みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

しかし、私は主を…

2024年12月20日 | ミカ書

ミカ書 7章

 日本でクリスマスといえば、生クリームといちごケーキが思い浮かぶのですが、昨日妻が焼いてくれたので、聖書を読みに来られた皆さんといっしょにいただきました。月並みですが、美味しかった! です。

 預言者ミカもイザヤも、神に選ばれたにもかかわらず神に背いて思いのままに歩む者たちへの厳しいさばきのメッセージとともに、回復と新しい世界についての、神の約束を届けています。神が彼らにさばきとあわれみのメッセージを届けているいう事実こそが、神がご自分の民を愛しておられるということを表していると、本書の終わりの章を読んで思ったことでした。

 一生懸命種を蒔き手入れをしたとしても、収穫が期待できないというのは、農夫にとっては悲しむべきこと。そのことと、敬虔な者が力消えうせたということとが重なり、語られます。悪事を重ねる者が良いものを手に入れる一方で、善良な人・正直な人もすっかりやる気を失っているような世を、しかし神は決してそのままにはされません。

 7節の「しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む」ということばを心に留めたいと思います。世の中が全体として歪んでいる時、主への信頼を貫き通すのは簡単ではありません。「長い物には巻かれろ」というように生きたくなります。そのようなときに、「しかし、私は主を…」という思いを持ち続けたいです。

 おいしいケーキをいただいたあとの聖書は、私たちの主が再びこの世界に来られることについて。繰り返される「目を覚ましていなさい」ということばについて、どうしたらそのようにいられるかという話になりました。私は、「主よ!」と言える近さにいたいとのことばが心に残りました。


あなたの神とともに歩む

2024年12月19日 | ミカ書

ミカ書 6章

 朝に強い雨が降ったと思ったら、間もなく青空が…。こんな時には太陽の光を浴びようと近くの公園に出かけました。陽射しが心地よく、数日前よりもちょっと暖かい水曜日でした。ビタミンDの不足をちょっとは補ったでしょうか。

 この章では、主がご自分の民を訴えて論争しておられます。論争の原因は、「私たちの主は、私たちが苦境に陥っているのになにもしてくれない」という彼らの身勝手な不満にあったのだと思います。そこで主は、出エジプトからのイスラエルの歴史をたどり、ご自分が民のためにどれほどのことをしてこられたのかを語っておられるのです。

 8節はミカ書で最も多くの人々に覚えられていることばであり、またこれは、この書に限らず聖書全体で神が人々に求めておられる姿です。

 神は良質のいけにえ、油を、あるいは自分の長子をささげることではなくて、「ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むこと」だと預言者は人々に伝えます。

 神はわれらとともにおられるとは、クリスチャンが常に覚え、また口にすることばなのですが、同時に、「私は、私の神とともに歩みます」と言い続けて日々を生きていくことが肝要であることを覚えます。それがなければ、私たちの生活はどこかいびつなままではないか、と考えました。


それでも待つ

2024年12月18日 | ミカ書

ミカ書 5章

 火曜日には、8日の「クリスマス礼拝」後に行われた子どもたちによる「朗読劇」のビデオ編集をしました。現在は年に一度程度のビデオ作成とアップロードですので、忘れてしまったこともたくさんあり、「先輩たち」からヒントをたくさんいただいてようやく、完成しました。

 ミカ書5章2節は、クリスマスによく読まれます。「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」

  このことばは、マタイの福音書2章6節で、ユダヤ人の王がベツレヘムで生まれたと預言者によって書かれていると、時のヘロデ王に報告している律法学者たちが引用しています。王の誕生を恐れたヘロデは、ベツレヘムと周辺の二歳以下の男の子を殺させるという惨劇も記録されています。

 しかしミカは、だからといってすぐに事がうまく進むのではないと続けます。3節の「彼らはそのままにしておかれる」とあります。歴史的には、バビロンへの捕囚があり、帰還があり、国の再建が為されるのですが、イエスの誕生までにはなお数百年待たなければなりません。

 それは、イエスの再臨を待つこの世界、私たちも同じだと言えます。次のようなことばに出会いました。

 「神よ、私はあなたを疑うことがよくあります。…なぜあなたは、この世界でこれほど多くの苦しみを起こさせるのかと…。信仰が試されます。それでも私はあなたのもとにとどまり、あなたの支配を信じています。あなたは私の右手をしっかりと握っていてくださいます。」

 希望を持って待ち続けます。


何に頼って歩むか

2024年12月17日 | ミカ書

ミカ書 4章

 「みことばの光」左ページには、1年で聖書全巻を読み通ることのできるスケジュールにしたがって、その日読む聖書箇所があるのですが、きょうは5年で読む聖書箇所と1年で読む聖書箇所がぴったり同じ日です。得したようなそうでないような…。

 4章には、シオン、エルサレムが回復するという約束が語られます。10節には「あなたは町を出て野に宿り、バビロンまで行く」ということばがありますので、預言者ミカの時代から100年少し後に起こったバビロンによるエルサレム崩壊とバビロンへの捕囚が歴史的な出来事として浮かびます。

 しかし、ここで約束されているのは、捕囚された人々が70年後にエルサレムに帰還するというすでに起こった出来事を越えた出来事を思うようなことです。1節に「その終わりの日」ということばが、それを示しています。預言者イザヤも繰り返し語ったように、「その終わりの日」に主の家の山にもろもろの民が流れて来るのです。

 地理的にエルサレムは高地にあります。そこに、川の流れのように「もろもろの民が流れて来る」というのは興味深いことばです。低きに流れるのではなくて高きに流れ上る動きだと読むことができます。

 ここには、主の山に上る人々の特徴が明らかにされます。2節に、「主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう」とあります。なぜなら、シオンからみおしえが出るからなのです。

 また5節には、「私たちは、世々限りなく、私たちの神、主の御名によって歩む」とあります。その前の4節に「万軍の主の御口が告げる」ということばがありますので、ここでも主がご自分の口から告げてくださることばによって歩むのです。

 私たちは日々、さまざまなものを頼りにして歩みます。人を、力を、富を、知恵を、美を、才能を…と人が拠り所にするものは限りがありません。高きところに流れる者たちは主のことばを頼りにします。この基本はこれまでも、そしてこれからも決して変わることのない、ただ一つの頼りです。


私には力が満ちている

2024年12月16日 | ミカ書

ミカ書 3章

 アドヴェント三回目の日曜日、礼拝をする場所は寒く、特にメッセージを聴いている方々はじっとしているので余計寒かったのではないかと、案じています。

 ミカ書3章には、二通りの預言者が登場します。

 一人目はミカ。彼は神のことばをまっすぐに伝えます。そしてそのことばは、「ヤコブのかしらたち、イスラエルの家の首領たち」に厳しい神からのメッセージを重ねて届けます。

 2節の「あなたがたは善を憎んで悪を愛し、人々の皮をはぎ、その骨から肉をそぎ取る」は、主の民を正しく治めなければならないはずの彼らが、自分たちの利得のためにここまでするかと驚くような描写です。しかし、一時(いっとき)良い思いをしてもそれは束の間。いざと言うときに主に叫んでも主は答えないのです。

 二通り目の預言者たちは、民を惑わします。彼らは神が語れと命じたことばではなく、自分に良くしてくれる相手に良いことばを届け、そうでない相手には厳しいことばを投げつけます。そんなことをしている預言者に神が幻を、つまり語るべきことばを与えるはずはありません。

 8節の「しかし、私には力が満ちている。主の霊によって、公正と勇気に満ちている」というミカのことばを心に留めたいと思います。神のみこころに歩む者こそが力に満ちているのです。

 寒さの中で、心が温かくなることばです。


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