ヨハネの黙示録8章
昨日行われた記念会は、それほど寒くもない穏やかな空の下で50名近くの方が集って行われました。
墓所は丘陵にあり、竹林を初めとする木々を背景に眺められる場所にあります。墓誌にはすでに11名の名が刻まれており、私たち夫婦のそれぞれの両親の名もそこにあります。墓地は生死を考える場所なのですね。
「静けさ、とりなし、ラッパの音」というタイトルをつけました。どれも、耳をそばだてると聞こえてくるものです。
巻き物の第七の封印が解かれました。これまでとは違い、このときは天に半時間ばかりの静けさがあったというのです。静けさは安らぎを思わせますが、ここではむしろ次に起こる大きなことを待つまでの緊張の時だと考えられます。静けさの中で、神が次に何を行われるのかと息を潜めているのです。そのような「時」が必要です。
神への祈りが捧げられます。これまでのことから、第七の封印が解かれると決定的な神のさばきが地にもたらされることは想像できることですが、ここで聖徒たちは何を祈るのでしょうか。「みことばの光」には、「…私たちの日々の祈りが、復讐とさばきを求める祈りであってよいわけではない」とあります。そして、「復讐とさばきを行なうのは、私たちではなく神であることを忘れてはならない」と続きます。
主の御足の跡をたどるのだとしたら、その祈りとはこの大きな患難、さばきの中で一人でも主イエスを信じて神に立ち返る者があるようにとのとりなしではないでしょうか。
そして、ラッパの音が響いています。神の厳しいさばきを迫っていると警鐘を鳴らしているのです。しかしそれは、患難に遭い迫害されている者にとっては、希望の、そして勝利のラッパです。
希望をもって、ヨハネの黙示録を読み進めていきたいと思います。
昨日行われた記念会は、それほど寒くもない穏やかな空の下で50名近くの方が集って行われました。
墓所は丘陵にあり、竹林を初めとする木々を背景に眺められる場所にあります。墓誌にはすでに11名の名が刻まれており、私たち夫婦のそれぞれの両親の名もそこにあります。墓地は生死を考える場所なのですね。
「静けさ、とりなし、ラッパの音」というタイトルをつけました。どれも、耳をそばだてると聞こえてくるものです。
巻き物の第七の封印が解かれました。これまでとは違い、このときは天に半時間ばかりの静けさがあったというのです。静けさは安らぎを思わせますが、ここではむしろ次に起こる大きなことを待つまでの緊張の時だと考えられます。静けさの中で、神が次に何を行われるのかと息を潜めているのです。そのような「時」が必要です。
神への祈りが捧げられます。これまでのことから、第七の封印が解かれると決定的な神のさばきが地にもたらされることは想像できることですが、ここで聖徒たちは何を祈るのでしょうか。「みことばの光」には、「…私たちの日々の祈りが、復讐とさばきを求める祈りであってよいわけではない」とあります。そして、「復讐とさばきを行なうのは、私たちではなく神であることを忘れてはならない」と続きます。
主の御足の跡をたどるのだとしたら、その祈りとはこの大きな患難、さばきの中で一人でも主イエスを信じて神に立ち返る者があるようにとのとりなしではないでしょうか。
そして、ラッパの音が響いています。神の厳しいさばきを迫っていると警鐘を鳴らしているのです。しかしそれは、患難に遭い迫害されている者にとっては、希望の、そして勝利のラッパです。
希望をもって、ヨハネの黙示録を読み進めていきたいと思います。