マルコの福音書 4章1−20節
日本ではこの冬一番の寒波が襲っていると報じられていました。お住まいのところはいかがですか。当地の水曜日も、日中はほとんど気温が上がりませんでした。でも、外歩きから戻って来ますと、それほど暖房を効かせていない部屋も暖かく感じます。春が待ち遠しいですね。
マルコ4章は、イエスがたとえを用いて教えられた四つのことを記します。何かを教えるとき、ふさわしいたとえがあるとよくわかりますね。しかし、大切なのはたとえではなく、たとえを使って伝えようとしている教えなのです。四つのたとえのうちの三つは、種を蒔くことについてです。種蒔きはそれだけ聞く人々に身近なものだったからでしょう。
そしてさらに、はじめの二つの教えは、「聞く耳のある者は聞きなさい」ということばでたとえが終わります。ということは、イエスは聞き方を、神のことばを聞き方を教えておられるということがわかります。
非常に多くの群衆が押し寄せて来ました。この人々はイエスの教えを聞きたいとして押し寄せてきたのでしょうか。「聞く耳のある者は聞きなさい」というイエスのことばは、そうではなかったことを明らかにしています。3章10節に「イエスが多くの人を癒やされたので、病気に悩む人たちがみな、イエスに触ろうとして、みもとに押し寄せてきたのである」とあります。
群衆は、たとえを聞いて満足し、あるいはがっかりして戻って行きました。しかし、彼らは肝心なことを聞かなかったのです。11節に目が留まります。神の奥義が与えられる弟子たちと、すべてがたとえで語られる外の人とがいるとイエスは言っておられます。神がそのように分けておられるということでしょうか。いやむしろ、たとえで語られる人々の心の頑なさによるものでしょう。
人は、自分の関心、そして自分が得をする情報には興味を示します。しかし、神のことばに対してはどうでしょう。私たちも同じように、耳を開いたり蓋をしたりしているのではないか、聞くべきことばを聞かずじまいではないかと問いかけられますね。