ナホム書 3章
昨日の朝の空の美しさは息をのむほどでした。茜色が黒い雲を染めるように広がっていきます。また、その景色が刻一刻と変わっていくのです。写真に収めましたが、表現するのは難しい…。「朝焼けは雨」、そのとおりの天候になりました。
日本語の旧約聖書の終りの部分にまとめられている、いわゆる「小預言書」の一つ一つはそれぞれ個性的です。その中で、「ナホム書といったら神のアッシリアへのさばきのメッセージ」と覚えることができるでしょう。3章から成る「ナホム書」を読み、神のアッシリアへの怒りとそれゆえのさばきの厳しさに、圧倒されるような思いになります。少しは慰めのことばをかけてくれても…という気にさえなりますが、それは人間的思いなのでしょう。そうではなく、人の罪とは神の前にこれほどのものなのだということを心に刻むべきなのです。
5節の「見よ、わたしはおまえを敵とする」という神のことばを心に留めます。神を敵とするというのはこのようなことなのです。そして、パウロのことばを思い浮かべます。「神が私たちの味方であるなら、誰が私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ人への手紙8章31節)
きょうの「みことばの光」には、「神は御子を十字架に架け、地の中(よみの腹)に呑み込ませてまでも、私たちを救おうとされた」とあります。アッシリアのニネベといえば、同じ小預言書の「ヨナ書」を思い浮かべます。神はヨナを魚の腹の中に三日三晩飲み込ませたあとで、ニネベに遣わされました。ニネベを救うためにヨナを遣わした神は、私たちを救うためにご自分の一人子を遣わされたのです。
きれいな飾りで埋め尽くされたクリスマスマルクト、でも、クリスマスはそのようなもので彩るようなものではないのだとも考えるのです。