みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ちょうど

2018年03月29日 | ルツ記

ルツ記 4章

 あっという間にルツ記が終わろうとしています。

 ナオミもルツも、そしてボアズも、自分がよい思いをすることではなくて、ともに歩む人のためにできるだけ善きことを図ろうとする思いを持つ人々です。その人々が、自分の置かれている生活の場においてこの生き方を貫こうとする先に、神のご計画が前進するという未来への広がりが見られるのだというのが、今回の通読で思ったことです。ボアズ〜オベデ〜エッサイ〜ダビデ……そしてイエス・キリストへと。

 そのような人々のために神が御手を伸べてくださるのを、本章からも知ることができます。

 1節の「ちょうど」ということばも、その一つ。筋書きどおりになるというのでしょうか。もちろん、ボアズは自分なりの考えを進めていこうと決意して町の門のところへ行ったことでしょうが、このような筋書きを書いていたのは、ボアズではなくて神でした。

 そのようなことを考えているうちに、水曜日の教会での祈祷会のあとに、出席者5名である方を訪ねたことが思い浮かびました。私たちの教会は、昨年の今頃から礼拝する場所を探し求めてきました。大変お忙しい方で、約束なしに会えるなどということはないとも聞いたのですが、突然伺った私たちのために時間を取ってくださいました。

 「はからずも」をはかってくださるお方、「ちょうど」にアレンジしてくださるお方を信じて、隣人を愛するということを、足りないながらもさせていただく上での勇気をいただいた思いです。

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大麦六杯と…

2018年03月28日 | ルツ記

ルツ記 3章

 本章は、ルツがボアズにプロポーズをする場面。「みことばの光」が書くように、女性から男性へ、年下から年上へ、身分の低い者から高い者へ、外国人の女性からイスラエル人へと、どの一つをとってみても当時としては驚くようなことだったに違いありません。ナオミのアドバイスもあったことでしょうが、やはり落ち穂拾いをする中でボアズに好意を抱いたということが、大胆な一歩を踏み出したことへとつながったのでしょう。

 受け止めるボアズは「あなたが示した、今回の誠実さは、先の誠実さにまさっています…」と声をかけます。「先の誠実さ」とは夫の死後、ナオミにしたことや故国を離れてベツレヘムまで来たことを、「今回の誠実さ」というのは、ベツレヘムに来てから若い男を追いかけることがなかったということを指しています。

 この夜も、「あなたの覆いを、あなたのはしための上に拡げてください」とのルツからのプロポーズのことばが、誠実さゆえに出たることを知って、彼もまた誠実に答えようとしています。誠実に対して誠実に答える、ここに人と人とが結ばれる鍵があることを教えられます。

 ルツは明け方、大麦六杯を背負って帰宅しました。しかし、その肩に背負われていたさらに重い「おみやげ」が見えています。

 ルツのような、あるいはボアズのような誠実さを持っているかと問われれば、そうありたいと願いながらも足りない者であると知らされます。神の恵みゆえの誠実さによって自分の今があることをおぼえるなら、感謝が尽きません。

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はからずも

2018年03月27日 | ルツ記

ルツ記 2章

 聖書には多くの人物が登場しますが、もちろん、実際にはどのような姿形をしていたかを映像で確認することはできません。ルツはどんな人だったのだろうか、ボアズは…と。

 十年以上も前に、アメリカのペンシルバニア州にある聖書をテーマにミュージカルを上演する劇場で「ルツ記」を観ました。今回の通読でも、その時の役者さんの顔が重なってきます。

 2章は、やがて結ばれるルツとボアズとが出会う場面です。「みことばの光」でも3節の「はからずも」ということばをキーワードにしていますが、私の心に留まったのも、このことばです。

 改めてこの箇所を読むと、ツルが落ち穂を拾いに行った畑がはからずもボアズの畑でした。しかも、彼はナオミの夫エリメレクの一族に属する、しかも「有力な親戚」なのです。狙ってその畑に行ったのではないのに…と驚かされます。

 そして、ボアズはずいぶんとルツに対して親切なのですね。11節からあとを読みますと、ボアズはルツについての話を詳しく聞いていたことがわかります。それにしても、なぜこれほどまで親切にするのでしょうか。やはりそこに、主の大きな計らいをおぼえざるをえません。

 そのように考えてみますと、よく言われることですが、私たちが普段経験していることに、偶然はないのだということに改めて気づくのです。不幸だと思えることにも、ラッキーだと小躍りするようなことにも、神の深いお取り計らいがあるのだと受け止められるところから物事は始まるのではないか、と思うのです。

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主(しゅ)が…

2018年03月26日 | ルツ記

ルツ記 1章

 日曜日には、当地から200㎞ほど離れたケルンにある日本語教会の棕櫚(しゅろ)の聖日礼拝に出席しました。道路の渋滞もなく開始1時間ほど前に着くことができたので、近所の緑地帯を散策。歩道の両脇にあるのは桜の並木ではありませんか! 🌸 東京の桜が満開だと報じられていましたので、余計に1本1本の桜の木に愛着が湧きます。あとで聞いたら、八重桜だそうで、あと一か月ほどで満開になるとのことでした。

 「みことばの光」では、きょうからルツ記を読みます。「ルツ記を読む前に」が書くように、この書の背景はイスラエルの「暗黒時代」とも言える士師の時代です。歴史の表舞台に名を残すことなどありえない、ベツレヘムに生きる小さな家族がききんのゆえに、異教の地に行くことからこの話は始まります。夫が死に、息子たちが結婚し、その息子たちが死に、自分と嫁たちが残される…。どこにでもあるような、家族の出来事です。

 しかし、家族が経験する喜びや悲しみを、ナオミは「主がなさったこと」として受け止めます。

 ナオミは、「主の御手が私に下さった」「…私を素手で帰され…」、「…私を卑しくし」、「つらい目に会わせ…」とも言っています。しかし、主をうらみ、さらには信仰を捨ててしまったということではないのです。

 彼女が嫁たちと連れ立ってベツレヘムに帰ろうと決めたのも「主がご自分の民を顧みて…」くださったからです。ナオミが嫁たちにモアブに戻るように促す時にも、「主が恵みを賜り…」「主がしてくださるように」と語ります。

 どのようなことにも主を認めることのできる恵みに感謝します。

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ルツによってオベデが生まれ、…

2013年02月11日 | ルツ記
ルツ記4章


 土曜日に、孫たち3人が遊びに来ました。妻の誕生日を祝いに来てくれたのです。3歳、2歳、そして生まれて5ヶ月の幼子たちのふるまいを見ているだけでもかわいいと思えるのですから不思議なことです。夕食時、2歳の弟は3歳のお姉ちゃんといっしょに、醤油かけご飯を食べました。何でもお姉ちゃんのまねっこをしています。そういえば、私も子どものころ醤油かけご飯が好きでした。バターを一かけら入れて熱々のご飯を「うまい、うまい」と食べたのを思い出しました。

 「善は急げ」と、ボアズはルツとの結婚に向かって動き出しました。けれども、気持ちに任せて「暴走」するようなことはありませんでした。「みことばの光」が書くように、ボアズは「冷静に律法によって認められる手順」を踏もうと行動したのです。

 ボアズの物事の進めかたの途中には、自分の思いではどうすることのできない局面がありました。買い戻しの権利を持つ人が、モアブの女性のルツとの結婚を承諾すれば、この話はそこまでです。だからといって、モアブは裏工作をすることもありませんでした。彼はこのことについての最善を、神の心にかなうように行ないましたが、その先のことは神にゆだねました。「結果は、私たちを愛する神の導き」だとモアブは信じてゆだねたのです。

 神は二人の結婚を導かれました。
 結婚した二人の間にオベデが生まれました。マタイの福音書1章には、救い主イエスの系図が記されています。その途中に、「…ルツによってオベデが生まれ…」とあります。

 ベツレヘムの町で起こった小さな出来事が、やがてイスラエルの王を、そして全世界の王を生み出す系図へとつながって行ったのだと思うと、自分の目の前にある事がらを主に信頼してすすめることの意義を、大いに感じるのです。


   

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