マタイの福音書 5章43―48節
冷たい空気の日が続いています。水曜日は夕方の外出を控えました。
イエスによる「…あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います」が続きます。ここでは愛について。
弟子たちが、そして神に選ばれたユダの人々が聞いてきたのは、「あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め」という言い伝え。「あなたの隣人を愛し」は旧約聖書レビ記19章18節からの引用で、そこには次のようにあります。
「あなたは復讐してはならない。あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは主である。」ここでの「あなたの民の人々」「あなたの隣人」とは同胞イスラエル人のことを指しています。
しかし、「あなたの敵を憎め」ということばは旧約聖書からの引用ではありません。しかし、同胞を愛するということから広げて、敵は憎むのだという言い伝えがついたのではないでしょうか。それは、イエスの時代のパリサイ人や律法学者たちの義でした。
しかしイエスは弟子たちに、「あなたがたの義が、律法学者たちの義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません」と言ってから、「…聞いています。しかし、わたしは…言います」という一連の教えを語ってこられました。
ここでイエスは、「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と壁を突き抜けるような義を示しておられます。それができるかできないかと、今議論することではないことだと、ここを読んで思います。もしも、キリストについて行こうとする私がそのようなところに投げ込まれた時、主はこのことばに従う愛を、力を、与えてくださると信じるのです。
全くもって不完全な者を「天の父が完全であるように、完全でありなさい」と招いておられる主の心を受け止めたい、と願います。
全くもって不完全な者を「天の父が完全であるように、完全でありなさい」と招いておられる主。
に心をとめました。「招いてくださっている。」イエス様に感謝します。