コリント人への手紙第二 13章
11月もきょうで終わり、明日からは待降節です。。
毎年思うことですが、10月辺りから日が過ぎるのが速い速い。さて、今年はどんな年だったのかを振り返る頃になりましたね。
今朝、いつもおいしい桃や林檎を作っている郷里の農家から電話がありました。
「今年は、林檎どうするの?」
なまりがたっぷり詰まったことばに、懐かしさが込み上げてきました。
コリント人への第二の手紙も、きょうが終章。
三度目の訪問を前にしたパウロの、「今度そちらに行ったときには、容赦しません」とのことばにはドキッとします。強気に出ているように見えるパウロの一言一言に、コリントの教会への熱い思いが感じられます。
ここには「不適格」ということばが繰り返されていますが、あるいはコリント教会の一部の者たちが、パウロは使徒としては不適格だという烙印を押していたというのが背景にあるのかもしれません。パウロがあまりにも強い調子でコリントの教会に手紙を送るので、「キリストはこんなに強くはない。それなのにパウロはなぜ強いのだ。それは、彼がキリストのことばを語っていないからだ」と決めつけたからかもしれません。
パウロは、あなたがたがキリストの前に正しく、完全であって、キリストのからだが築き上げられるのであれば、自分が不適格のように見えてもよいとさえ言っています。
そして終わりに連ねられる短い勧めは、何を願ってパウロがこの手紙を含めて厳しく語ってきたかの心を、表わしているようです。
人気を得るためにではなく、相手がキリストにあって生き、育ち、豊かにされるために働くという、主のしもべの姿を教えられました。
11月もきょうで終わり、明日からは待降節です。。
毎年思うことですが、10月辺りから日が過ぎるのが速い速い。さて、今年はどんな年だったのかを振り返る頃になりましたね。
今朝、いつもおいしい桃や林檎を作っている郷里の農家から電話がありました。
「今年は、林檎どうするの?」
なまりがたっぷり詰まったことばに、懐かしさが込み上げてきました。
コリント人への第二の手紙も、きょうが終章。
三度目の訪問を前にしたパウロの、「今度そちらに行ったときには、容赦しません」とのことばにはドキッとします。強気に出ているように見えるパウロの一言一言に、コリントの教会への熱い思いが感じられます。
ここには「不適格」ということばが繰り返されていますが、あるいはコリント教会の一部の者たちが、パウロは使徒としては不適格だという烙印を押していたというのが背景にあるのかもしれません。パウロがあまりにも強い調子でコリントの教会に手紙を送るので、「キリストはこんなに強くはない。それなのにパウロはなぜ強いのだ。それは、彼がキリストのことばを語っていないからだ」と決めつけたからかもしれません。
パウロは、あなたがたがキリストの前に正しく、完全であって、キリストのからだが築き上げられるのであれば、自分が不適格のように見えてもよいとさえ言っています。
そして終わりに連ねられる短い勧めは、何を願ってパウロがこの手紙を含めて厳しく語ってきたかの心を、表わしているようです。
人気を得るためにではなく、相手がキリストにあって生き、育ち、豊かにされるために働くという、主のしもべの姿を教えられました。