みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主人の心家来知らず

2024年07月31日 | サムエル記第二

サムエル記第二 2章18−32節

 この夏一番の暑さを感じた火曜日。でも、空気が乾燥しているので夜の9時頃になると涼風が心地よいのが助かります。西瓜(すいか)は、やはり暑さ対策にとても良い食べ物でした。

 2章後半は、ヨアブが率いるダビデの家来たちと、アブネルが率いるイスラエル側の兵士たちとの戦いのことが記されています。きっかけはアブネルが「若い者たちに闘技をさせよう」とヨアブに提案したことだったと、14節にあります。

 双方から12人ずつの代表を出して闘技を始めたものの、次第に双方が剣をもって戦うまでへとヒートアップしてしまいます。17節に「アブネルとイスラエルの兵士たちは、ダビデの家来たちに打ち負かされた」とあります。ヨアブの弟アサエルは、これを機にイスラエル側の武将アブネルを猛烈な速さで追います。

 アブネルはアサエルが自分を追うのを止めさせようとします。アブネルのことばをアサエルは聞かず、ついにはアブネルがおそらく制止しようとして出した槍の石突き(槍先と反対側)が走ってきたアサエルのからだを突き抜け、アサエルは死んでしまうのです。

 闘技から殺し合いヘという後味の悪い事件だと、読むたびに思います。同じイスラエルの民だといっても、ついこの前までは追う側と追われる側。サウルの悲しみを心から嘆いて哀歌を唄うダビデの思いを、家来たちは受け止めることができなかったのではないかと、考えました。

 生死をともにしてきた家来たちが主人の思いを知らなかったということから、イエスの弟子たちの姿が浮かんできました。そして私たちのことも…。 


主に伺った

2024年07月30日 | サムエル記第二

サムエル記第二 2章1−17節

 月曜日に、今年はじめて西瓜(すいか)を買い求めました。今日から数日暑さが続くということから、水分補給の一つとしてです。でも、西瓜は重いですね。美味しい味を楽しみにしながら、落として割らないように注意しつつ家に持ち帰りました。

 2章前半には、ダビデがユダ部族の王となり、一方ではサウルの子イシュ・ボシェテがサウル側の軍の長アブネルの後ろ盾で王となったことが記されています。少なくても二年間はイスラエルには二人の王がいたということが分かります。

 1節に目が留まります。サウル亡きあと、人々の関心はダビデに向くのは必然です。それは、自分の部族ユダだけの関心ではなかったはずです。ここでダビデは、一気にイスラエルの後継王として名乗りを挙げるという道がありました。しかし、彼はまず「主に伺った」のです。

 ダビデのこの姿勢はこれまでも何度もありました。それはサウルとは対照的なことでした。勢いとかやる気とか周囲の期待などによって、人は次のステップを踏み出します。しかし、ダビデは変わらずに「主に伺った」のです。そしてそのようなダビデに、主は具体的にどこに行くべきなのかを明らかにしてくださいました。そしてダビデも、主の答えに従いました。これが主に信頼する者の基本です。

 またダビデは、亡きサウル側に対して挑戦的、敵対的な姿勢を持っていたのではありません。4節後半から7節までには、ダビデがヨルダン川の東側ヤベシュ・ギルアデの人々に使者を遣わし、彼らがサウル王を葬ったことに対して、謝意を表し、主の恵みとまことを施してくださるようにとのメッセージを届けたことが書いてあります。

 ダビデは主がお定めになった「時」を待ちました。しかし、待てない者たちがいたことが今日の箇所の後半に記されています。


何の恨みもなく

2024年07月29日 | サムエル記第二

サムエル記第二 1章

 四日間の大きな集まりが終わり、夕方5時半に帰宅しました。準備や運営に携われた方々は無事に終了したという安堵とともに疲れもどっと出ているのではないかと思っています。ありがとうございました。「また来年!」と言えないのが寂しくもあります。

 8月を待たずにサムエル記後半を読み始めます。この後半は、ダビデがサウル王と息子ヨナタン死亡の報告を知ったところから始まるのです。

 それは、アマレク人の兵士によってもたらされました。兵士の報告はサムエル記第一31章の記事とは異なります。この兵士は、自分がサウル王を殺し、その王冠と腕輪とを取ってダビデのところに持っていけば、「よくやった、褒美を取らせる」とほめられるかと期待していたようです。

 しかしダビデは、この兵士を殺します。これまでダビデがどれほど苦悩して「主に油注がれた王に手をかけるべきではない」として逃げていたことからしたら、兵士の行為はたといそれが偽りであっても、赦されないことでした。

 11−12節に、サウルやヨナタンの死の知らせを聞いたダビデたちが、喜ぶどころか泣き悲しんでいる様子が描かれています。

 ここで、ダビデだけが泣いて悲しんでいるのではなくて、ダビデの家来たちもいっしょに泣き悲しんだということが目に留まりました。逃亡中のダビデには、サウル殺害のチャンスが二度ありました。家来たちは「今こそ」と勇みましたが、ダビデは思いとどまらせます。しかしこの時、サウルとヨナタンの死の報を受けた彼らはダビデとともに悲しんだのです。ここにこの集団の成長を見ることができると私は思いました。

 後半にはダビデの哀歌。「弓の歌」として知られています。「ああ、勇士たちは倒れた」とのことばを繰り返しつつ、ダビデは心からサウル王と親友ヨナタンの死を悼んでいます。さわやかで美しい哀歌です。そのさわやかさは、サウルに対する非難や恨みが一言もないところから来ているのではないかと思いました。


みことばをほめたたえます

2024年07月27日 | 詩篇

詩篇 56篇

 大きな集まりをしている会場には畑があり、おいしそうなズッキーニなどが収穫を待っていました。食卓の野菜は、ここで収穫されるものとのことでした。

 本篇も、その表題からサムエル記第一に記されている出来事が背景になっていることがわかります。

 サムエル記第一21章10−15節です。サウルから逃れてダビデはペリシテ人の地ガテの王アキシュのところに行きました。すると家来たちが「サウルが千を討ち、ダビデは万を討った」と歌っていたあのダビデではないかと言ったので、ガテの王を恐れ、自分がおかしくなったかのようにふるまい、……ひげによだれを垂らしたりしたと、あります。

 この詩篇では「神にあって(主にあって) 私はみことばをほめたたえます」ということばが繰り返し用いられています。踏みつけられ虐げられる中で恐れるダビデ。しかしそのような時でも、いや、そのような時こそ彼は神に信頼するのです。

 神に信頼するとは、具体的には神が自分に与えられたみことば、約束のことばを信頼するのです。神のことばには力があることを彼はどんなときも疑いません。

 さらにダビデは、神は自分のさすらいを記録し、自分の涙をあなたの皮袋に蓄える、つまりあなたが書き留めくださっていると言います。

 きょうの私の一日の歩みを、神はどのように記してくださっているのだろうかと考えてみました。そしてそれは自分が自分の一日を記す内容と同じなのか、それとも違う内容なのでしょうか。


私の逃れ場

2024年07月26日 | 詩篇

詩篇 55篇

 昨日から、年に一度の「ヨーロッパキリスト者の集い」が始まりました。今年のスモールグループのメンバー写真です。いつもは花や景色の写真なのですが、今日は皆さんの許しをいただいたので、集合写真を掲載いたします。初めてのことです。

 詩篇55篇には思い出があります。神学校の時、夏休みにある教会の礼拝で説教をすることになり本篇から話させていただいたことです。ダビデが「悲嘆に暮れ 泣き叫んで」いたという状況について思うのは、サウルに追われていた時ではなくて、わが子アブサロムの謀反によってダビデがエルサレムから逃げてオリーブ山を登る場面です。

 サムエル記第二15章30節に、「彼は泣きながら登り、その頭をおおい、裸足で登った」とあります。この時ダビデの敵となったのはわが子であり、頼りにしていた側近でした。

 そのような背景をうかがわせるのが12−14節のことばです。彼のいのちを狙っているのはかつてはともに交わり、ともに礼拝していた者たちだったのです。ダビデが大きく嘆き悲しむのは、このような理由からでもありました。

 本篇6−7節に「ああ 私に鳩のように翼があったなら。 飛び去って 休むことができたなら…… 私の逃れ場に急ぎたい」とあります。もしも、アブサロムによる謀反と本篇とが関わりがあるのでしたら、ダビデはエルサレムからできるだけ遠くに逃げなければならないと思っていたはずです。しかし、本篇を読み進めていきますと、「私の逃れ場」とは敵からできるだけ遠くにあるのではなくて、じつは「そこ」なのです。

 自分のいのちを狙うものを神は必ずさばかれること、だからこそ自分は「あなたに拠り頼みます」と信頼しています。そここそ、私たちの「逃れ場」なのです。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki