詩篇106篇24-48節
一昨日から、孫たちが「滞在」しています。2歳と1歳の二人は、じいちゃんとばあちゃんにとっては「生きたお人形」のよう。何でも言うことを聞いてしまいます(相当な…ですね)。お陰で、たくさん肩車をしてグルグル部屋の中を歩き回ったりで、有酸素運動で汗をかくこともできました。
子どもの、特に乳幼児の成長は目を見張るほどです。去年の今ごろは歩き始めてふらふらしていた上の孫が今では元気に走り回り、上手に日本語を話すのですから…。散歩していたら清掃車を発見。さらっと「ごみしゅうしゅうしゃ」と言うのでこれまたびっくり。
詩篇106篇後半を読むと、人間は同じ過ちを繰り返して進歩がないものだと考えました。この箇所では出エジプトの旅の後半からカナン定住までの彼らの罪。
24、25節から「さげすみ」「信ぜず」「つぶやき」「聞かなかった」という四つの動詞を拾うだけでも、いかに罪に走りやすい者か、と思うのです。
昨日も書いたように、この詩をうたった人々は、「私たちはもうこんなおばかな先祖たちの愚は繰り返しません。神の戒めに生き、神を敬い、信頼し、賛美し、神のことばに耳を傾けているからです」と言っているのではありません。
47節の「私たちをお救いください」との願いは、むかしも今も変わらない罪人の祈りなのです。そしてこの祈りは、相手が罪を犯そうが、怒らせるようなことをしようが、変わらずにご自分の契約を思い起こしてあわれまれる主の、ご真実に基づいているのです。
一年間、「みことばの光」をそしてこのブログをご愛読いただきありがとうございます。
主にあって、よき新年をお迎えください。
一昨日から、孫たちが「滞在」しています。2歳と1歳の二人は、じいちゃんとばあちゃんにとっては「生きたお人形」のよう。何でも言うことを聞いてしまいます(相当な…ですね)。お陰で、たくさん肩車をしてグルグル部屋の中を歩き回ったりで、有酸素運動で汗をかくこともできました。
子どもの、特に乳幼児の成長は目を見張るほどです。去年の今ごろは歩き始めてふらふらしていた上の孫が今では元気に走り回り、上手に日本語を話すのですから…。散歩していたら清掃車を発見。さらっと「ごみしゅうしゅうしゃ」と言うのでこれまたびっくり。
詩篇106篇後半を読むと、人間は同じ過ちを繰り返して進歩がないものだと考えました。この箇所では出エジプトの旅の後半からカナン定住までの彼らの罪。
24、25節から「さげすみ」「信ぜず」「つぶやき」「聞かなかった」という四つの動詞を拾うだけでも、いかに罪に走りやすい者か、と思うのです。
昨日も書いたように、この詩をうたった人々は、「私たちはもうこんなおばかな先祖たちの愚は繰り返しません。神の戒めに生き、神を敬い、信頼し、賛美し、神のことばに耳を傾けているからです」と言っているのではありません。
47節の「私たちをお救いください」との願いは、むかしも今も変わらない罪人の祈りなのです。そしてこの祈りは、相手が罪を犯そうが、怒らせるようなことをしようが、変わらずにご自分の契約を思い起こしてあわれまれる主の、ご真実に基づいているのです。
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主にあって、よき新年をお迎えください。