士師記 20章1−16節
「みことばの光」11月号の編集が大詰め。「読者のページ」への投稿がなく、どうしようかと思案していましたら、ぴったりのタイミングで「士師記」を読んでのご感想を送ってくださいました。とても勇気づけられました。
側女を殺されたレビ人の訴えを受けて、イスラエルはミツパに集まりました。ここはギブアから遠くないベニヤミン族の町です。そこで、レビ人から事情を聞いた彼らは、ベニヤミンのギブアに向かいます。ベニヤミン族もギブアに向かいました。イスラエルは悪を行った者を引き渡すよう求めましたが、ベニヤミン族は拒みます。そのために戦いが始まります。
13節に「ベニヤミン族は、自分たちの同胞イスラエルの子らの言うことを聞こうとしなかった」とあります。イスラエルの提案はもっともなものでしたが、拒絶をしたのはなぜなのだろうと考えます。誰かが述べる「正論」に耳を傾け入れ入れずに、反発するのはなぜなのかと思います。
相手が正しいのに反発するというのは、今でもよくあると思います。素直に言うことを聞いていたらよかったのに、なぜあの時に心を頑なにしたのだろうかと振り返る人は、決して少なくないと思います。このようなことを考えているなかで、やはり「それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた」という17章6節のことばを思います。
大切なのは正しいかそうでないかでなく、自分にとって良いか悪いかなのだというのは、ずっと神を恐れないで歩む「罪人(つみびと)」の姿なのです。相手に耳を傾けるのでなく、自分の主張を分かってほしいなどという姿勢も「自分中心」ゆえのこと。今は、それが上手に、もっともらしく社会の中に浸透しているのではないでしょうか。