列王記第二 6章1−23節
「どうか、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」6章17節
尊敬する同労者が近々白内障の手術を受けるとのこと。手術を受けて、「世界が変わったようだ」とまで言っている人もいます。
今日の箇所には、神の人エリシャの三つの祈りが収められています。「神の人」ということばは聖書に84回用いられていて、モーセもそのように呼ばれています。しかし何といっても、列王記で61回ともっとも多く使われています。エリヤも度々そのように呼ばれました。ここではエリシャが「神の人」と呼ばれます。ここからも、エリシャがエリヤの働きを受け継いだのだということが分かります。
エリシャはアラムの大軍が攻め寄せてきた時、恐れる召使いの目を開いて、見えるようにと神に祈りました。すると召し使いは火の馬と戦車がエリシャを取り巻いているのを見たのです。
次にエリシャ、はアラムの軍隊の目をくらませてほしいと神に祈りました。今度は見えないようにと祈るのです。その後が愉快です。エリシャは見えなくなったアラムの人々の導き手となります。
アラムの人々の目を見えるようにしてほしいと三度目の祈りをすると、彼らの目は見えるようになり、なんと、彼らはイスラエルの首都であるサマリアにいたのです。敵地のまっただ中にいるのですからイスラエルの王にとっては願ってもないこと。しかし、この時エリシャは彼らをもてなしてアラムに帰すようにと王に告げます。
見ているけれども本当に大切なものは見えない、見えないものを見て信頼して歩む、今のような先の見えない不安定な日々の中で、どちらが大切かは言うまでもありません。