みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

明日のことを誇るな

2018年12月14日 | 箴言

箴言 27章

 日本には寒気が訪れていると報じられていますが、当地にもようやく深々とした寒さがやって来ました。クリスマスを前に、何となく道路の交通量も増えているように思えるこの頃です。

 箴言には、人間関係についての格言が多くありますが、本章には特に多いように思えました。

 「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するよりも良い」と5節にありますが、どちらかというと、自分は反対を行ってきたのではないかと顧みて思います。言わなければならないことを、相手のことを慮(おもんぱか)って言わずに済まそうという思いが時々湧いてきます。続く6節からは、表向きのふるまいだけで「あの人は良い人だ」「この人は悪い人だ」と判断するのが早計だということに気づかされます。

 「鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる」と17節にあります。ここからも、表向きの関係ではない、真実の、時には厳しい助言を得たり、互いの意見を率直に述べ合うことのできる関係を持てているのだろうか、そのような友を持っているだろうか、そのような友であるかなど、立ち止ってよく考えるきっかけを本章の一つひとつのことばから得たように思えます。

 きょうという一日の途中に何が起こるのかはわかりません。だからこそ、すべてを治めておられる神のことばを聞くのですね。

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ふさわしい結果

2018年12月13日 | 箴言

箴言 26章

 当地のガソリンスタンドでは、日本と同じように遠くからわかるように1リッターの価格が表示されています。ただし、その価格は一日のうちに何回も変わるのです。このところ高値で推移していた価格が少し下がったので、昨日給油しました。給油を終えて、レジで支払って価格看板を見たら、さっきよりも下がっているではありませんか! たかだか4セントなのですが…。損をしたような気持ちになりました。こんなふうに考えるのは愚かなのでしょうか。

 この章には、「愚かな者」、「怠け者」「陰口をたたく者」、「憎んでいる者」と、好ましくない人々の様子が描かれています。4節と5節に書かれていることばがもう少し離れた箇所にあると、箴言には一貫性がないと非難を招き、それゆえに箴言の正典性が疑われたほどだと、ある書に記されていました。確かに、矛盾しているようにも読めます。

 でも、この二つの格言が言おうとしていることは何となくわかります。「その愚かさに合せて答えるな」とは、愚かな人の思考や道徳に呑み込まれないようにということで、「その愚かさに合せて答えよ」とは、相手の愚かさを明らかにするために知恵をもって答えるようにとの戒めだと考えるのですが、いかがでしょうか。

 改めて読みますと、この章には前向きな格言はありません。愚か者や怠け者たちにふさわしい結果が綴られています。「主を恐れることは知恵の初め」との箴言の主題のことばを思い浮かべました。主を恐れることは、生活の細部にまで意味を持つのだということを、前向きではない本章のことばから考えるのです。

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神の誉れ、王の誉れ

2018年12月12日 | 箴言

箴言 25章

 ほぼ4年の当地での生活を終えて年末に本帰国する方が、お貸ししていた「ハイジ」を持って、わが家を訪ねてくださり、美味しく豊かな時を過ごさせていただきました。「ハイジ」とは、あの「アルプスの少女ハイジ」として知られている話の原作です。簡略版ではなく、原作をお読みになることをおすすめします。

 「みことばの光」が書くように、箴言25章から29章は、ソロモンの箴言をおよそ200年以上後のヒゼキヤ王が再編集させたものです。そのはじめにあるのが、「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王たちの誉れ」ということば。聖書欄外にある注に申命記29章29節とありますので、開いてみますと、「隠されていることは、私たちの神、主のものである」と書かれています。

 神が聖書によってご自分を明らかにしておられると、私たちは信じています。だからといって、聖書によって神についてのすべてがわかるわけではありません。人の知恵や探求によってもなお、神が図ることには探りえないことがあるのです。これまでわからなかったことが次々に解明されるような中にあっても、すべてがわかるようになるということではないのです。

 ソロモン王は神から豊かな知恵と英知と、広い心を賜わりました。それによって、神が造り、治めておられるこの世界のさまざまなことを知恵をもって探り、多くの箴言が誕生しました。「事を探るのは王たちの誉れ」ということばからは、ソロモンの姿が浮き出てくるようです。

 事を隠すのは神の誉れなのだから…と、神の御(み)思いを求めるのを無駄だというのは正しい態度ではないのです。だからこそ、教えてくださいと願い求めよと促されているようです。

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率直な答えをする

2018年12月11日 | 箴言

箴言 24章23−34節

 前にも書きましたが、ここ数日当地の天候は、夜明け前に美しい星空、朝に太陽、午前に黒雲、そして雨、夕方には夕陽というように一日の内にめまぐるしく変わります。「天候に左右される」などということばがありますが、人間の力の及ばない領域がまだまだたくさんあるというのは大切なことなのだと、雨の中を歩きながら考えました。

 24章後半には二つのテーマがあります。勤勉に働くように、そして裁判の席でのことばの重みについて説いています。

 裁判は公正であるべきだと誰もが考えますが、現実には正しい者が正しいとされず、悪を行った者が罪とされないということが繰り返されています。告発する側と訴えられた側がそれぞれの主張を述べ合い、それを法に照らして判断し判決を下すという仕組みが機能しない場合もあります。「悪者に向かって『あなたは正しい』と言う者」がいるからです。

 26節の「率直な答えをする者は、その唇に口づけされる」ということばは、以前の翻訳では「正しい答えをする者は、そのくちびるに口づけされる」でした。聞かれたことに率直に答えるというのは、意外と簡単ではありません。人を恐れ、自分を守ろうとするために、率直に言わないということをするからです。言ってはならないことを言ってしまった、言うべきときに黙ってしまったという失敗を重ねます。

 きょうの「みことばの光」には、「キリストの救いと赦しにあずかった者は、人に対しても正義と愛と赦しを成り立たせるよう励もう」との促しがあります。根拠のない証人にならないように…。

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人間として

2018年12月10日 | 箴言

箴言 24章1−22節

 きのうの礼拝には、久しぶりにたくさんの子どもたちの姿が…。次の日曜日にあるクリスマスのお祝い会で「上演」する聖誕劇の練習をするために集まってくれました。本番はどうなることでしょう? 

 「みことばの光」、本日のタイトルは「誰を友としているか」です。確かにここには、人との関わりにおいて知恵を用いて心掛けなければならないことが並んでいます。ちなみに、これらは22章22節からの「勧告と知識についての三十句」の19番目から30番目までのことばです。

 本日のタイトルを「人間として」としたのは、人は他人との関係の中で生きているという意味です。人は、赤ちゃんとして産まれる時に、いや産まれる前から、母親、父親との関係を持って(持たされて)います。この関係を抜きにしてこの世に生まれてくることはないのです。

 自分以外の人との関係ゆえに喜びが与えられ、やる気が湧き、怒り、悲しみ、憎しみを抱くこともあります。誰かを傷つけたり、反対に傷つけられたりするときもあります。それゆえ、誰を友とするのかは大切なことなのです。

 課題の多い人間関係の中で、大切なのは知恵であり、知識であり、分別です。そしてこれらを与えてくださる神との関係が他のすべてに勝っていることにも、気づかされます。

 「もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い」ということばが心に響きます。自分はそのような者だとうなずくことと、本当の強さは「人の心を評価する方」「あなたのたましいを見守る方」との結びつきにあるのだと納得するのす。

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2011-2018© Hiroshi Yabuki