みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

終わりまで

2022年04月28日 | ダニエル書

ダニエル書 12章

 世界を揺るがす感染症と軍事侵攻ゆえに、落ち着かない日々を過ごす今、「先の見えない…」ということばが報道で目立つように思えます。

 ダニエル書の終章にあるのは、神の民が受けなければならない大きな苦難のことです。この苦難は人を振り分けます。ある者は永遠のいのちに、ある者は永遠の嫌悪に、またある者(賢明な者たち)は輝くのです。しかし4節には、ダニエルはここで聞いたことを終わりの時まで秘めていなければならないとあり、このことは9節でも繰り返されています。

 ダニエルはやがて来る大きな苦難について、その詳細を知りたいと願ったのでしょう。しかし、それは叶いませんでした。9節に「ダニエルよ、行け」ということばが目に留まります。秘められ、神が明らかにする終わりの時まで封じられていても、ダニエルは行かなければならないのです。

 未来について知りたいというのは、一人一人の人生においても歴史でも、多くの人の関心事です。明日何が起こるのかが分かることで、危険を回避したり大きな利益を得たりするということもできます。しかし、私たちは未来を知ることができません。勝手に予測することもありますが、確かなことは分かりません。だからといって、明日を迎えることができないわけではありません。

 ダニエル書最後に位置することばは、直接聞いたダニエルだけでなく、すべての信仰者の希望です。はかなく消え去るものではなく、必ず待っている希望です。だから、分からなくても行くのです、主に信頼して…。


自分の神を知る人たち

2022年04月27日 | ダニエル書

ダニエル書 11章20−45節

 運転免許証を手にすることができました。コロナ禍にあって帰国できずに更新の機会を逃してしまった人が少なくないのは、特別にそのための用紙が用意されていることからも分かりました。

 11章後半には、主に旧約聖書と新約聖書の間に実際に起こった出来事についての預言が記されています。

 南の国エジプトのプトレマイオス王朝と、北の国シリアのセレウコス王朝の派遣を巡っての緊張、争い、戦いが続きます。21―45節にあるのはシリアのアンティオコス4世エピファネスのことです。21節で「卑劣な者」と呼ばれる彼は、エジプトを自分の支配下に置こうとして、冷酷な作戦を指示したことで知られています。略奪と虐殺です。しかし、25―30節を読むと、エジプト攻略は失敗に終わったことが分かります。

 30節後半から35節は、アンティオコス4世がイスラエルを攻撃したことについての描写です。彼はエルサレムの神の宮を汚し、ゼウス像や天の万象へのいけにえをささげよと強要します。神殿の多くの祭司たちはアンティオコスの命令に従いますが、祭司マタティアは5人の息子たちとともに王の命令に背き、やがて戦争となります。これが「マカバイ戦争」と呼ばれる反乱です。

 36節以降に記されているのは、やがて私たちのこの世界に起こることです。「不法の者」がわが物のようにこの世界を蹂躙しようとします。今起こっている出来事とここでの預言を結びつけることには慎重である必要がありますが、待ち構えているのは、このようなことなのです。しかし、どんなに彼が力を振るっても「ついに彼は終わりを迎える」のです。

 32節の「自分の神を知る人たち」ということばに目が留まります。神がどのような方かが知るならば、人を恐れる罠から守られます。このような時だからこそ、「自分の神を知る人たち」の一人でありたいと願う者です。


つまずき、倒れていなくなる

2022年04月26日 | ダニエル書

ダニエル書 11章1−19節

 失効した運転免許証を再度発行してもらうために運転免許センターに。ところが、調えた書類の一つに不備があり、もう一度市役所に…。火曜日に出直しです!

 11章2節から12章4節には、終わりの日に起こることが預言されています。「終わりの日」とはまず、ダニエルがいたペルシア帝国のその後という意味です。ダニエルが「一人の人」から真理を知らされたのは、ペルシア王キュロスの第3年。キュロス王の後ペルシアには、カンビュセス、スメルディス、ダレイオス・ヒュスパスペスという王が起こります。そして2節の「第四の者」とはクセルクセス王で、エステル記に登場します。彼は力を蓄えてギリシア遠征を企てますが失敗します。

 その後、マケドニアのアレクサンドロス大王が瞬く間に世界を制覇します。彼は、3節で「一人の勇敢な王」と記されています。しかし、世界を自分の手にして間もなく彼は死んでしまうのです。その後は南のエジプトプトレマイオス王朝と北のシリアアンティオコス王朝との間の戦いが続きます。5−20節にはこのことが綴られています。

 力のある者がさらに力を得ようと戦いを挑み、ある時には成功しまたある時には失敗する…、私たちの世界はどこででもこのような力と力のぶつかり合い、時には妥協して血縁関係に入ることで無駄な勢力を費やすことを避けるのです。特に5−20節の「南の王」と「北の王」とのまるで綱引きのような戦いの間にあるのは、イスラエルです。ここでイスラエルは「麗しい国」と呼ばれます。麗しい国が荒らされるのです。

 19節の最後のことばに目を留めます。「つまずき、倒れていなくなる。」この世で絶大な権力を誇示する者も永続することはありません。ここにあるように、やがていなくなるのです。

 「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ」というペテロの手紙第一1章24−25節のことばをおぼえます。


特別に愛されている人

2022年04月25日 | ダニエル書

ダニエル書 10章

 懐かしい方々といっしょに礼拝しました。まずは子どもたちと家族の礼拝。11人の子どもたちが賛美し、メッセージを聞き、聖句を一生懸命覚える姿に希望を抱きました。その後の礼拝には大人の方々が集います。いつもの席でいつもの人が礼拝する姿に平安をおぼえました。

 10章の初めにはペルシアの王キュロス王の名前があります。バビロンのネブカドネツァル、メディアのダレイオスに続き、ペルシアのキュロスと、ダニエルは移り変わりの激しい時代を生き抜いたことがここから分かります。何度も触れたことですが、私はダニエルの変わらない姿を心に留めました。独裁者に重用されるのはすなわち、常にいのちの危険にさらされているということ。また、夢を解き明かし幻を見るという特別な力を神から賜っていることゆえに、彼は周囲のねたみを買い、「干される」ということもありました。

 90歳近くになるダニエルは、一人の人を見ます。7節によると、一緒に行った人たちはその一人の人を見なかったのです。ここを読むと、ダマスコに向かう途中のサウロに主イエスが会ってくださった時、同行していた人は声を聞いても姿が見えなかったという記事を思います。

 さらに彼が見た人は驚くような姿でした。「みことばの光」も書いていますが、「その方は、足まで垂れた衣をまとい、胸に金の帯を締めていた。その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は燃える炎のようであった。 その足は、炉で精錬された、光り輝く真鍮のようで、その声は大水のとどろきのようであった」との黙示録1章13−15節のことばを思わせます。多くの人はダニエルに現われたこの人こそ、受肉前のキリストだと考えます。

 「一人の人」とダニエルとのやり取りを読み、ダニエルがこの人の前では弱く、幼子のように思えました。目に留まるのはこの人がダニエルに「特別に愛されている人よ」と繰り返し呼びかけていることばです。確かに、ダニエルほどの人はそう呼ばれるにふさわしいと思いながらも、この方がやがて十字架に架かられたのですから、「特別に愛されている」ということばはダニエルだけのものではないと思います。


秘めておけ

2022年04月23日 | ダニエル書

ダニエル書 8章

 運転免許証が失効したために、再発行のための手続きをしています。昨日は免許センターで「高齢者講習」を受講。1グループ3人で、二人の講師が親切に分かりやすく教えてくださいました。実際に運転も…。帰国して最初の運転でしたので、右折や左折のサインを出すレバーを間違えて、ワイパーを動かしてしまいました。でも、「ミスをしたからといって不合格ではありませんので…」とのことで、ホッとしました。

 8章には、ベルシャツァル王の第三年にダニエルが見た幻が記されます。紀元前553年頃のことです。ここに記されている幻は、7章の幻とつながりがあります。

幻は具体的で、二本の角のある一匹の雄羊とはバビロン崩壊後のメディア・ペルシア、額に際立った一本の角がある雄やぎはギリシアのアレクサンドロス大王、、そしてその後大きな角が折れ、代りに生え出て来た四本の角は、マケドニア、アナトリア、シリア、そしてエジプトのことです。9節は、その中でシリアが頭角を現したと伝えるのです。

 注目するのは9節以下。四本の角のうちの1本が大きな力を持ったと書かれています。歴史的には、この1本の角は、シリアの王アンティオコス・エピファネス。9−14節に描かれているのは彼のこと。アンティオコス王は、神の宮に異教の祭壇を築き、神である主への常供のささげ物の禁止を命じる一方で、神の宮を汚すことをするようにと、イスラエルの人を迫害した王でした。

 この出来事は、旧約聖書外典の一つ「マカバイ記」に記されています。

 ダニエルは、「あなたはこの幻を秘めておけ」と天使ガブリエルが伝えたことばどおりに歩みました。「秘めておけ」と神が言われたら自分だけのものにしておく、一方で「宣べ伝えよ」と命じられたら、どのような況の中でもこのことばを守り生きるのが、ダニエルでした。


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