後の12月31日には、タイトルにもなっている「主のよき力に守られて」という詩があります。絞首刑で処刑される4ヶ月ほど前の1944年12月19日に綴られた最後の獄中詩です。昨年から、年の最後の礼拝ではこの詩に基づいた曲を賛美していますが、今年はそこに込められていることばの重さを味わいつつ、心の中で賛美しました。詩の最後の部分だけですが、紹介します。
主のよき力に 不思議にも守られて
私たちは来るべきものを安らかに待ち受けます
神は 朝に夕に 私たちのそばにいるでしょう
そして私たちが迎える新しい日々にも 神は必ず 私たちと共にいるでしょう
89篇下段は、詩篇第3巻の最後のことばでもあります。「わたしの契約を汚さない」と語る主のことばを受けて、詩人は「いつまでですか」とすがりつくように祈ります。国が立ち行かなくなる中、諸国に蹂躙(じゅうりん)される様子に耐えられずに彼は、あなたのしもべたちの受ける恥辱をみこころに留めてほしいと祈ります。ここには厳しい現状を目撃しながら、主に思いをぶつける者の姿があります。きれい事ではなくて、ありのままの思いを彼はことばにします。
それだけ、詩人と神との間は近かったのです。新しい年にも、「神は必ず 私たちと共にいるでしょう」との告白がこの詩人の訴えの土台。52節は、第3巻の締めくくりのことば。何が起こっていても、思わしくなくとも、「主は、とこしえにほめたたえるべきかな」と私たちは神をほめたたえる、のです。
神にあって希望に満ちた新年をお迎えくださいますように…。