みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

みことばをほめたたえます

2024年07月27日 | 詩篇

詩篇 56篇

 大きな集まりをしている会場には畑があり、おいしそうなズッキーニなどが収穫を待っていました。食卓の野菜は、ここで収穫されるものとのことでした。

 本篇も、その表題からサムエル記第一に記されている出来事が背景になっていることがわかります。

 サムエル記第一21章10−15節です。サウルから逃れてダビデはペリシテ人の地ガテの王アキシュのところに行きました。すると家来たちが「サウルが千を討ち、ダビデは万を討った」と歌っていたあのダビデではないかと言ったので、ガテの王を恐れ、自分がおかしくなったかのようにふるまい、……ひげによだれを垂らしたりしたと、あります。

 この詩篇では「神にあって(主にあって) 私はみことばをほめたたえます」ということばが繰り返し用いられています。踏みつけられ虐げられる中で恐れるダビデ。しかしそのような時でも、いや、そのような時こそ彼は神に信頼するのです。

 神に信頼するとは、具体的には神が自分に与えられたみことば、約束のことばを信頼するのです。神のことばには力があることを彼はどんなときも疑いません。

 さらにダビデは、神は自分のさすらいを記録し、自分の涙をあなたの皮袋に蓄える、つまりあなたが書き留めくださっていると言います。

 きょうの私の一日の歩みを、神はどのように記してくださっているのだろうかと考えてみました。そしてそれは自分が自分の一日を記す内容と同じなのか、それとも違う内容なのでしょうか。


私の逃れ場

2024年07月26日 | 詩篇

詩篇 55篇

 昨日から、年に一度の「ヨーロッパキリスト者の集い」が始まりました。今年のスモールグループのメンバー写真です。いつもは花や景色の写真なのですが、今日は皆さんの許しをいただいたので、集合写真を掲載いたします。初めてのことです。

 詩篇55篇には思い出があります。神学校の時、夏休みにある教会の礼拝で説教をすることになり本篇から話させていただいたことです。ダビデが「悲嘆に暮れ 泣き叫んで」いたという状況について思うのは、サウルに追われていた時ではなくて、わが子アブサロムの謀反によってダビデがエルサレムから逃げてオリーブ山を登る場面です。

 サムエル記第二15章30節に、「彼は泣きながら登り、その頭をおおい、裸足で登った」とあります。この時ダビデの敵となったのはわが子であり、頼りにしていた側近でした。

 そのような背景をうかがわせるのが12−14節のことばです。彼のいのちを狙っているのはかつてはともに交わり、ともに礼拝していた者たちだったのです。ダビデが大きく嘆き悲しむのは、このような理由からでもありました。

 本篇6−7節に「ああ 私に鳩のように翼があったなら。 飛び去って 休むことができたなら…… 私の逃れ場に急ぎたい」とあります。もしも、アブサロムによる謀反と本篇とが関わりがあるのでしたら、ダビデはエルサレムからできるだけ遠くに逃げなければならないと思っていたはずです。しかし、本篇を読み進めていきますと、「私の逃れ場」とは敵からできるだけ遠くにあるのではなくて、じつは「そこ」なのです。

 自分のいのちを狙うものを神は必ずさばかれること、だからこそ自分は「あなたに拠り頼みます」と信頼しています。そここそ、私たちの「逃れ場」なのです。


神よ 私をお救いください

2024年07月25日 | 詩篇

詩篇 54篇

 7年間ほど愛用していたデバイスが、充電ができないために「眠って」しまいました。ちょうど良いタイミングだと思いました。ただ、電子ブックをどのように読むかは課題として残りますが……。しばらくの間は買わずにすごそうと思います。

 詩篇54篇は、昨日まで読んできたサムエル記第一とつながりがあることが、表題からわかります。本篇の背景は、サムエル記第一23章19節以降に記されています。いのちを狙うサウルの手から身を守るために逃げるダビデ。しかし、相手は主君サウル。自分たちの居場所を密告する者もいます。

 そのような境遇に自分が置かれたら…と考えつつ本篇を読み進めていきますと、追われる立場のダビデには、じつに強い味方がおられることが分かります。自分の力ではとても逃げ切ることができないところまで追い込まれてもなお、ダビデには「神よ あなたの御名によって 私をお救いください」と神に祈る道が残されているのです。

 「神よ 私をお救いください」から始まる本篇は、その終わりには「神がすべての苦難から私を救い出し 私の目が敵を平然と眺めるようになったからです」で終わります。この最後のことばを心に留めました。

 サムエル記第一23章には、映像的な描写があります。それは「サウルは山の一方の側を進み、ダビデとその部下は山のもう一方の側を進んだ。ダビデは急いでサウルから逃れようとした」という26節のことばです。ここでのダビデは、追い迫って来るサウルに捕らえられる直前でした。しかし、ペリシテ人が攻め込んで来たとの知らせにダビデは辛うじて助かるのです。

 そんな緊迫した状況と本篇の最後のことばを重ね合わせます。ダビデはそのような中にあっても、「敵を平然と眺めるようになった」のです。重い病にかかっていたとしても、どうすることもできないほど行き詰まっていたとしても、「神よ 私をお救いください」との一言は、そのような中にあっても「敵を平然と眺めるように」神がしてくださるという、みわざヘの入り口です。


王の死

2024年07月24日 | サムエル記第一

サムエル記第一 31章

 夕方外に出て、帰り道に夕立に遭いました。傘をさすかささないかという微妙な状況でしたが、家まであと50メートルというところでついに傘を開きました。夏の雨はむしろ気持ちが良いぐらいですね。

 ギルボア山はイスラエル中北部にあるイズレエル平原を見下ろす位置にあります。ここでのペリシテとの戦いの末に、サウル王、ヨナタン初め息子たち、道具持ち、部下たちが殺されたのです。

 その最期は、ずっと周辺諸国と戦いを交えてきた王にふさわしいものでした。3節に、「攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼を狙い撃ちにした」とあります。これはサウルがイスラエルの王として逃げ隠れすることなく、ペリシテの激しい攻撃を受けて立ったことを語っています。サウルの気迫が敵の集中攻撃を招いたとも考えることができます。

 28章には、サウルが次の日に死ぬことを知らされたことが記されています。死を恐れる者であれば、王であることを放り投げて逃亡したことでしょう。しかし彼は、次の日に戦いの前線に立ったのです。そしていのちを落としました。

 サウルは、主の御声を聞き従うというイスラエルの王に求められている要件に適いませんでした。考えようによっては、サウルの戦死は王としての務めから解かれたのだとも言えます。

 数日前に、「サウルがかわいそう」という声を聞きました。サウルはダビデのいのちをつけ狙う悪人であり、正義はダビデにあると考えがちです。しかし、サウルについて読み進めるなかで、サウルのもろさは私たちのもろさであることにどこかで気づいているので、「かわいそう」ということばが出てくるのだと思います。

 しかし、それでもサウルの姿は私たちに警告を与えます。それは、神のことばに聞き従うこと、罪を犯したならば悔い改めるということです。神はそれを待っておられるのです。


自分の神

2024年07月23日 | サムエル記第一

サムエル記第一 30章

 学年末が終わっての夏休み。すると地下鉄や道路の工事があちこちで始まります。日曜日、礼拝に来ようとする方々が、工事に妨げられて遠回りを強いられたり途中で断念したりしました。こちらでは、このようなことがよくあります。日本でも大動脈の新幹線がほぼ一日運休したとありましたね。

 この章には、ダビデが大変な苦境の中に投げ込まれたことと、その苦境をダビデがどのように乗り越えたのかが記されています。

 ダビデと一行は、ペリシテ軍には加わらずにユダとペリシテの境に位置するツィケラグに戻って来ました。そこで見たのは、留守の間にアマレク人によって町が焼き払われ、ダビデの妻も含めて一行の妻や子どもたちが連れ去られてしまうという惨状でした。

 4節には、ダビデを初めいっしょにいた者たちが声をあげて泣き、ついには泣き疲れてしまったとあります。前章でペリシテの軍隊から離脱できたことは、ダビデたちにとっては大きな希望であり、これでツィケラグに置いてきた家族とともに次の計画を思い描いていたに違いありません。

 しかし、彼らが見たものは希望を打ち砕きました。神が自分たちの窮地を救い出してくださり、これから先に歩むべき道を開いてくださったとの思いで戻って来た矢先の出来事でしたので、絶望したのです。

 さらに、ダビデにとってこのことは、自分のいのちが奪われるという危機でもあったのです。

 6節は3つの文章から成ります。最初はダビデが大変な苦境にさらされたこと、次は、兵がみな……ダビデを打ち殺そうと言い出したこと、そして3つ目はダビデが自分の神、主によって奮い立ったことです。一つの節の中に大きな変化が見られるのです。

 鍵は、ダビデが自分の神、主によって奮い立ったということ。「自分の神」ということばが心に留まりました。「自分たちの神」でなくて「自分の神」と言える関係をダビデは神との間で持っていました。

 そして私たちも、イエス・キリストによって同じ関係を持たせてもらっているのです。この事実は大きい! のです。


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