詩編 72篇
月曜日,近くのショッピングモールに行きましたが,いつにましての大勢の人々。クリスマスの飾りの下で,移動式観覧車に乗る小さな子どもたちの声が楽しそうに響いていました。2019年の最後の日ですね。日本ではクリスマスはとっくに終わって,人が集まる所には正月の飾りがにぎやかなことでしょう。
詩篇72篇は冒頭は,以前の聖書では「ソロモンによる」と訳されていましたが,今用いている「聖書新改訳2017」は「ソロモンのために」とあります。
ソロモンを主イエス・キリストは「栄華を極めたソロモン」と言われました。そのように彼は,ダビデの後継者として豊かな知恵を神から賜ったばかりか,豊かな富を自分のものとしたとして知られています。しかし,悲しいことにソロモンは,自分が目に見える豊かさに埋もれるようになるにつれて,神の心から離れてしまいました。
本篇に繰り返されているのは,理想の王の姿です。このような王であってほしいと民がソロモンのために祈ったとも考えられます。この王は,神の義を賜ってそれを正しく用います。民を公正にさばき,平和をもたらします。苦しむ者や貧しい者たちの側に立ち続けています。そのような国には神の祝福が豊かに注がれ,民は神を恐れ,地も潤されて豊かな実りをもたらすのです。
果たして,歴史の中でこのような王はいたのだろうかと立ち止まってしまいます。大きな権力を持つ者が,それを自分や自分の気に入った人々のために用いるなどという権力者の姿が目につきます。
ここに描かれる王の姿と重なるのはイエス・キリストです。この王に仕える幸いを覚えて,新しい年を迎えたいと願いました。