マタイの福音書7章15-29節
東京の桜は満開だそうです。当地は7分咲といったところでしょうか。青い空にほぼ白に近い桜色を見ると、ああ、春が来た! と感動します。
きょうは多くの事業所の年度の終わり。この記事も新しく始まる障害ある人のグループホームで書いています。明日がオープン。7人の新しい家族が誕生します。さて、どんなふうに毎日が進むのかが楽しみでもあり、ドキドキでもあります。
「山上の説教」を終えるにあたり、主イエスは岩の上に家を建てた賢い人と砂の上に家を建てた愚かな人にたとえて、ここで主が語られたことを聞くだけではなくて、聞いて行うよう促しています。神のことばは誰にでも語られます。聞こうと思うならば誰もがみことばを聞くことができるのです。
分かれ目は、聞いたことを行うか行わないか。
かたちとしては良いことを成し遂げたとしても、いつの間にか自己満足が心を満たします。神の子どもが持つものではない喜びが心を占めてしまうからです。そのようなことから自分の心を守るためには、みことばを聞くこと、聞いたことを行おうとする姿勢を保ち続けることなのだということに気づきます。
東京の桜は満開だそうです。当地は7分咲といったところでしょうか。青い空にほぼ白に近い桜色を見ると、ああ、春が来た! と感動します。
きょうは多くの事業所の年度の終わり。この記事も新しく始まる障害ある人のグループホームで書いています。明日がオープン。7人の新しい家族が誕生します。さて、どんなふうに毎日が進むのかが楽しみでもあり、ドキドキでもあります。
「山上の説教」を終えるにあたり、主イエスは岩の上に家を建てた賢い人と砂の上に家を建てた愚かな人にたとえて、ここで主が語られたことを聞くだけではなくて、聞いて行うよう促しています。神のことばは誰にでも語られます。聞こうと思うならば誰もがみことばを聞くことができるのです。
分かれ目は、聞いたことを行うか行わないか。
かたちとしては良いことを成し遂げたとしても、いつの間にか自己満足が心を満たします。神の子どもが持つものではない喜びが心を占めてしまうからです。そのようなことから自分の心を守るためには、みことばを聞くこと、聞いたことを行おうとする姿勢を保ち続けることなのだということに気づきます。