みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主の宮で奉仕

2011年05月31日 | 歴代誌第一
1歴代誌23章24-32節


 主なる神からの恵みと平安を祈ります。

 きょうで5月は終わり。朝早くの祈りの会から戻ってみると、ちょうど「ラジオ体操」の時間。震災以来「さぼっていた!」ということに気づきました。久しぶりのラジオ体操。ウォーキングとはまた違った気持ちよさがありました。特に、第一と第二との間の「首の運動」が快感なのです。お試しください。

 昨日の夕方、公園を通ってホームセンターに。例年より早い梅雨入りでやはり紫陽花が生き生きしていました。紫陽花の「赤ちゃん」の写真をアップします。 Photo

 ソロモンが建てる神殿でのレビ人の奉仕の種類や内容について記されているのが、きょうの箇所です。ダビデが言うように「レビ人も、幕屋を運んだり、奉仕に用いるすべての器具を運んだりする必要はない」のです。

 人の目につく奉仕、気づかれない奉仕…、教会でのいろいろな奉仕を思いながらこの箇所を読みました。

「私は何もできないので…」としり込みしておられる方が、ある時「トイレットペーパーの補充ならできそう!」とうれしそうにおっしゃいました。以来、トイレットペーパーの予備が、いつもの場所に置かれるようになりました。






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主の前に香をたき

2011年05月30日 | 歴代誌第一
1歴代誌23章1-23節


 私たちの主の御名がほめたたえられますように。

 日曜日はどのようにお過ごしになりましたか。通っている教会では、雨のために墓前での礼拝が中止。いつものように会堂で礼拝をささげました。けれども、少年野球チームの練習はいつもどおり。室内練習場(といっても、会堂ですけれども…)で、ビニール製のバットで素振りなどの練習をしていたようです。
 メンバーの中には、時々私の仕事部屋に来て「カントクー 見て見て!」とか「何してるの?」などと声をかけてくれるお友だちもいます。(私は「前監督」なのですけれどもね) 現監督の熱心な指導の下、少しずつチームワークが育ってきているようです。
 「イチッ、ニッ、サン、シ!」と元気な声が聞こえていました。

 ソロモンが建てる神殿のための資材や職人を調達したダビデは、神殿が完成した後の礼拝奉仕の分担の準備も進めていた、というのがきょうの箇所です。歴代誌の目的がバビロンからの帰還後の「礼拝の再建」だということから、特にこの部分には多くが割かれているのだと思います(23-27章にさらに詳しく)。

 神の宮は神を礼拝するための場所。ですから、そこでの奉仕者分担は大切なことです。教会の奉仕分担、役割分担を思いました。確かに、神を礼拝するための奉仕だという自覚が弱いと、そこには混乱が生じるだろうと思います。小さな目立たない奉仕であったとしても、主をその奉仕を喜んでくださることを忘れないようにしたいですね。
 
 ★心に留まったみことば★
 「それは、彼とその子らが、とこしえまでも主の前に香をたき、主に仕え、主の御名によって、とこしえまでも祝福するためである。」(13節)

 
 

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オルナンの打ち場

2011年05月28日 | 歴代誌第一
1歴代誌21章18-30節


 私たちの主からの恵みと平安がありますように。

 雨の朝です。ニュースは「非常に強い台風2号」が西日本に接近していると報じています。お近くの方、どうぞお大事になさってください。

 きょうの箇所には、ダビデの「人口調査」がどのように収束したのかが書いてあります。
 事は簡単には済まない、自分の罪ゆえに多くのいのちが落とされたことを、だれよりもダビデ自身が重く受け止めています。
 しかし、そのような自分にも「主のあわれみは深い」ことを信じているので、彼は正直に罪を告白しているのです。「私を主の手に陥らせてください」(13節)、「あなたの御手を、私と私の一家に下してください」(17節)などのことばに、自分のやり方で罪の始末をしないというダビデの決意が表われていると思いました。
 そして、主のあわれみにすがり、主の命令に従って祭壇を築き、全焼のいけにえをささげたダビデ。そのダビデを主がお受け入れになったことは、いけにえに下った天からの火によって明らかです。
 
 無償で良いとの申し出を断り、犠牲を払って購入したオルナンの打ち場で全焼のいけにえをささげたダビデの姿から、礼拝の姿勢がどのようなものかを教えてもらいました。
 そして、やがてこのオルナンの打ち場に、息子ソロモンが神の宮を建てることになります。神を礼拝する場は、罪を赦される場であるのだということを象徴しているかのようです。

 「私の罪を赦してくださった主に、犠牲の伴ったささげものを、進んでささげることができますように」との「みことばの光」の祈りのことばで、明日の礼拝に備えたいと思います。

 

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みこころをそこなった

2011年05月27日 | 歴代誌第一
1歴代誌21章1-17節


 神からの恵みと平安がありますように。

 雨模様の関東地方です。雨に似合う花といえば紫陽花ですが、どくだみもステキ。今朝のワンショットです。Photo_2


どくだみの花といえば、星野富弘さんの「どくだみ」という詩を思い出します。どくだみは臭いのですね。でもその葉を乾燥させてお茶にすると匂いはどこへやら、おいしいし健康にも良いのです。
 星野さんの詩は、「おまえの花 白い十字架に似ていた」ということばで終わります。

 ダビデが命じた人口調査は神のみこころをそこない、そのためにイスラエルのうちの七万人が倒れたと、きょうの箇所にはあります。
 なぜダビデは神のみこころをそこなうようなことを企てたのだろうかと、考えてみました。
3節には思いとどまるようにとのヨアブの進言がありますので、この命令が周囲の者から見れば愚かなことであり、民の王に対する信頼を損ねることになるということは、心ある者たちには自明のことだったと思うのです。
 もしかしたら、勝利が彼の心を麻痺させ、悪魔がつけ入るすきを与えてしまったのかも知れません。34キロの金の王冠をかぶったのがいけなかったのかも…。
 
 愚かな命令が支払う代償はあまりにも大きかったのです。

 「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」1ペテロ5章8節




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もう一つの戦い

2011年05月26日 | 歴代誌第一
1歴代誌20章


 私たちの神からの恵みと平安がありますように。

 この章からは、ダビデが東のアモン、西のペリシテとの戦いに勝利して国力を増し加えたことがわかります。そして勝利のために、ヨアブなどの勇士たちが活躍したことも記されています。
 ついでにこの箇所には、「金1タラントの重さがある王冠」、「石のこぎり、鉄のつるはし、斧」などの道具類が登場して、当時の様子を垣間見せてくれます。興味が湧きますね。私などは、すぐに今の価値に換算する癖があるのですが、金1グラムは4,200円ぐらいとのことですから、1タラント34キログラムとしてお店で売り買いしたら14億2800万円になります。
 数日前に見たスーダンを紹介する番組の中で、金を探し求めている人々を見た「旅人」が「金には人の心を魅了してしまう何かがある」というようなことを、ぽつりと話していたことを思い出しました。

 それとともに、ダビデにはもう一つの戦いがあったのだということを、「ダビデはエルサレムにとどまっていた」ということばが伝えていると思いました。アモンとの戦いにヨアブはじめ部下たちが赴いていたときに、ダビデは部下のひとりの妻を自分のものとしていたのですね(サムエル記第二、11章)。
 それは、ダビデにとっては「もう一つの戦い」ではなかったのではないだろうか。戦場の戦いには勝利できたけれども、王宮での戦いには無残にも敗れていたのです。

 きょうの「みことばの光」の祈りのことばを記しておきます。
「主が共におられるので、私も信仰の戦いに勝利できると信じます。」


 

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