マタイ 13章1−9節
本ブログの写真、最近は朝焼けや夕焼けが多いと自分で思っています。窓が南側に開いていて眺めがよいので、スマホで写せます。でも、10秒も経つと空の色が変わってしまうのです。
マタイの福音書13章では、イエスがたとえを用いている教えをまとめています。これはこの福音書にあるイエスの三つ目の教えであり、「天の御国のたとえ」というテーマがつけられています。
最初は、「種を蒔く人のたとえ」として知られています。ここでイエスが教えておられるのは、今に至るまで植物を育てようとする人ならば当然考えに含める大切な原則です。明日以降に、イエスのたとえがどのような意味なのかを知ることになるのですが、今日の箇所だけではただ、種を蒔くときには、四種類の土地のどれに蒔けばよいのかという、誰にでもわかる、「そのとおり」だとうなずける話をイエスはしておられます。
この話だけを聞いた人々は、もしかしたら「肩透かし」のようなものを感じたのかもしれないと、想像しています。メシアであるイエスが話すのだから、神の国の話をしてくれると思っていたのに、種をよく耕された良い地に蒔くようにと教えておられるからです。
けれども、このような常識として誰もが知り、誰もがうなずけることをイエスが大勢の人々の前で話されるということによっても、この地にある営みのすべてを知り、治めておられる方なのだということを知ることができます。ここを読んで、ルカの福音書5章にある、イエスが大量の魚がいる場所をプロ漁師たちに教えられたという出来事を思い起こしました。
イエスには専門外だろうなどと勝手に考えずに、何をするにも信頼して祈るようにとのチャレンジをここからいただきました。