みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

七人の息子にもまさる嫁

2023年09月07日 | ルツ記

ルツ記 4章

 夏休みを終えて再開した祈祷会。一緒に聖書を読み祈り合う時間は大切だと、改めて思いました。街路樹の一部は秋の装いです。

 ルツ記終章。ボアズは長老たちの前で、ナオミの夫エリメレクの土地を買い戻すことについて、手順を踏んで事を進めていきます。自分の思い果たすために、あらゆることを自分有利に運ぶということを彼はしません。いっしょうけんめい努力しても、自分の力ではどうにもならないことを、彼は通らなければならないのです。

 ここでのボアズの姿勢を読みながら、「主の祈り」を思いました。「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」です。結果は、ボアズが努力し願うとおりになりました。彼はエリメレクのもの、息子のキルヨンとマフロンのもののすべてを買い戻し、モアブの女ルツと結婚しました。

 この結婚は当事者の喜びにとどまることなく、周囲の人々の喜びでもありました。やがてボアズとルツとの間に男の子が産まれた時、女性たちはナオミに祝福のことばを届けます、「主がほめたたえられますように」と。15節の「あなたを愛するあなたの嫁、七人の息子にもまさる嫁が、その子を産んだ」ということばが心に留まります。

 ルツはナオミの幸せのために歩み、ナオミはルツの幸せのために歩み、そしてボアズはルツとナオミの幸せのために歩んだ、その彼らを神は大いに祝福されました。最後はイスラエル王ダビデに至る系図。この系図はさらにイエスへと通じます。偉大な神の救いの計画は、小さな家族が用いられて進んで行くのです。


翼の陰に……

2023年09月05日 | ルツ記

ルツ記 2章

 日の入りが少しずつ早まり、以前は10時でも明るかったのに、今は8時半には暗くなります。ハッとするような夕景に出会うと、神からの贈り物だと思うのです。写真はロンドン行きの飛行機です。

 ルツ記2章は。モアブの女ルツとボアズとが出会う場面。3節に「はからずも」ということばがあります。この出会いについて、もちろん二人のうちのどちらかが計画したということではありません。ルツにとってもボアズにとっても、「はからずも」だったのです。しかし、人ははからずとも、神がこの出会いをはかっておられました。

 この章の最後に「こうして、彼女は姑(しゅうとめ)と暮らした」とあります。「暮らす」というのは生活を共にするということです。この一言からしても、二人の関係がどのようなものだったかが想像できます。

 ベツレヘムでルツは「よそ者」だと見られていました。しかし、慣れない地でしゅうとめとともに暮らすルツの評判は、周囲に広がっていたことと思います。ボアズも彼女の評判を聞くことになりました。ボアズがどんなにルツを特別に扱うのかは、この章の後半に描かれています。

 ボアズはルツに「主があなたのしたことに報いてくださいますように」と言います。ルツが故郷を遠く離れて「よそ者」としてベツレヘムに来て、ナオミと一緒に暮らしていることを、主はご存じで報いてくださるとの優しさに満ちたことばです。

 ナオミは信仰によってベツレヘムに戻りました。ルツは信仰によって住み慣れた家を出ました。そしてボアズは、ルツの行動を神の「翼の下に身を避けようとして来た」ことなのだと言います。ルツへの好意を具体的に表すことで、ボアズはルツに「あなたの決断は間違ってはいなかった」と伝えようとしているようです。


歴史を動かす信仰

2023年09月04日 | ルツ記

ルツ記 1章

 土曜日ストラスブールで、エメンタールチーズが挟まれたバゲットを買い、帰宅していただきました。その美味しいこと!疲れがどこかに飛んで行くような味でした。

 士師記は「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた」で終わり、続くルツ記は「さばきつかさが治めていたころ」で始まります。 ルツ記は士師の時代の出来事です。イスラエル人から見たら異邦人の女性がどのようにして神の救いの歴史の中で用いられていくのか、わずか4章の本書が大きな役割を果たします。

 なぜベツレヘムに住むイスラエル人の家族がモアブ人の地に行ったのか、それは飢饉のゆえだったと本書は伝えています。ベツレヘムの片隅に生きていた家族が約束の地を離れて異邦人の地に移り住むというのは相当大きな決断です。これは、彼らが裕福ではなかったことを伝えていると思います。ちなみにベツレヘムという名は、「パンの町」という意味です。

 またここには、家族の悲しみも描かれます。女たちはそれぞれの夫に先立たれます。残されたのはしゅうとめのナオミ、そして息子の妻オルパとルツの三人。彼女たちは肩を寄せ合ってモアブで過ごすのだろうかという時に、この家族を大きく動かすニュースが飛び込んできます。6節に「主がご自分の民を顧みて、彼らにパンをくださった」とあります。

 こんなニュースで動くのかとの思いも湧いてきますが、ここにナオミの信仰による決断が見えてきます。ベツレヘムで何が待ち構えているのかは分からない、しかし、「主がご自分の民を顧みて」ということばに賭けようとしたのではないでしょうか。この時のナオミの決断は、ナオミの知らない神のご計画の進展のために必要なことでした。

 一人の人の小さな信仰、それがやがて世界を変えていくというのは決して大げさなことではないとここから教えられます。


ちょうど

2018年03月29日 | ルツ記

ルツ記 4章

 あっという間にルツ記が終わろうとしています。

 ナオミもルツも、そしてボアズも、自分がよい思いをすることではなくて、ともに歩む人のためにできるだけ善きことを図ろうとする思いを持つ人々です。その人々が、自分の置かれている生活の場においてこの生き方を貫こうとする先に、神のご計画が前進するという未来への広がりが見られるのだというのが、今回の通読で思ったことです。ボアズ〜オベデ〜エッサイ〜ダビデ……そしてイエス・キリストへと。

 そのような人々のために神が御手を伸べてくださるのを、本章からも知ることができます。

 1節の「ちょうど」ということばも、その一つ。筋書きどおりになるというのでしょうか。もちろん、ボアズは自分なりの考えを進めていこうと決意して町の門のところへ行ったことでしょうが、このような筋書きを書いていたのは、ボアズではなくて神でした。

 そのようなことを考えているうちに、水曜日の教会での祈祷会のあとに、出席者5名である方を訪ねたことが思い浮かびました。私たちの教会は、昨年の今頃から礼拝する場所を探し求めてきました。大変お忙しい方で、約束なしに会えるなどということはないとも聞いたのですが、突然伺った私たちのために時間を取ってくださいました。

 「はからずも」をはかってくださるお方、「ちょうど」にアレンジしてくださるお方を信じて、隣人を愛するということを、足りないながらもさせていただく上での勇気をいただいた思いです。


大麦六杯と…

2018年03月28日 | ルツ記

ルツ記 3章

 本章は、ルツがボアズにプロポーズをする場面。「みことばの光」が書くように、女性から男性へ、年下から年上へ、身分の低い者から高い者へ、外国人の女性からイスラエル人へと、どの一つをとってみても当時としては驚くようなことだったに違いありません。ナオミのアドバイスもあったことでしょうが、やはり落ち穂拾いをする中でボアズに好意を抱いたということが、大胆な一歩を踏み出したことへとつながったのでしょう。

 受け止めるボアズは「あなたが示した、今回の誠実さは、先の誠実さにまさっています…」と声をかけます。「先の誠実さ」とは夫の死後、ナオミにしたことや故国を離れてベツレヘムまで来たことを、「今回の誠実さ」というのは、ベツレヘムに来てから若い男を追いかけることがなかったということを指しています。

 この夜も、「あなたの覆いを、あなたのはしための上に拡げてください」とのルツからのプロポーズのことばが、誠実さゆえに出たることを知って、彼もまた誠実に答えようとしています。誠実に対して誠実に答える、ここに人と人とが結ばれる鍵があることを教えられます。

 ルツは明け方、大麦六杯を背負って帰宅しました。しかし、その肩に背負われていたさらに重い「おみやげ」が見えています。

 ルツのような、あるいはボアズのような誠実さを持っているかと問われれば、そうありたいと願いながらも足りない者であると知らされます。神の恵みゆえの誠実さによって自分の今があることをおぼえるなら、感謝が尽きません。


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