みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

鉄の戦車

2013年06月29日 | ヨシュア記
ヨシュア記17章


 物事は人によって全く違ったふうに見えます。
 自動車の燃料計。ゲージがF(満タン)とE(空っぽ)のちょうど真中を示していたら、あなたはどう考えますか。
 「まだ半分ある」と考えるか「もう半分しかない」と考えるか、ですね。2年前の東日本大震災の前でしたら、「まだ…」でしたが、今は「…しかない」というように見方が変りました。

 ヨセフ族は、自分たちに割り当てられた地が狭すぎるとヨシュアに訴えました。ヨシュアは「それならば、自分たちでペリジ人やレファイム人の地に行って彼らを追い払い、自分たちの地を切り開いたらよい」と答えました。するとヨセフ族は、谷間に住んでいる人々は鉄の戦車を持っていると言います。相手が強すぎてとても追い払えないと考えていたのです。
 しかし、ヨシュアは引き下がりません。
 相手は鉄の戦車を持っていて強いのだから、…彼らを追い払わなければならない、とヨセフ族を励ましています。

 鉄の戦車を持っているからだめだ、と考えるのか、鉄の戦車を持っているから追い払え、と考えるのかの違いが際立ちます。ヨセフ族は自分たちがヨシュアに訴えたことばの中に、ヨシュアの励ましの鍵があるのを見落としています。それは、「主が私を祝福されたので」ということです。

 主がこれまで私を祝福されたのならば、目の前にある「鉄の戦車」も何のことはないとの姿勢を示せと、ヨシュアは彼らに求めているのです。

 自分にとって「鉄の戦車」とは何だろうか、と考えています。

 

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追い払わなかった

2013年06月28日 | ヨシュア記
ヨシュア記16章


 朝歩き、あるお家の垣根のブラックベリーでしょうか。もう少し経つと食べごろですが、その前にパチリと撮ってしまいました。ごちそうさまでした。 Img_1078
 16、17章には、ヨセフ族への割り当て地のことが記されています。「みことばの光」にあるように、ヨセフ族はイスラエルの中に部族の中でも有力な部族とされ、一つの部族であるのに、ヨセフの子どもマナセとエフライムの子孫たちにそれぞれ別に相続地が割り当てられました。聖書地図で確認するとわかりますが、マナセとエフライムへの割り当て地は相当な広さになります。また、恵まれた地を相続しています。

 気になるのはやはり、「彼らはゲゼルに住むカナン人を追い払わなかった」とのことば。このような表現はすでにユダ部族に相続地が割り当てられるときにも見られました(15章63節)。また、続く士師記Ⅰ章には「追い払わなかった」ということばが連なっています。それは、暗黒期だと言われる士師の時代の混乱の原因だと言っているかのようです。なぜエフライムが追い払わなかったかの理由は明記されていません。しかし、「カナン人は苦役に服する奴隷となった」とありますので、エフライムは自分たちに役立つからという理由でカナン人をそのままにしていたとも想像できます。

 追い払うべき悪癖、罪をうやむやにする、主のためにという大義を掲げて何かに取り組みながらも、その方法において追い払うべきものを温存してしまうなどということについて、キリスト者は、教会は、得るべき豊かな祝福を逃しているのではないかと、省みさせられる一言です。

   

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ヘブロン、エン・ゲディ

2013年06月27日 | ヨシュア記
ヨシュア記15章48-63節

 
 ここには、ユダ部族の相続地のうちの山地の町々と荒野の町々の名が記されています。
 それぞれから一つずつの地名に目を留めてみました。

 ヘブロンが最初に聖書に登場するのは創世記13章18節です。おいのロトと別れた後にアブハラムが住んだのがヘブロンのマムレの樫の木のそばであり、彼はそこに主のための祭壇を築きます。後にアブラハムの妻サラはヘブロンで死に、アブラハムは妻を葬る墓をここに求め、自分も死後葬られます。イサクもここに住みここで最期を迎えます。
 モーセが遣わした12人の偵察隊はヘブロンの近くのエシュコルの谷から採った大きなぶどうの房を運んできました(民数記13章)。カレブはモーセからの約束を信じ従い通してヨシュアからヘブロンを相続地として得ます(ヨシュア記14章)。
 後にダビデは、ユダの王となってから7年半の間ヘブロンを首都とします。さらに、ダビデの子アブシャロムは父に対する謀反ののろしを上げます。

 エン・ゲディは死海の西岸にあります。「エン」とは「泉」、「エン・ゲディ」とは「子やぎの泉」という意味なのだそうです。サウルからいのちを狙われたダビデは、エン・ゲディの要害に住みます(1サムエル23章)。雅歌では、「私の愛する方は、私にとっては、エン・ゲディのぶどう畑にあるヘンナ樹の花ぶさのようです」と歌われますので、ソロモンの時代には果樹が栽培されていたことがわかります。また、神はエゼキエルに、エルサレムの神殿から流れる水が川となって死海に注ぎ、その結果エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所となるという幻をお示しになりました(エゼキエル47章)。

 地図を読むのが好きです。最近はインターネット上で地図帳よりも詳しく、日本ばかりでなく外国の地図を読むことができるのでありがたいと思っています。実際にその地に立って地図のとおりになっているのがうれしいのです(地図が実際を描くのですから逆なのですが…)。もう一つ、一見無味乾燥に思える地図の「そこに」人が住み、生活していることを思うと、地図に温度を感じます。それは聖書の地図においても同じだと思うのです。

  

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神の足跡

2013年06月26日 | ヨシュア記
ヨシュア記15章20-47節


 きょうのこの箇所を、どのように読みましたか。町や村の名前が列記されているだけで、読み飛ばしてみたくなります。カタカナ表記ですので、声を出して読むと発音練習によいかもしれませんね。…
 冗談はさておき、このような箇所を読む場合には、知っている地名をピックアップしてそこが聖書の他の箇所ではどのような出来事の舞台となっているのかを調べることもします。

 その前に確認。この章にはユダ部族の相続地の地名が出ていますが、次のように地域で区分されています。
 1)南(ネゲブ)の町々(20-32節)~有名なのはベエル・シェバ。
 2)低地の町々(33-47節)~知られているのはアドラムやラキシュ、ガザなど。
 3)山地の町々(48-60節)~カレブが相続したヘブロンが含まれています。
 4)荒野(61、62節)~死海の西岸、エン・ゲディが有名。

 ベエル・シェバ(28節)に目を留めました。
 欄外注がついている新改訳聖書では、ベエル・シェバに印がついていて、欄外にある注には創世記21章31節とあります。そこを開くと、アブラハムとアビメレクが契約を結び、アブラハムはそこに一本の柳の木を植え、永遠の神主の御名によって祈ったとあります。さらに創世記21章31節の欄外注をたどりますと、創世記26章33節とあります。ここではイサクとアビメレクも契約を結んでいるのです。

 また、コンコルダンス(聖書語句辞典、最近はホームページで検索も可能)で「ベエル・シェバ」を引きますと、創世記21章14節では、イシュマエルの母ハガルがこのあたりの荒野をさまよい歩いたとあります。
 ヤコブは、エジプトにいるヨセフに会いに行く途中にここで神と出会います(創世記46章1、2節)。
 のちに、預言者エリヤはアハブ王の妻イゼベルの怒りからのがれて神の山ホレブへの途中、ベエル・シェバに立ち寄っています(1列王記19章3節)。

 アブラハム、イサク、ヤコブ、ハガル、エリヤ…神が選び、用いられた人々がここに足跡を残しました。それはまた、見えない神の神の足跡が残された地でもあるということですね。ここにあるたくさんの地名も同じ。

 そして、自分が住むこの町にも、見えない神の足跡が残されているとも思えるのです。

  

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賢い願い

2013年06月25日 | ヨシュア記
ヨシュア記15章1-19節


 ネゲブは「南」という意味です。
 カレブが信仰によって勝ち取ったヘブロンからさらに南に、娘夫婦は行こうとしていました。
 その際に、娘アクサが求めた祝いの品は泉でした。18節や「みことばの光」の提案も併せて考えてみますと、アクサは、彼女の父カレブからの持参金として畑を求めるようにと夫のオテニエルを説得し、さらに泉を求めたということになります。

 ネゲブとはベエル・シェバから南の乾燥地帯を指していますが、エゼキエル書20章には「ネゲブの森」、エレミヤ書13章には「ネゲブの町々」とありますので、昔は人が住んで生活をしていた地域だったようです。それでも、水の湧く泉はどこに移り住んでもなくてならないものですから、この夫婦は賢くふるまったと言えます。

 さらに、アクサが「水の泉」をくださいと願ったのに対して、父カレブは彼女に「上の泉と下の泉」とを与えました。愛する娘に求める以上のものを与える父親の姿は、愛する者たちに気前よく与える天の父なる神に重なります。「あなたのほしいものを何でも与えよう」と神から問われたら、さて自分は何を求めるだろうかと考えます。実はそのような決断は、私たちが日ごとに神に祈り求めるたびに問われ続けているのだということに気づかされました。

 熱心に求めているか、大胆に願っているのかと、神に対する自分の姿勢を探られています。

   

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