みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

宮が投げ捨てられる時

2021年06月30日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 7章

 1年の半分がきょうで終わります。6月が終わる時に「この半年はどうだったか」と振り返ることはあまりありませんが、今年は肩の痛みとともに新しい年を迎えたたのだと、思い出しています。どのような半年でしたか。

 7章には、ソロモンの神殿奉献の祈りに神が答えられたことが書いてあります。天から火が下って来て、祭壇の上の全焼のささげ物などを焼き尽くしたというのは、神がソロモンの祈りを聞き、受け入れてくださったということを象徴しています。天から火が下って来たので、祭司たちは主の宮に入ることができず、人々は恐れのあまり地にひれ伏してしまいます。彼らの間に恐れが生じたのです。神の前に出る、神を礼拝する人の心にあるべきは、神への正しい恐れなのだと改めて思います。

 「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」という賛美は、このような恐れから出たもの。自分たちのような者に栄光を現してくださる神のいつくしみを深く覚えています。

 11節以降は、ソロモンの民を代表しての祈りへの主の答えです。主はソロモンの祈りをお聞きになりました。特に、19−22節の警告のことばに目が留まります。ソロモンが先頭に立って7年の歳月と莫大な富を費やして建て上げた神殿が、周囲の人々の物笑いになるまでに荒れ果ててしまう日が来ると言うのです。ソロモンはこの警告をどのような思いで聞いたのでしょうか。

 そして歴代誌のはじめの聴衆は、高い所に建つソロモンの神殿ではない、いわゆる第二神殿を見上げながら、ここで神が警告されたとおりのことが起こったのだと心に刻んだことでしょう。そして、大切なのは神への信仰と従順だということを…。


祈りの家

2021年06月29日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 6章22−42節

 夜眠っていて、耳元で蚊が飛んでいる音に悩まされることがありませんか。そこで、これから夏に向けて蚊取り器を購入しました。さて、効能はいかに?

 ソロモンの祈りは続きます。ここでは、神殿は罪を犯した者が神に赦しをこいねがうための場所だとして、さまざまな事例を挙げて、彼らの祈りを聞いてくださるようにと祈っています。

 32節には、異国人が遠くから来てこの宮(神殿)で祈るならば、願いをかなえてくださるようにと祈っています。主はご自分の民に限らず、すべての人々の神なのです。ここを読んで、イエス・キリストが神殿をきよめた出来事を思いました。その時イエスは、イザヤ書57章16節のことばを用いて、「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」と言われたのです。ソロモンの祈り、イザヤの預言、そしてイエスのことばから思うのは、自分の心の狭さです。

 36節に「罪に陥らない人は一人もいません」ということばに目が留まります。そしてソロモンは、その後に捕囚された地でこの宮に向かって祈るならば、彼らの祈りを聞いてほしいと願っています。そして、ソロモンがここで祈ったとおりのことが起こったのです。しかし、この時ソロモンは、400年近く後に同胞が遠く離れたバビロンから破壊されたエルサレムの神殿の方向を向いて罪を悔い改めるなどということを知る由はありません。ソロモンの祈りは預言的でした。

 「もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」というヨハネの手紙1章8−9節のことばが心に響きます。


黒雲の中に住む

2021年06月28日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 6章1−21節

 近所にお住まいの同胞にお届けするために、教会の情報誌が生まれようとしています。タイトルはまだついておらず、教会の皆さんにお願いしています。

 6章は、ソロモンによる神殿奉献の祈りを記します。はじめの「主は、黒雲の中に住む、と言われました」とのことばが印象に残ります。その前の「雲がその宮、すなわち主の宮に満ちた」という出来事を受けてのことばです。ソロモンは、祭司が二枚の石だけが入った契約の箱を至聖所に運び入れ、大勢の「賛美チーム」が「すはまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主を賛美したことを受け、雲が宮に満ちたのを目の当たりにして、神の祝福が自分にそして民に届けられたことを確信しました。ソロモンが全会衆を祝福したのは、雲が満ちたのは神が自分たちを祝福しておられたのだと確信したからです。

 ソロモンのこの姿勢から学ぶのは、神の祝福を自分でとどめることをしないということです。神の豊かな祝福を独り占めするのではない、出し惜しみするのではないということです。

 5−11節は、現代の教会の献堂式でいうなら、「建築工事経過報告」に当たるでしょうか。ここから学ぶのは、私たちはがんばりました、努力しましたということではなくて、人の思いや計画を超えてなされる神のみこころを報告するということです。「感謝」と言いながらも、心では努力した自分たちを賛えると言うようなことをしやすいのが私たち。ソロモンは「神が…された」と報告するのです。そのためには、出来事の背景に主の御手をおぼえるという視点を持たせていただくことだと思います。


規定にしたがって

2021年06月26日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 4章

 1年遅れで開催されているユーロサッカ−2020、土曜日に16チームによる決勝トーナメントが始ります。にわかサッカーファンの私も、住んでいる国を応援しているのですが、どこまで勝ち進めるでしょうか。

 4章には、神殿での祭儀に用いる、青銅の祭壇「海」、洗盤、さらに灰壺、十能、鉢を青銅で、聖所で用いる器具類を金で作られたことが書いてあります。今は、これらをインターネットで検索をすると、画像(想像図)で確かめることができます。「海」は大きな青銅のプールのようなものですが、それが12頭の牛の上に据えられていたのです。牛が「海」を背負っているようです。

 7節と20節に「規定にしたがって」ということばが出ています。以前の翻訳は「規格どおりに」でした。歴代誌第一28章11−19節には、父ダビデがソロモンに設計図を授けたことが書いてあるのですが、その設計図は「すべて御霊によって彼(ダビデ)に示された」のです。ソロモンは父からの設計図のとおりに、神殿の一つ一つのものを、建物から鉢に至るまで作りました。

 教会建築で、神から御霊によって設計図面を授けられるということはありませんが、しかし、ここには教会の建物を築くという目に見えるものばかりでなく、礼拝を行うということにおいても、求めるべきは私たちの思いつきや意欲ではなく神のみこころであるということを、ここからの適用として教えられます。

 そしてそれは、自分の人生においても…。


神の永遠の力,神性

2021年06月25日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 3章

 雨の合間を縫って、外歩きを…。近く大通りのリンデンバウム(菩提樹)からは甘い香りが。その下は野ばらの生け垣。香りと色を楽しむことができました。

 ソロモンが神殿を建てた場所は、1節によると、主が父ダビデにご自分を現された場所で、ダビデはそこを神殿のために準備していたとあります。人々にエルサレムの写真として知られている「黄金のドーム」(イスラム教のモスク)の北隣に建てられたと考えられています。

 神殿の大きさは、長さ(奥行き)は26.4m、幅は8.8mと換算されます。新幹線一両の長さは、25mですので、想像がつくかもしれません。注目すべきは高さ。53m近くあります。オフィスビル一階分の高さをおよそ4mとしたら、13階建てのビルに相当します。これだけの高さの建物は、ダビデの町から見上げるならば、その偉容に人々は圧倒されたことでしょう。

 内装に用いられたのは金。600タラントは、20,400キログラム,想像しがたい量です。しかし聖書は,これだけの神殿が建てられる様子を,「高い」とか「輝かしい」,「素晴らしい」などの装飾語を一つも用いずに淡々と記します。かえってそれが,この神殿の存在を際立たせているようです。

 きょうの「みことばの光」の最後に,「ローマ人への手紙1章20節では,神の偉大さは何で現されるとあるか」との問いかけがあります。

 「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められる…。」 リンデンバウムの芳香から神の偉大さをおぼえる者でありたいです。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki