詩篇 53篇
歩いていると、いろいろな発見があります。月曜日には、駅からいつものスーパーへの近道を見つけてしまいました。じゃがいもやりんご、キャベツなど重いものを購入したので、近道は助かります。4月もきょうが最終日。緑が美しい頃になりました。
前篇の「欺く者」に続き、本篇は「愚か者」についてのダビデの詩です。「愚か者」というと、知的にあるいは技術的に劣る人のことを言っているように考えるのですが、1節を読むとそうでないと分かります。彼らは悪事を行っているのですが、神などいないから誰も怖がることはないと態度や行いを改めることはありません。パウロは、ローマ人への手紙でこの詩篇を引用して、すべての者が神の前で罪を犯していると書いています。
「心の中で」ということばに目を留めました。「心の中」というのは表に現われてくる行動の源泉のようです。あるいは、口では神の名を唱えてはいても心では神などいないと考えているのです。
それは、ダビデがそう思って嘆いているということではありません。ダビデは自分の考えや判断によってではなくて、神がどうご覧になるのかを問うのです。「神は天から人の子らを見下ろされた」ということばがそれです。人前では自分を偽り飾ることはできても、天からすべてを、心の中までを見ておられる神がいるのです。
「彼らは恐れのないところで、大いに恐れた」という5節のことばにも目が留まります。恐れのないところにいるのならば、恐れる必要はないはずです。彼らは恐れを知らないほど力を誇っていたのです。この地上で誰も彼を恐れさせるものはないと豪語していました。しかし、神は彼らをさばかれました。
さらに、神が救い、元どおりにするということばに希望があります。そして6節にある願いは、イエス・キリストの贖いによって実現し、私たちのところにも届きました。