みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

このような人たち

2018年10月31日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 16章13−24節

 2018年10月はきょうが最後。昨年のきょうはルターによる宗教改革500年という記念の年でドイツ全州が祝日でしたが、今年はいつもの年に戻って、東部の5週のみが休日として覚えられます。

 コリント人の手紙第一も終わりの部分を読みます。厳しい内容も含まれている手紙を閉じるとき、人は何を書くのだろうかと思いながら、パウロのことばをたどりました。

 13、14節には5つの命令があります。異教の地に誕生したコリントの教会での福音を守るための戦いは、止むことがありません。ぼんやりとしていたら、たちまちあらぬ方向に行ってしまいやすい教会に、これまで述べてきたことをまとめるようにして、5つのことを命令しています。これらは、いつの時代でも教会が受け止めなければならない大切なことです。

 私には特に、「一切のことを、愛をもって行いなさい」という命令が心に留まります。豊かな賜物を持つ人々が集まっているのに、かえってそれがわざわいとなって教会の働きを妨げているのは、ひとえに愛の欠如が原因でした。自分の思い、ことば遣い、行動がこの原則に基づいたものかを照らす必要があるのは、当時のコリントの教会だけでなく、私も同じです。

 パウロはこれらの命令を、次に挙げる人々の顔を思い浮かべながら記させているのではと想像します。スティファナとポルトナト、そしてアカイコは、コリント教会からパウロのところに質問状を持参する使いとしてやって来た3人だったのでしょう。彼らは質問状だけでなくて、懐かしいコリントの香りも届けてくれたのです。遠く離れた所に住んでいますと、訪ねて来てくれるのが嬉しく思います。私たちも、このような人々によって神からの贈り物を受けているのですね。

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機会があれば…

2018年10月30日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 16章1−12節

 お琴の演奏をしてくださった方を空港まで送りました。普段は旅行用のキャリーバッグの大きい物ぐらいで慣れていたので、お琴を運ぶのは考えた以上にたいへんでした。けれども、その折りに知恵が与えられて、無事に荷物を預けることができました。普通の荷物よりも大きいので追加料金が必要なのですね。これも初めての経験でした!

 ここは、災害の中での緊急の助けを必要としていたエルサレム教会への献金を集めることについて、パウロが予定を書いている箇所です。そして、特に彼がここで明らかにしているのは、誰が献金を集めにコリントを訪ねるのかということです。初めの2-9節では、パウロ自らがコリントに行くと書いています。けれども次の10、11節では、エペソでの働きが拡大しているのでテモテを送るかもしれないと書いています。そして12節を読むと、コリント教会はアポロに来てほしいと望んでいるような雰囲気が伝わってきます。そしてパウロも、コリント教会のためにはアポロが行ったほうがよいと勧めたけれども、今のところアポロには行く意志が全くないことも知らせています。

 「予定は未定」とよく言われます。「みことばの光」の編集をしておりますが、予定していたとおりに物事が進まないということが時々起こります。原稿が締め切りに届かない、編集が思ったよりも時間がかかってしまったなど…です。「みことばの光」は月刊誌なので、この号の編集を終えて印刷所に送ると間もなく、次の号の編集が本格的になるという具合に事が進みます。

 そのような中で、「良い機会が」という12節のことばに目が留まります。自分が考え、練り上げた計画がうまく進めば嬉しいです。しかし、そのとおりにいかないこともあります。パウロはここで、「私が、…いやテモテが、…アポロは…」と書いています。決して無責任なのではなくて、いっしょうけんめい考え、考えたことを実行しようとするのだけれども、それをはるかに超えて神のご計画が進められるのだということに気づくのは、とても大切なこと。へりくだることを学ぶ機会ともなります。何か、物事が思いどおりに進まないことの言い訳のようになってしまいました…🙇

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今を生きる力

2018年10月29日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 15章50−58節

 日曜日の礼拝では、琴による賛美が献げられました。琴の音色を外国で聴くというのは不思議な感じがします。きょうはベルリンに向かい、ベルリンの教会での礼拝その他で演奏をなさるとのこと。お二人の旅を神が最後まで守ってくださるようにと祈りました。

 復活についてのパウロの論証はクライマックスを迎えました。キリストは事実復活されたのだから、キリストを信じる私たちにも復活の希望があるとパウロは書き続けます。

 私たちがまとっているこのからだはやがて朽ちるもの。死という現実の前には、誰もが恐れや無力感を味わいます。しかしパウロは、キリストの復活の事実の上にやがてキリストの再臨の際には何が起こるのかを明らかにします。想像できないことが待ち構えています。

 「一瞬のうちに変えられる」ということばに目が留まります。一瞬のうちに変わるとは不思議な現象です。「ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです」キリストにあって死んだ者もその時生きている者も、キリストが復活されたことによって可能になったものを体験するのです。

 そして、この希望を持つことは、今の生き方に大きな意味を持つのです。確かな「やがて…」ガアルゆえに、今を力強く生きていくことができるのです。感謝!

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しかし、今やキリストは

2018年10月27日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 15章20−34節

 ある方から頂戴したメールの書き出しにある、「いよいよ避けて通られない冬の訪れ…」という一言が心に留まりました。先週はじめまでは紅葉が美しく映える秋晴れが続きましたが、ここのところ曇天が続いています。

 きょうまでは夏時間ですので、朝7時になっても外はまだ暗やみ。明日からは1時間遅くなりますので、しばらくの間は「改善」(?)しますが、夜の長い季節の到来が間近です。

 この部分は二つに分けることができるでしょうか。まずは、キリストが復活したことによって死者の復活の約束がどのように実現していくのかをパウロは明らかにしています。

 20節の「しかし」という接続詞には力強さを覚えます。もしもキリストが復活しなかったならば、イエスを救い主だと信じている私たちはどんなにみじめで哀れなのだろうと、パウロは問いかけていますが、「しかし」ということばには、そんな懸念を吹き飛ばしてしまう力があります。キリストは死者の中からよみがえられたのです!

 そして、ここから未来についての約束が間違いなく起こるのだとして、パウロは終わりの時までのことを説いているのです。「最後の敵として滅ぼされるのは、死です」ということばにも目が留まります。信仰者は、イエスの復活の事実の上に自分たちもまた、復活させていただくという希望を抱いていますが、それはつまり、死が滅ぼされて無力になる時が来るということです。

 病を得たり思わぬ事故に遭ったしりして、人は愛する者の死を嘆き悲しみ自分も死を恐れます。しかし、キリストの復活によって死は全く無力なものとなるのです。

 パウロは、キリストの復活がなかったとしたらクリスチャンが行なっていることには意味がなくなると続けています。一つは「死者のためのバプテスマ」であり、もう一つは「信仰の戦い」です。キリストの復活は私たちの日々の生活を励まし、良い意味での緊張を与えていることを覚えます。

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死者の復活がないのなら

2018年10月26日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 15章12−19節

 「ドイツ語でおしゃべり」の帰り道、落ち穂拾いならぬ「落ち胡桃拾い」をしました。多くの実はなくなっていましたが、15個程度を「収穫」しました。「ドイツ語でおしゃべり」には、私たちの他、イランの方が出席していましたので、ドイツ語のほかにペルシャ語が飛び交ってとてもおもしろい時間でした。導いてくださる方が私たちに、「二人は家での会話をドイツ語でするように」と命令(?)されたのですが、どうしましょう?

 ここでパウロは、コリント教会の中に死者の復活がないという者たちがいることを踏まえて、もしもそのように主張するのなら、キリストの復活されなかったことになり、それは自分たちの宣教が空しいものとなり、あなたがたの信仰も空しいものとなると論を進めていきます。

 パウロは、キリストの復活が歴史に起こった事実であることを踏まえて語ります。ですから、コリント教会のある者たちが語っているように死者の復活はないのだとしたら、その行き着くところはキリストも復活されなかったことになり、歴史的な事実を否定することになります。それが、「死者の復活がないとしたら、キリストのよみがえらなかったでしょう」ということばが表す意味です。さらにその行き着く先は、福音を宣教してきたパウロたちの働きが空しいということになり、それを信じたコリントの教会の人々の信仰も空しいということになります。

 19節に「もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中でいちばん哀れな者です」ということばを心に留めます。私たちのすべてが、キリストの復活の上に成り立っているからです。私は哀れではないのだと、心を新たにしました。

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2011-2019© Hiroshi Yabuki