みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

静けさ、祈り、ラッパの音

2012年11月30日 | ヨハネの黙示録
ヨハネの黙示録8章


 昨日行われた記念会は、それほど寒くもない穏やかな空の下で50名近くの方が集って行われました。
 墓所は丘陵にあり、竹林を初めとする木々を背景に眺められる場所にあります。墓誌にはすでに11名の名が刻まれており、私たち夫婦のそれぞれの両親の名もそこにあります。墓地は生死を考える場所なのですね。

 「静けさ、とりなし、ラッパの音」というタイトルをつけました。どれも、耳をそばだてると聞こえてくるものです。
 巻き物の第七の封印が解かれました。これまでとは違い、このときは天に半時間ばかりの静けさがあったというのです。静けさは安らぎを思わせますが、ここではむしろ次に起こる大きなことを待つまでの緊張の時だと考えられます。静けさの中で、神が次に何を行われるのかと息を潜めているのです。そのような「時」が必要です。

 神への祈りが捧げられます。これまでのことから、第七の封印が解かれると決定的な神のさばきが地にもたらされることは想像できることですが、ここで聖徒たちは何を祈るのでしょうか。「みことばの光」には、「…私たちの日々の祈りが、復讐とさばきを求める祈りであってよいわけではない」とあります。そして、「復讐とさばきを行なうのは、私たちではなく神であることを忘れてはならない」と続きます。
 主の御足の跡をたどるのだとしたら、その祈りとはこの大きな患難、さばきの中で一人でも主イエスを信じて神に立ち返る者があるようにとのとりなしではないでしょうか。

 そして、ラッパの音が響いています。神の厳しいさばきを迫っていると警鐘を鳴らしているのです。しかしそれは、患難に遭い迫害されている者にとっては、希望の、そして勝利のラッパです。

 希望をもって、ヨハネの黙示録を読み進めていきたいと思います。


 

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昼も夜も、神に仕えている

2012年11月29日 | ヨハネの黙示録
ヨハネの黙示録7章


 今日は、昼前から教会の墓地で昨年同日にお亡くなりになった方の記念会が予定されています。小春日和の中で、穏やかな会が持たれるのでは…と期待しています。

 小羊が第六の封印を解いてから第七の封印を解くまでには、しばしの間があります。その間に、様々な患難を通されてきた「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大勢の群衆」が御座と小羊とに礼拝をささげることが描かれています。
 天上の礼拝を垣間見ることができるのですね。

 「みことばの光」では、「数えきれぬほどの大勢の群衆」について四つのことが語られているとします。
 1)大きな患難から抜け出てきた者たちであること。
 2)その衣を小羊の血で洗って白くしたこと。
 3)聖所で昼も夜も、神に仕えている。
 4)御座に着いておられる方が、彼らの上に幕屋を張られる。

 心に留めたのは、「聖所で昼も夜も、神に仕えている」とのことば。今はどうなのだろうか? と考えてみました。
 毎日いろいろなことがあり、もっと祈りの時間を取りたいとか、もっとみことばをじっくり学ぶときがあれば…などと思うこともあります。「雑事」が多すぎて「フーッ」という気分の時も。

 そんなふうに考えていたら、「今でも自分は、聖所で昼も夜も神に仕えているのではないか」との思いが沸いてきました。「雑事」だなどということばを使ってしまうこと自体が、これは神に仕えること、これはそうでないことと分けているのだな、と思いました。

  

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さらに勝利を得ようとして

2012年11月28日 | ヨハネの黙示録
ヨハネの黙示録6章


 また新しい政党の誕生です。そして、誕生した新政党に先ごろ政権与党を離脱して結成された政党などが合流すると報じられていました。確かに、私たちの国は原発事故という大きな災害を引き起こしその影響を被ったのですから、この一つの点についてだけでもじっくりと検証し、論じ合う必要があると思います。
 それにしても、ずいぶんたくさんの政党が誕生したものです。

 小羊が第一から第六までの封印を解いていくと、様々な情景が繰り広げられるというのがこの章にあることです。「みことばの光」が書くように、ここで描かれているのは、ヨハネがこの黙示を受けた時代を支配していたローマ帝国の歴史そのものであり、かつ、人類が歴史の中で何度も繰り返してきたことなのです。

 白い馬に乗った騎士は「勝利の上にさらに勝利を得ようとして」出て行きました。弓、冠、勝利への欲望とは、確かにいつの時も人々が得たいと追求してきたものです。今回の衆議院選挙にまつわる「騒動」でも、その最中にいる人々はどうしたら冠を得られるか、どことつながれば勝利を自分たちのものにできるかと必死なのです。
 それは、私たちの国の将来に大きな影響を及ぼすのだとはわかっているのですが、これほど露骨に勝利を得ようとする人々の姿を見せつけられると、こちら側はかえって冷めてしまいます。

 けれども、「こ れらの封印を解いたのは小羊イエス・キリストであり、すべては神のご計画 の中で起こったのである。心を備えて「聖なる」神のみこころに信頼しよう」と「みことばの光」にあります。

 どんな情景が繰り広げられようと、神の民は常に神のみこころに信頼して生きるのですね。

  

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泣いてはいけない。見なさい

2012年11月27日 | ヨハネの黙示録
ヨハネの黙示録5章


 時々スーパーの店内で、「泣くんじゃない!」とお子さんをしかっておられるお母さんの姿を見ます。ほしいものがあっても買ってもらえないから泣くのかしら、眠いから泣くのかしらなどと想像することもあります。

 ヨハネもここで、「泣いてはいけない」と言われています。内側にも外側にも文字がびっしり書き記された巻き物の封印をだれも解く者がいないのを、ヨハネは嘆いているのです。神のことば、みこころが記されている巻き物を目の前にしながらも、だれも開くことも見ることもできない口惜しさが、ヨハネを泣かせたのでしょうか。

 はたして自分は、神のことばを読めないのを悲しんでいるだろうかと問われます。

 長老のひとりがヨハネに言います。「泣いてはいけない。見なさい」と。
 ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができるから、泣いてはいけないのだというのです。

 「泣くんじゃない。そんな弱虫でどうするの!」と言われたら、子どもは辛いでしょう。「泣くんじゃない。そんなことで元気をなくしてどうするの。強くなれ!」と言われたら、大人も辛いでしょう。

 「泣かないで強くなれ!」ではなくて、「泣かないで『小羊』を見なさい」というのです。「ほふられた小羊こそ、力と、富と、知恵と、勢いと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方」であるならば、このお方が涙を希望へと変えてくださると信じることができます。

 



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冠を投げ出して

2012年11月26日 | ヨハネの黙示録
ヨハネの黙示録4章


 昨日の礼拝では、3章14-22節からメッセージさせていただきました。
 ちょうど、教会にトルコを旅している方がいて、ラオデキヤ遺跡の写真を送ってもらいましたので、了解を得て貼らせていただきます。ちなみに、この近くで宿泊したホテル名は「ラオデキヤホテル」だそうです。Img_0022

 「みことばの光」の「ヨハネの黙示録4-16章を読む前に」にあるように、4章からは、天上の出来事を見るようになります。何日か前に地図を読むのが好きだと書きましたが、今は手軽に空(そら)からの写真を詳しく眺めることができるので、地図好きにとってはうれしいことです。
 「…読む前に」に「ともすると私たちの物の見方は、日常や身の回りの小さなことから世界情勢や世界経済の動向に至るまで、地上のことに縛られがちである」とありますが、そのとおり。目に見えない天上の現実があることを忘れてはならないのですね。

 ヨハネが見たもの、それは神の栄光でした。まばゆいばかりの御座の輝き、恐れを覚えさせるような不思議な生き物による絶え間ない賛美、自分たちの王冠を投げ出して御座の前にひれ伏す24人の長老たち。
 焦点は御座に着いておられる方だけに絞られています。

 今日の「祈り」を祈りつつ、昨日の礼拝で礼拝者たちは自分たちの頭の冠を御座の前に投げ出しただろうか、御座に着いておられる方だけに焦点が絞られていただろうかと、振り返りました。

  

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