マルコの福音書 13章28−37節
きょうは日本での年度末にあたります。当地ではもうすぐイースター休み。学校は3週間の長さで休みます。ですから、この時期に日本への「一時帰国」をする方も少なくありません。日本入国のため必要な手続きのお手伝いをしました。無事にページが青色になっていたので一安心です。
ここは、イエスが弟子たちにその時から先に起こることについて教えられたことの、締めくくりの部分です。「目を覚ましていなさい」ということばが三度繰り返されています。
ここを読んで、午前の仕事を終え時間があるとソファで20―30分ほどうたた寝をしていることを思いました。私にとっては、午後の仕事に向かうために必要な時です。主イエスはそんな私に、「目を覚ましているのだ! うたた寝などしてはならない」とお咎めになるということはないと思います。
「人の子(イエス)が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来る」との話は、弟子たちを驚かせたことでしょう。イエスはさらに、人の子が戸口まで近づいていることのしるしについて彼らに話しました。イエスのこのことばが必ず実現することについても、「わたしのことばは決して消え去ることがありません」ということばによって確かです。
あとは、イエスの弟子たち、従う者たちがそれを待つことです。しかし、その日がいつ来るのかは彼らには知らされません。だとしたら、いつ人の子が来てもよいように、待つことです。待つ時の姿勢が「目を覚まして」ということなのです。眠り込んでしまうということは、この場合はイエスの再臨を期待しない、忘れる、あるいは備えないということになるでしょうか。
そして、「みことばの光」が書くように、毎日の生活の中に主イエスの姿を見ないようになる、それが信仰者が眠り込むことなのか、と考えさせられます。